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二十三、声

 ぽつんと残された楪は、なんだか難しい話をしているふたりから一定の距離をとり、考え事をしながら雪を踏んで道を作っていた。着物の裾は濡れ、手足の指先が冷たくなっていく。周りは木々に囲まれていて、雪深さも増していた。 (銀花(ぎんか)様とお友だちの、黒鴉(くろあ)様……銀花様があんな風に気さくにお話されているのは、水月(みなづき)様だけかと思っていたけれど、)  自分に対する銀花の態度と水月や黒鴉に対する態度が違うことに、楪は少なからず困惑していた。銀花はいつも優しく穏やかな口調で楪と会話をする。  しかし水月がやって来た時はどこか雰囲気が違った。たった十日程度の関わりしかない自分と、その何十倍何百倍もお付き合いのあるだろう水月たち。 (なんだろう……心臓が痛い……)  ずきずきと胸のあたりが痛い。病気だろうか。しかし銀花の神気が流れる今、病気にはならないと聞いていたのに、この痛みは本当になんなのか。不安から暗い感情が襲ってきて、気付けばその場に膝を抱えて蹲っていた。 (儀式を終えたあの日から、一度も一緒に夜を過ごしていない)  三晩かけて行われた初夜の儀式。途中から朦朧としてしまい、気付くと昼になっているという失態を繰り返す始末。  知らないうちに儀式は完遂していたようで、銀花は気にする必要はないと言ってくれたが、花嫁としてなにもできていないことに落ち込む。  今日も暗い顔をしていたかもしれない自分を気遣って、気分転換になればと銀花が外に連れ出してくれたのだ。先ほどまでは雪に夢中になって楽しく遊んでいたはずだった。  頬に触れてくる柔らかい襟巻きの心地好さに癒される。なんだか銀花に抱きしめられているようで、暗くなっていた心が満たされた気がした。 (あんなによくしてもらっているのに、我儘を言って銀花様を困らせてはいけないよね、)  大切にしてもらっているのに、こんなことで沈んでいては申し訳ないと楪は顔を上げる。いつも貰ってばかりで、なにも返せていない。  銀花は返さなくてもいいと言うが、これでは本当に嫌われてしまう気がした。せめて少しでも早く真の番になれたら、銀花の役に立てる気がする。穢れ、という毒が銀花の身体を蝕んでしまう前に。 (でも私に、そんな力が本当にあるのかな?)  花嫁の役目は、山神がその身に宿した穢れを浄化すること。もう十五年もこの地の穢れを宿し続けている銀花の身体。いったいあとどれくらいの猶予があるのだろうか。  せっかく襟巻きに癒されたはずの心が再び沈んでいく。銀花のことを慕う気持ちだけでは駄目なのだろうか。好きとは違う気持ち? それはどういう感情なのだろう。 (悲しいも、寂しいも、痛いも、知ってる……楽しいや嬉しいも、銀花様がくれた)  なにかが足りないのだと、自分でもわかっている。でもそれがなにかがわからない。銀花は知っているのだろうか? そんなこともわからないのか、と呆れられてしまうかも。  だが楪にとって感情は、今まで必要のないものだっただけにどうしたらいいかわからないのだ。 (……今、なにか)  耳にふと聞こえてきた声。  助けを求めるような子どもの声が、聞こえた気がした。 (こんなところに子ども? 迷子かな?)  立ち上がり、きょろきょろとあたりを見回す。銀花に声をかけようと思ったが、思いの外離れてしまっていた。自分の声では届かないだろうと考えた末、声のした方へと足を向けた。  それに大事な話をしている気がする。聞き間違いかもしれないのに、邪魔をしてはいけないとひとりで確かめに行くことにした。  雪がふわふわと空から舞うように降ってくる。まるで白い小鳥の羽根のような雪が楪の髪の毛や羽織を白に染めては溶けていく。ひとり分の足跡だけが白い地面に残され、そこに新たな雪が積もっていく。森の奥へ進んで行く度に視界がだんだんと悪くなっていき、楪は思わず足を止めた。 (どうしよう……前が見えない)  山の天気は変わりやすいから、と銀花に言われていた。あの場所からそんなに離れていないはずなのに、気付けば前も後ろも真っ白でなにも見えない。かろうじて木々の影は見えるが、このままでは楪自身が遭難してしまうだろう。 (でも、声はあっちの方からする……行かないと)  行って自分になにができるだろう。迷子がふたりになるだけかもしれない。でもこの声の主もひとりで泣いているかもしれない。まだ幼い子どもの声。助けて、と呼んでいるその声を無視することなどできない。  ぎゅっと襟巻きを両手で握りしめ、楪は声のする方へ向かって歩き出す。雪に足を取られて転びそうになりながら、視界の悪い吹雪の中を進んで行く。 (……もう少し、あの先から聞こえる)  そう感じて一歩を踏み出したその時、楪の身体が前のめりに傾ぐ。 「……え?」  地面から足が離れるような浮遊感が楪の全身を震わせた。真っ白なセカイに放り出されたその身体が反転する。白い空を見つめながら深い谷底へゆっくりと落ちていくような感覚。手を伸ばしてもなにも掴めず、思考が止まる。 (銀花様……)  薄れゆく意識の中で浮かんだのは、はじめて差し伸べられた右手。あの時の美しい鈴の音が、耳の奥でリンと鳴った気がした。

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