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第十一章:其の一:蒼く染まりゆく、かの道小道

 モダンガールが膝丈のスカートを履き、ガラスの靴を履いて街を歩く姿が見られるようになり、モダンボーイがカフェーで珈琲を飲みながら、煙草をふかしていた、そんな時代──。  もそりと、布団の中で寝返りを打ったのは高梨だ。  少しばかり離して布団を敷くと言い張る荻窪に珍しく抗(あらが)い、頑(かたく)なに譲らなかったのは……すぐ隣に布団を敷くという行為だった。  同じ部屋に寝るならどちらにしても同じことだろう、という荻窪に対して、はっきりと「違います」と意志を述べる。  結局のところ根負けするのは荻窪のほうだ。  ぴたりと布団を付けて敷かれた分、お互いの息遣いまで聞こえてくる距離だ。寝返りひとつ、呼気ひとつ、聞き逃さないようにしていなくても、聞こえてしまう。  どうしたものか、このままでは眠れやしない、と天井を見つめていた荻窪は、ふと高梨が自身の横顔を見つめていることに気がついた。 「どうしたんだい? 眠れないのかい?」  高梨の視線に合わせるように、荻窪がやや横を向く。 「先生が起きていらっしゃったので、なにを考えているのかと思って……。」  声をかけるでもなく、ただ見守っていたのだという。深夜だからなのか、高梨の声は囁(ささや)きの吐息交じりだ。 「そんなことくらい……声をかけても良かったんだよ。」  荻窪も高梨と向き合うように寝返りを打った。荻窪も合わせて囁(ささや)きになってしまう。その低い声がより一層色香を強めるということは、自身はまったく気が付いていなかった。  薄闇にぼんやりと見える高梨の顔が、よく見えない。一度受け入れてしまったことで、荻窪の心の堰(せき)は決壊し、触れたいという気持ちを隠せなくなってしまった。  手を伸ばして、高梨の頬に触れる。  滑らかな感触と、自身の無骨な手のひらが、がさついていることに気がついて、「痛いかい?」と問うた。  高梨はそんな荻窪の手を逃がすまいと、そっと重ねる。ゆっくりと首を振り、ねだるように寄り添ってきた。 「もっと撫でてください、先生。」  ゆるりと瞳を閉じる。まるですべてを荻窪に託すかのように。  頬を撫で、髪を撫で、そのまま首筋を撫でる。  無骨な自身の指が、こんなふうに高梨に触れるとは、思ってもいなかった。  うっとりと目を閉じて、荻窪に身を任せる。そっと身体を寄り添わせ、安心したように笑みを浮かべた。  いつも見せていた編集者としての「顔」と私的な「顔」がこんなにも違う。  ──布団を二組敷く意味があまりなかったかもしれない。  荻窪はそう思いながら、擦り寄って来る高梨を自身の布団へと招き入れた。 「先生、僕の頭、重くないですか?」  いつの間にか腕枕で寝ていた高梨が、ちらりと荻窪を見上げる。  先生、と呼ばれるたびになにか悪いことをしているような、そんな気持ちになるのはどうしてなのだろう。 「いや、重くないから大丈夫だ。気にしないで、眠りなさい。」  なだめるように、そっと背を打つ。薄い寝間着の質感を通して、高梨の肌から薄い筋肉までが、荻窪の手のひらに伝わってきた。 「先生、僕、子供じゃないですよ。」  と笑う高梨の声はすでに、眠たそうにぼんやりとしている。  眠たげな貌(かお)は、幼き頃と大差ないのかもしれない。……だが、その体躯(たいく)は紛れもなく、成熟した男のそれであった。  誰がこんな高梨を知っているだろう。明朗活発な高梨が、こんなに無防備な姿を見せるなんて。  荻窪は困ったように天井を仰ぐと、今夜はとてもではないが眠れそうにないな、といまだ降りやまない雨の音に耳を澄ませた。  雨はいまだ降り続く、夜の静けさを割くように、雨音を散らしていた。  ***荻窪の過去──親友の話*** 「お前、荻窪康路(やすみち)って言うんだろ?」  初対面から不躾な男だったのは、親友だった雄二郎だ。いつも寡黙な荻窪を捕まえて、唐突にそう言い放った。  雄二郎の幼馴染だという香世という定食屋の娘がそこにいなければ、喧嘩になっていたかもしれないほどの、不躾さだった。香世が慌てて雄二郎を止めに入る。 「やめなよ、ゆうちゃん。あんたいっつもそうやって喧嘩売って歩いて。」 「はぁ? これのどこが喧嘩だって言うんだ?」  香世のそれがなければ、荻窪も売られた喧嘩は買ってやろう、と応戦していたかもしれなかった。  まだ十代後半のことだ、血気盛んなのは致し方ない。 「なんなんだ、あんた。」  荻窪は掴まれた首根っこを擦ると、雄二郎を見下ろした。もともと大柄な体躯をしている荻窪にとって、雄二郎は自分より小柄な男に見えたものだ。 「お前、いつも一人でいるから声かけてやろうと思ったんだよ。」  それにしては随分と乱暴な声のかけ方だな、と思わざるを得ない。 「悪いが、理解し難いな。」  振り解いて先を行こうとする荻窪に、更に食いついてきた。肩に掛けていた外套を鷲掴みされ、荻窪の眉根に皺が寄る。手を離せ、と振り払おうとしたとき、雄二郎が不満げに睨みつけてきた。  掴まれた部分が、厚手の外套(がいとう)に皺を刻む。  荻窪は掴まれたところに視線を向けると、きつく眉根を寄せた。 「お前のそういうところだよ、少しは溶け込もうとかいう気持ちはないのか?」  きゃんきゃん騒ぐ子犬のようだな、と思いながら見下ろした荻窪は、ついと香世を見やる。いかにも迷惑だ、とでも言いたげな目線が真っ直ぐに香世を突き刺した。 「あんたの知り合いなら、少しは手綱を握っててくれないか。」  余計なことに絡まれるのはごめんだ、荻窪は今度こそ振り返らずに歩き出した。

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