38 / 61
第十章:其の二:淡く果てるや、燃ゆ心
***荻窪の日常***
寝間着にと貸した荻窪のそれは、高梨には少し大きいようで、やや困ったように合わせを両手で掴んでいた。
ぽたりと髪の毛から落ちる雫に、男は思わず視線を奪われる。どこを見ているのかと視線を外せば、ふと、彼の紅をさしたかのような頬が飛び込んできた。
「荻窪先生、これ、僕には少し大きいようで……、」
とあたふたしている姿が目に入る。
いつもなら、「いとをかしだね」なんて軽口も叩けるはずが、今日に限っては出てこない。
高梨には何度か着物を貸しているが、自身の寝間着を貸すというのは、また違った風合いがある。
自分が普段身につけている寝間着を着ているという事実が、眼の前に突きつけられて生々しかった。
いつもの色白の肌は、湯によって温められてほんのりと淡く色付いて。焦る姿はそれとはまるで違って純朴で。
心の奥に眠っていた何かが顔をもたげそうになる。
ごくりと喉を鳴らしてしまった荻窪は、慌てて視線を逸らすと「温まれたようで良かったよ」と、ただ早口でそう返すしかなかった。
「先生も、お風呂をどうぞ。僕が先にいただいてしまって申し訳ありません。」
申し訳なさそうな声が聞こえたかと思うと、高梨は、す、と卓袱台(ちゃぶだい)の前に座った。そして、手拭いで丁寧に自分の髪を拭き始める。
きっとこれは彼がいつもやる髪の乾かし方なのだろう。丁寧さが指先から髪の毛へと伝わって、彼の細い髪の毛が傷んでいなかった理由が分かる。
これが、後ろ髪を引かれるというやつか、と荻窪はちらりと盗み見る。ばちりと目が合って、困ったように微笑まれた。
──まいった。
これは完全にまいった。
荻窪は自分の選択を否定したくなる。
こんなにあの粗野な青年が変わるものだろうか、意図せずしているのなら、相当なものだろう。
自らへの戒めか、あるいは防壁か。荻窪はかねてより、妖艶な婦人が好みだと広言していたが……、高梨のそれは思っていた以上に艶めいていた。
ただ手拭いで髪の水分を拭いているだけなのに、やたらと目のやり場に困る──色白だと気にしている首筋のせいか、それとも──自分の中にあるやましい想いのせいなのか。
「高梨くん、それじゃ、私も入ってくるから、眠くなったら先に寝てていい。場所は知っているだろう?」
やや早口になってしまった荻窪に、高梨は髪を拭きながら、ちらりと視線を向けた。
「はい。でも、お待ちしていますよ。」
先に寝ててくれたほうが、いいのだけれど。なんて、口が裂けても言えない荻窪は、またもやここで喉を鳴らして、風呂場へと逃げ込んだ。
***荻窪の過去──親友の話***
自分が戦地に行くと決めたとき、母は心配と怒りと、悲しみがない混ぜになった感情を顕に泣いた。
お国のために、そう言って戦場に向かった若者は、今もなお戦っているのか、それとも。
男は賭けたかった。
自分の命をそんな軽々しく扱うものではないと、学生時代の親友に眉根を寄せられる。そう分かっていても。
生きて帰ることができたなら、この先も自分は彼の隣にいることができるだろう。
無骨で優しくて、無口で瞳は雄弁で、美丈夫なのにどこかだらしない、そんな男に。
乱れた黒髪で無精髭を生やした男に、抑えきれずに想いを告げたあの初夏。
本当はそんなことを言うつもりではなかったのに。
ただ、自分を見つめてふわりと微笑んだその切れ長の瞳が、あまりにも優しくて。
「俺、お前のことを好いている。」
ぼそりと落ちた。
その瞬間の親友の顔はきっと忘れられないだろう。
好きだった黒目がちの切れ長の瞳を見開いて、自分を凝視していた。
なにかを言おうとして、言葉を飲み込んで。
困ったように、戸惑うように自分から、視線を逸した。
ともだちにシェアしよう!

