55 / 61
第十四章:其の三:濡れる睫毛、淡く消ゆ
***荻窪の現在***
高梨は重く息を吐き出した。
雄二郎と荻窪の関係は、強く結びついていたということがよく分かる。
遠い目をして話す荻窪でさえ、まるで雄二郎の傍にいるかのように遠くに感じた。
荻窪が手の甲で涙を拭うと、高梨を見やる。
「きみにこんな姿を見せたくはなかったんだが……。」
戸惑うような声色でそう告げると、すぐにまた視線を落とした。いまだに雄二郎の話をすると胸が締め付けられてしまう。
涙が勝手に溢れてしまう。
大事な親友を失ったこと、彼の気持ちに答えを出してあげられなかったこと、それらすべてが荻窪にとって最大の後悔だった。
「先生、僕は……、僕は彼に似ていますか?」
震えた手が、荻窪の袖を掴んだ。縋り付くような顔で荻窪を見つめる。
答えは決まっていた。
「いや、似ていないよ。雄二郎と高梨くんは、似ていない。」
その答えを聞いた高梨が、更にきつく袖を掴んだ。今度は両手で、ぐい、と引っ張るように。
「でも、あの写真は……、僕と瓜二つでした。」
す、と上げた顔は泣いてはいなかった。声も手も震えていたけど、高梨は泣いてはいない。
「繕わなくていいって言ったじゃないですか。」
そう言って、今度は薄く微笑んでみせる。
その笑顔は、荻窪から見れば泣き顔にしか見えなかった。抱きしめて、「似ていないから、きみに魅了されたんだ」と伝えても、きっと心までは届かない。
それほど高梨の心はいま、閉ざされていた。
──繕ってなどいない。
どんな言葉を使えば高梨の心まで伝わるのか、荻窪には分からない。なにが作家だ、と歯噛みする。
「先生が、お好きだったのは雄二郎さんだったんですね。」
沈黙を肯定と捉えた高梨が、もう一度笑った。
思わず手を伸ばして掴みたくなるような、儚い笑顔だ。行かないでくれ、と、恥も外聞もなく縋りつきたくなるような、そんな笑顔。
その笑顔は、荻窪から見れば、今にもひび割れて砕け散ってしまいそうな、硝子の細工物に似ていた。
***荻窪が語る過去***
あれは二人で飲んでいた日のことだ。
いまは納戸になっている部屋は、よく家に入り浸っていた雄二郎が好んで使っていた部屋でね。
その日もその部屋で飲んでいた。
あの頃は、私もお酒を嗜(たしな)んでいたんだ、いまは飲まないがね。
いろいろ語り合っていた。
雄二郎が戦地へ立つことが分かっていたから、しばらく会えないだろうと、名残惜しくてね。
いまは書斎になっているが、あの頃は書斎ではなくて、私の私室だったんだよ。
当時から庭を眺めるのが好きだったんだ。
あの家は両親が私に遺してくれたものでね、祖母も亡くなったあと、私はあの家に一人で住んでいた。
必然的に雄二郎は私の家に入り浸りだった。
いつも好んで着ていたのはね、書斎にあるだろう。衣桁(いこう)に掛かっている、あの濃紺色の絣(かすり)の着物だった。あれが彼のお気に入りでね、それこそ、それしか着ていないのではないかと思うほどだったよ。
納戸に置いてある着物は、雄二郎が持ち込んだものの、ほとんど袖を通していないものばかりだ。
色が気に入らないだの、がらがよくないだのと言っては、私の家の行李に押し込んでいっていたよ。
いまとなっては、雄二郎の遺品になってしまったがね……。
着物くらいは、雄二郎のご両親にお返ししなくても良いかと思って、置いてあったんだ。
そんなときだったよ。ふと、雄二郎が黙り込んだ。
どうしたのかと思って様子を窺えば、思い詰めたように杯を握りしめていた。
「雄二郎? どうしたんだ、お前。」
くすりと、私が笑ったんだ。
そうしたら、突然。
「俺、お前を好いている。」
そう言ったと思ったら、お酒の酔いよりも顔を紅くして走って自分の家に帰っていってしまった。
私は……、私はどうしたら良かったんだろう。
あの頃、雄二郎が持ち込んでくれたものは、光り輝いていた。
青春そのものだった。
だけどね、それが恋だったのかと問われれば、私には分からないんだ。
出せない答えを抱えたまま、雄二郎は戦地で生命(いのち)を散らし、私はここに留まっている。
ともだちにシェアしよう!

