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第六章:其の四:熱風もまた、冷のうちなり
***荻窪の日常***
ぶうううん。
扇風機の音だけが響く夜。
荻窪は一気に書き終えたことで、大きく息を吐き出した。安堵と、あの掛け軸の物の怪はどこに行ったんだろうとその先を考えてみる。そうでもしないと、高梨にあの汗を掬い取られた熱を忘れられないからだ。
からかうつもりが逆にからかわれることになるとは。
そんな高梨の行為にすら鼓動が高鳴ってしまう。
自分のすることが彼にも移るほどに、一緒にいただろうか、とふと思う。
「高梨くん?」
──もう帰ってしまっただろうか。
執筆しているとき、高梨はそぅっと物音を立てずに姿を消すことがある。気づかれないように、執筆の手を止めないように、静かに荻窪家から帰っていくのだ。
ひと言あってもいいものを、といつも思うのだが、そのひと言が思考の妨げになると言い張って聞かない頑固さもまた高梨だ。
荻窪が振り返って見たその先には、いつの間にかお盆で持ってきてある冷たいお茶と、すっかり冷たさを失った水滴がたくさんついたグラスだ。
そしてもう一つは、空っぽになったグラスが無造作に置かれていた。
その先には、先程汗を拭き取った指先、夏なのに日焼けしないんだとこぼしていた白い腕、まくりあげた袖、白いシャツのボ釦は胸元をいつもよりも少し大目にあけて、すやすやと眠る高梨の姿があった。
ぶううううん。
扇風機の音がする。
荻窪は、そんな高梨の姿をただ、ただ、呆然と見るしかできなかった。
──眠っている。
彼は静かに息を吸い吐いて、ゆっくりと眠っていた。
これではなにも出来やしない。
荻窪は自嘲気味に笑いを漏らす。安心の枠に収まった小動物のように、高梨は小さな寝息を立てているのだ。
こんな無防備な姿を自分の前にさらけ出せること自体が、荻窪にとって苦笑であり、それと同時に安堵の象徴でもある。
まだ、高梨には気づかれていないと思いたい己の中にある欲望を。
──熱風もまた、冷のうちなり。
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