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第十章:其の二:淡く果てるや、燃ゆ心

 ***荻窪の日常***  寝間着にと貸した荻窪のそれは、高梨には少し大きいようで、やや困ったように合わせを両手で掴んでいた。  ぽたりと髪の毛から落ちる雫に、男は思わず視線を奪われる。どこを見ているのかと視線を外せば、ふと、彼の紅をさしたかのような頬が飛び込んできた。 「荻窪先生、これ、僕には少し大きいようで……、」  とあたふたしている姿が目に入る。  いつもなら、「いとをかしだね」なんて軽口も叩けるはずが、今日に限っては出てこない。  高梨には何度か着物を貸しているが、自身の寝間着を貸すというのは、また違った風合いがある。  自分が普段身につけている寝間着を着ているという事実が、眼の前に突きつけられて生々しかった。  いつもの色白の肌は、湯によって温められてほんのりと淡く色付いて。焦る姿はそれとはまるで違って純朴で。  心の奥に眠っていた何かが顔をもたげそうになる。  ごくりと喉を鳴らしてしまった荻窪は、慌てて視線を逸らすと「温まれたようで良かったよ」と、ただ早口でそう返すしかなかった。 「先生も、お風呂をどうぞ。僕が先にいただいてしまって申し訳ありません。」  申し訳なさそうな声が聞こえたかと思うと、高梨は、す、と卓袱台(ちゃぶだい)の前に座った。そして、手拭いで丁寧に自分の髪を拭き始める。  きっとこれは彼がいつもやる髪の乾かし方なのだろう。丁寧さが指先から髪の毛へと伝わって、彼の細い髪の毛が傷んでいなかった理由が分かる。  これが、後ろ髪を引かれるというやつか、と荻窪はちらりと盗み見る。ばちりと目が合って、困ったように微笑まれた。  ──まいった。  これは完全にまいった。  荻窪は自分の選択を否定したくなる。  こんなにあの粗野な青年が変わるものだろうか、意図せずしているのなら、相当なものだろう。  自らへの戒めか、あるいは防壁か。荻窪はかねてより、妖艶な婦人が好みだと広言していたが……、高梨のそれは思っていた以上に艶めいていた。  ただ手拭いで髪の水分を拭いているだけなのに、やたらと目のやり場に困る──色白だと気にしている首筋のせいか、それとも──自分の中にあるやましい想いのせいなのか。 「高梨くん、それじゃ、私も入ってくるから、眠くなったら先に寝てていい。場所は知っているだろう?」  やや早口になってしまった荻窪に、高梨は髪を拭きながら、ちらりと視線を向けた。 「はい。でも、お待ちしていますよ。」  先に寝ててくれたほうが、いいのだけれど。なんて、口が裂けても言えない荻窪は、またもやここで喉を鳴らして、風呂場へと逃げ込んだ。  ***荻窪の過去──親友の話***  自分が戦地に行くと決めたとき、母は心配と怒りと、悲しみがない混ぜになった感情を顕に泣いた。  お国のために、そう言って戦場に向かった若者は、今もなお戦っているのか、それとも。  男は賭けたかった。  自分の命をそんな軽々しく扱うものではないと、学生時代の親友に眉根を寄せられる。そう分かっていても。  生きて帰ることができたなら、この先も自分は彼の隣にいることができるだろう。  無骨で優しくて、無口で瞳は雄弁で、美丈夫なのにどこかだらしない、そんな男に。  乱れた黒髪で無精髭を生やした男に、抑えきれずに想いを告げたあの初夏。  本当はそんなことを言うつもりではなかったのに。  ただ、自分を見つめてふわりと微笑んだその切れ長の瞳が、あまりにも優しくて。 「俺、お前のことを好いている。」  ぼそりと落ちた。  その瞬間の親友の顔はきっと忘れられないだろう。  好きだった黒目がちの切れ長の瞳を見開いて、自分を凝視していた。  なにかを言おうとして、言葉を飲み込んで。  困ったように、戸惑うように自分から、視線を逸した。

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