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二十四、遭遇

 黒鴉(くろあ)の領域内のガラクタという名の塵の山の中にできた、通り抜けるための穴は今にも崩れそうだったが、蛭子(ヒルコ)は表情ひとつ変えることなく平静な様子で進んでいく。十歳前後の幼い子どもの姿をしている蛭子は背が低いこともあり、屈んだりする必要もないのだ。 (あいつは外に出ているようだから、今の内にここから……)  この数日、必要以上に構われすぎた蛭子はうんざりしていた。元々、あの穴の中でひとりでぼんやりとあのバケモノたちに臓物を喰われ続けていた毎日。頭の奥から聞こえてくる声と、身体の内側から聞こえてくる咀嚼音だけが蛭子の日常だった。 「蛭子の髪の毛いじるの楽し〜。今日はどんなのにする?」 「ほら、これ、蛭子に似合いそう! やっぱり赤と黒が似合うよな〜」 「なにかやりたいこととかある? 外には出せないけど、必要なものがあったら言って?」  とにかく、口から生まれてきたのかと思うくらいずっと話しかけてくるのだ。 (領域は主人がいないと出られないと言っていたが、やってみなければわからない)  すたすたと裸足のまま歩く。 『どこ行くの?』 『あの鴉が心配するよ?』 『せっかくお家をもらったのに、出ていくの?』  子どもの声がいくつも耳の奥で問いかけてくる。あの穴の中にいた時は、帰りたいだの寂しいだの痛いだのと喧しかった。今は今で小さな子どもがまとわりつくように戯れてくる。  数体の霊魂が自分の中に存在しているのは知っていた。彼ら彼女らは蛭子の感情とは関係なく、随分と明るくなり楽しそうでもある。 「お前たちはなぜボクから離れない……さっさと好きなところへ行けばいいだろう」  はあ、と深く溜め息を吐き出しながらぼやく。 『あたしたちはどこへもいけない』 『ヒルコが俺たちで俺たちがヒルコだからな』 『それに、俺たちがいなくなったら寂しいだろ?』  別に、と無表情のまま真っ直ぐ前を見据えて蛭子は淡々と歩く。そして領域の一番端までやってきた時、すっと黒衣の長い袖に隠れたままの右手をなにもない場所にかざした。  長い黒髪を上の方だけまとめて後ろで結ばれ、残りの髪の毛と一緒に背中に垂らしている髪の毛がふわりと浮いた。風が吹いたわけではない。蛭子が自身の力を使ったからだ。 (……なんだ? こんなに簡単に、)  領域の見えない壁に空洞が生まれる。なんだか腑に落ちなかったが、あの黒鴉のことだから領域も適当に作られているのだろうと思うことにした。すり抜けた途端、現れたのは一面に広がる雪景色。曇り空からはすぐにでも雪が降ってきそうだったが、寒さなど感じない蛭子にはなにも問題はなかった。  なにも言わずに出て行ったら、黒鴉はどう思うだろか。あそこからすくってもらったとはいえ、こちらから頼んだわけでもない。馴れ合うのは性に合わない。そもそも会話は一方通行であり、蛭子はほとんど反応することはない。それでもあの鴉はなんとも思っていないらしく、あの胡散臭い笑顔で話しかけてくるのだ。 『どうせまたここに帰ってくるんでしょ?』 『気分転換ってやつだな』 『目印はつけて行った方がいいよ』  子どもたちはここに戻ってくる気でいるが、蛭子はそんな予定はまったくなかった。一歩踏み出したその時、ずぼっと身体が雪で埋もれた。またか……と目を細めて腰まで埋まっている自身の状態に呆れ果てる。 『まあそうなるよね』 『やっぱり春まで待った方がいいんじゃ』 『こんなんじゃ家の前で遭難しちゃうよ』  うるさい、と苛立ちを隠せない声で子どもたちを黙らせると、蛭子は当てもなく前へ前へと進んで行く。そして気付く。この場所が谷の下にあったということに。最初にここに連れられて来た時は、なんとも思わなかった。この辺りのことどころか、この山がどのくらいの規模でどちらの方角へ行けばいいのかも実はわかっていない。  なにもない状態で出てきたことを後悔しそうになったが、意地でも帰らないと思い直す。そんな中、ちぎった綿のように大きな雪片が降ってきて、ただでさえ白い景色がさらに上塗りされていく。髪の毛や衣、頬に落ちては溶けて染み込んでくるそれを鬱陶しそうに見上げて、本日何度目かわからない溜め息を吐いた。 「……声がする」  頭の中で響く声とは別の声。 『助けてっていってる』 『俺たちとおんなじ?』 『そうかな? なんだかよくない感じがするよ?』  確かに、よくない感じはする。邪霊かそれとも木霊か。しかしこんな怪しげな声に呼ばれて引き寄せられるマヌケは、よっぽどのお人好しだろう。  子どもの声ではあるが無視することを決めた蛭子は、急に悪天候になった上に吹雪で視界がますます悪くなった現状に嫌気がさした。帰ろうよ、と子どもたちが囁く。そんな中、 (……血のにおい?)  微かに鼻に残る独特のにおいがした。嗅ぎ慣れたあのにおいに、眉を顰める。獣が喰い荒らされているのかもしれない。山も地も弱肉強食のセカイだ。自分たちは弱かったからあそこに落とされた。捨てられた。そう理解している。 『見て! あそこにひとが倒れているみたい!』 『死んでるのかな?』 『ねえ、助けてあげようよ』  少し前までは「助けて」と震えた声で呟いていたくせに、よくも言えたものだと蛭子は舌打ちする。ひとの子がなぜこんな場所にいるのか。雪が吹き荒れる中、何気なく上を見上げて見れば、足を踏み外して落ちたのではないだろうかとわかるような跡が見えた。 『さっきの声に呼ばれて落とされたんじゃない?』 『あの子の周りにまとわりついてる黒いのがやったのかな?』 『あ、動いた! まだ生きてるみたいだよ!』  蛭子は真っ赤な血に染まった白い雪を踏みつけ、頭から血を流して倒れている毛色の珍しいひとの子を見下ろし、感情の失せた紅玉色の左眼を細めた。

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