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第十四章:其の二:濡れる睫毛、淡く消ゆ

 ***荻窪の現在*** 「雄二郎さんは、先生になんて言ったんですか?」  高梨の声が震えた。浴衣の膝に置いた手が、震えている。俯いたままの顔からは表情は見えなかったが、それらすべて、身体が物語っていた。 「──俺は、お前を好いている。」  荻窪の躊躇うような低い声が、はっきりと紡ぐ。  何年もの間、自分にかかっていた呪いのようだったその言葉を口にするのは、正直なところ躊躇われた。 「それが、雄二郎と交わした最後の会話だ。」  ぐ、と喉が詰まる。  答えてやれなかった思いが先に立つ。話を続けなければ、そう思うのに、言葉を紡げない。 「それで雄二郎さんは……?」  高梨の遠慮がちの問いは、荻窪の涙を落ち着けてくれるのには十分だった。 「亡くなった、と聞いた。」  は、と息を呑む音と、荻窪の横顔をじっと見つめた。 「……ご遺体は帰還なさらなかったのですか?」 「爆弾が……、雄二郎たちが掘った塹壕に直撃したんだと、そう聞いている。なにも、何も残らなかったと……、そう聞いている──。」  やっとの思いでそう、荻窪が吐き出した途端、あれ以来雄二郎のために流していなかった涙が、溢れてきた。  ぼたぼたと落ちてくる涙を、荻窪は腕で隠す。  見ないでくれ、そう言いたいのに声が出ない。  高梨の息遣いだけが隣から聞こえていて、涙を止めることもできずに泣き続けるしかなかった。  ***荻窪が語る過去*** 「康路、お前、やっぱり文士になるのか?」  そんなにでかい身体してるくせに、と、どんと胸元を叩かれる。特に決めていたわけではなかったが、たまたま私が書いた怪談が編集の方の目に止まってね、書いてみるか? と誘われたのがきっかけだ。 「怪談か、お前らしいな。薄気味悪さなら、お前の右に出るやつはいないだろう!」  豪快に笑う姿は、いまでもはっきり覚えている。  人間とはあんなふうに笑うことができるのかと、私は初めてそう思ったんだ。  雄二郎との関わりは私にとって、すべてが初めてで新鮮だった。  毎日がこんなに輝いている日々は、もうないだろうと思うくらい眩しい時間だったよ。  雄二郎はね、見た目は確かに柔らかそうに見えるが、目に宿る力は誰よりも強かった。  それに、私よりも遥かに豪快でね、香世さんすらも手こずるくらい、やんちゃだったんだ。  大きな木に登って、そこから飛び降りてしまいそうな、そんな感じのする男だったよ。  だから、私は彼から目が離せなかった。  次はなにをしでかすのか、見ておかなくてはならないと思っていたからね。  庇護欲とでもいうのだろうか、同じ歳なのにね、香世さんと二人でよく雄二郎の心配をしたもんだよ。

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