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二十八、どうして?
全体的に赤黒く、異様に伸びた三本の指。蛭子 は奇形の両手を広げて目の前の者に翳した。先ほどまで普通に話していたのに、どうしてこんなことになっているのか。どうしてどうでもいいはずの他人を救おうとしているのか。どうしてこんなに必死になっているのか。
「……なんで、ボクは、」
こんな醜い姿を晒してまで、なんの関わりもない人間を?
「……わ、たし、は、」
「目は開けるな。そのままじっとしていろ」
瞼が震えて、ひとの子が意識を取り戻そうとしていることに気付き、蛭子は忠告する。しかし聞こえていないのか、その瞳がゆっくりと開かれていく。咄嗟に腕を引っ込めようとしたが、今やっていることを途中で止めてしまえばせっかくここまで施したすべてが台無しになるだろう。
「悍ましいものは見たくないだろう。三度は言わないぞ、面倒くさい」
見るな。
目を開けるな。
しかし蛭子の願いは叶わず、その瞳に自身の忌々しい両手が映り込む。
「……私、は、楪 って、いいます」
「は? 名前なんて訊いてないし」
自己紹介なんてしている場合ではないだろう?
己の身がどうなっているのかわかっていないのだろうか。
楪、という名のひとの子の身体は、今、黒く染まり出していた。蛭子は楪を蝕む穢れを喰らい侵食を抑えているが、すでに首の辺りまで蝕まれている。
「……あなたを怖いとは思いません……悍ましいなんて、思いません……助けてくださり、ありがとう、ございます……」
助けてなどいない。
ありがとう、とか意味がわからない。
「お前、なんで穢れを受け入れた?」
なぜそう思ったのかはわからない。自然と、頭に浮かんだ。なぜ、どうして。
わからない。
どうして自分のチカラが穢れを喰らうと知っていたのか。あの穴の中で、この身は穢れを生んでいたのではなかったのか。思い出せそうで、思い出せない。だが、なぜ楪がこうなってしまったのかは理解できた。
「……これが穢れ、なんですね……たくさんの、痛みや苦しみ、悲しみを感じます……」
「こんなものに同情する必要はない。これは弱き者を惑わせ、唆し、寄生するケダモノと同じ。こいつらの言葉はすべて偽り。そんなモノに騙されて馬鹿みたい」
イライラする。
あの鴉に纏わりつかれているのと同じくらい、腹が立つ。今までそんな感情、なかったのに。存在すらしなかったのに。ただ、薄暗い岩の天井を眺めながら搾取されていたあの頃には、考えられないような。憤りとも違う、なにか。
「お前は自分が死にそうなのに、どうでもいいモノの心配なんてして、本当にバカなの?」
横たわったまま、ほとんど身動きもできない。そんな状態だというのに。
「…………ぎ、んか……さ、ま…………」
「おい、」
か細い声がだんだんと聞こえなくなって、やがて再び閉じられた瞳。
「おい、眠るな」
翳していた手を下ろし、その場に膝を付く。ぴくりとも動かなくなった楪の肩に長い袖に隠した指先で触れようとしたその時、
「触れるな」
突然、自分たち以外の声が上の方から降ってきた。蛭子が声のした方を見上げると、凍てつくような冷たい金眼が、薄暗闇でぎらりと鋭く光っているように見えた。
「お前が、楪を穢したのか?」
「……さあ。ボクは知らないよ」
怒りに満ちた眼。今はなにを言っても通じないだろう。しかし蛭子は負けじとその金眼を見据えた。なんだか癪に障る。腹が立つ。こいつ嫌いだ、とあからさまに不機嫌そうな顔で睨んでみせた。それはどうやら目の前の者も同じだったようで····。
お互い、一歩も譲らないという意味のない無言の小競り合いが始まろうとしていた。そんな一触即発な均衡をぶち壊したのは、遅れてひらりと舞い降りてきた黒髪の青年だった。
「ちょっと待った! そんなことしてる場合じゃないだろ? この子は俺が、銀花はその子をなんとかしてあげるのが先!」
「言われなくてもわかっている。さっさとここから失せろ」
「楪はボクが助ける。お前はなんだ? 遅れてきたくせに偉そうに言うな」
「待った待った!」
ひょいと蛭子の脇の下に手を伸ばして小さな身体を抱き上げると、黒髪の青年、もとい黒鴉は慌てて距離をとった。
「後で弁解はするから、俺たちは先に帰る! じゃあまたな〜」
「勝手に決めるな。ボクはお前のところには帰らない。ボクなら穢れを消せる」
「あの子は大丈夫だ。そこの怖い顔のお兄さんがなんとかするから」
そう言って、白銀髪の青年に視線を向けながら岩陰からそそくさと出ると、逃げるように翼を広げて空へと舞い上がった。だんだんと遠ざかっていく景色に、蛭子は唇を噛み締める。暴れても仕方ないと、抱えられたままの状態で、ただ大人しくしているしかなかった。
「なんか新鮮な気分」
黒鴉がにっと笑って見下ろしてくる。言葉を交わす気はなかった。
「あの子がそんなに気に入った?」
揶揄うような口調で。
「俺からは逃げたくせに?」
どこか寂しげな声音で。
「……あの子はバカでお人好しだけど喧しくない。お前は鬱陶しくて煩くてキライだ」
「あはは〜。そっか。友だちができて良かったな。元気になったら一緒に会いに行こ」
「ともだち、じゃない…………けど、会いに行く」
なぜだかわからないけれど、そこは素直に答えてしまった。返ってきた答えに満足したのか、黒鴉はそれ以上はなにも言わず、蛭子はもう二度と戻る気のなかったあの社へと、再び連れ帰られてしまうのだった。
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