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四十五、約束

 色の染まった葉を見上げ、赤子の小さな手のような形の紅葉を摘む。黒鴉(くろあ)はにこにことわかりやすく上機嫌な顔で、蛭子(ヒルコ)の綺麗に編まれた髪の毛の結び目に飾った。最近はだいたい左右ひと房分を三つ編みにし、後ろでひとつにまとめて残った髪の毛と一緒に背中に垂らすのが定着していた。 「なに? そんな葉っぱをボクに飾ってなにが楽しいんだ?」 「楽しいよ? それに、蛭子にはやっぱり赤が似合う。すごく綺麗だ」 「……ばっ、ばか! 近い! 離れろっ」  ずい、と顔を近づけて。しかし接近を拒否するように両手で覆われた。 「ぶっ。照れてる、可愛い〜」 「照れてない! あっちいけ」  はいはい、と黒鴉は半笑いしながら屈めていた腰を戻し、その髪の毛を飾る紅葉と同じくらい真っ赤になっている頬に満足する。  ぷいと顔を背けるように自分を視界に映さないようにしているが、黒鴉の反応が気になるのか視線があっちこっちに泳いでいた。 (いつになったら素直に受け入れてくれるのかな? 俺も銀花のことをとやかく言えないかもね)  好きな子に手を出さないとか。今までなら考えられないことだ。銀花が楪の気持ちの準備ができてからと言っていた時、さっさとやっちゃえばいいじゃんなどと焚き付けた黒鴉としては、信じられないほど慎重に進めているつもりだ。 「……楪たちがここを離れるって本当なの?」 「ん? もしかして水月(みなづき)様から聞いた? 離れるっていっても、ずっと先の話らしいよ? 穢れの元凶であるあの蠱毒の穴が完全に浄化できたらと、あのおちびちゃんが一人前になったらって言ってたし」  そう……、と少しほっとしたような表情で見上げてくる蛭子。楪や水月には懐いていてなんでも話しているようだ。でもさっきのような反応をするのは自分にだけ。それってつまりそういうことじゃないの? と黒鴉はいつも思うが、口付けさえ許されていないのも事実。 「あの子を留めておきたいなら、蠱毒の穢れを食べるの止める?」 「なんでそんな意地悪なこと言うんだよ」 「意地悪じゃないよ。蛭子は少しくらい我儘言ったほうがいいよってこと」 「……止めない。だってあそこを浄化できたら、もう山神も花嫁も必要なくなるって言ってた。それってつまり、楪がただの番として銀花と一緒にいられるってことでしょ? 穢れを受け入れて浄化しなくても良くなるなら、その方がいいに決まってる」  そっか、と黒鴉は蛭子の頭を撫でる。そのために、蛭子は自分の本来の役目を果たそうとしているのだと。もちろん知っていて言った。それに対しての答えもわかっていた。銀花と楪がここを離れるのは一時的にだということも知っている。外のセカイがどんなものかを良くも悪くも知るために、色んな場所を巡るのが目的なのだ。 「俺は蛭子の願いを叶えるだけ。嫌になったら止めればいいし、続けるのなら協力するよ。蛭子が消えないように監視するのが俺の役目だからね」 「……消えたりしない」 「うん、知ってる」  見上げてくる紅玉色の瞳。顔の右側を覆う痣はもう本人も気にしていない様子で、少し前に綺麗に切り揃えてあげたのだ。変わらないのは身長くらいで、未だ十歳前後の姿。あれから長い時間を共に過ごしてきたが、その反応はいつまでも黒鴉を喜ばせてくれる。 「これからもずっと一緒にいようね、」  そっと抱き寄せて、その小さな身体を自分の腕の中に閉じ込めて。  一生放さない。 「一緒に、たくさん楽しいことしよ?」  普段はふざけて誤魔化していたけど。  愛している、と伝えるにはまだ早いから。 「好きだよ、蛭子。これから先もずっと俺が監視してお世話してあげるから安心して?」  甘く、耳元で囁くようにそう言って。 「……なにそれ嫌だ」  本当に嫌そうに蛭子は言う。きっとその顔も歪んでいることだろう。でも放してやらない、と黒鴉はそのまま片腕で抱き上げ翼を広げた。 「俺からは一生逃げられないから、覚悟してね?」 「怖いし嫌すぎる……」 「はは。ありがと〜」  そう言いながらも、黒鴉に身を任せ大人しくしている蛭子。温度のない身体なのに、満たされる。こうやって触れている時も、ただ言葉を交わしているだけでも、楽しい。 「……黒鴉は、なんでボクなんかに固執するんだ? 他にそういうひと、いないの? 」 「…………今、名前、呼んでくれた?」  はじめて、名前を呼ばれた。  それが衝撃的すぎて、その後の問いなどどうでも良かった。 「な、なんでそこが気になるんだ? 別に今までも……呼んで、」  言いかけて、蛭子も「あれ?」という顔をした。それはその通りで、楪たちの前では「あいつが」とか「黒鴉が」と口にしていたが、本人の前では一度も言ったことがないかもしれない。ずっと「お前」とか「バカ鴉」と呼んでいたかも? 「もっと呼んで? もう一回呼んで? ねえねえ?」 「う、うるさい……バカ鴉! あっち行けっ」 「それ可愛いな〜。好きすぎる。蛭子も俺のこと好きでしょ? それとも嫌い?」 「べべべ別に、…………き、らい、じゃな……っ」 「じゃあ好きってこと?」 「し、知らない……っ」  そっか、と黒鴉はにっと笑って蛭子の唇に自身の唇を落とした。澄んだ青空のど真ん中で。このまま地面に真っ逆さまに落ちたとしても構わない。  きゅっと閉じて一生懸命に拒否していた唇が少しずつゆるくなって、躊躇いながらも自分を受け入れてくれるのが、たまらなく愛おしい。  軽くで済ますつもりがどんどん深くなっていく口付けに、慣れていない蛭子の息が荒くなり、うっすらと涙が瞳に浮かんでいた。  約束する。  絶対にこの手を放さないと。  自分がいなければどこにも行けないようにして。  ひとりではなにもできないようにして。  小さな箱庭の中で共に生きていこう。 「俺のお嫁さんになって?」 「…………やだ」  はは、と黒鴉は笑って、それ以上はなにも言わなかった。自分たちはこれでいい。そう思えるくらい、このやりとりはいつも通りすぎて。あと何回、何十回、何百回でも言える。いつか蛭子が応えてくれたなら、それでいい。 「じゃあ、いこっか」  頬をふくらませたまま腕の中に抱かれている愛しい存在に、黒鴉は優しく微笑んだ。

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