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第十四章:其の一:濡れる睫毛、淡く消ゆ
塩気を含む風が吹く。灰色と金色の重厚な建物では、和洋折衷の赤い絨毯の上にゴシック調の家具が並んでいた。洋風のドレスを身に纏う女性たちが淑やかに歩く中、庶民は和服で風を切っていた。
重い沈黙とともに、二人と一匹は夕餉を終える。
白猫のちびだけはいつも通り、ごはんを食べたあとは満足げに毛づくろいして、どこか涼しいところへ隠れてしまった。
「あとは二人でなんとかしてよね」とでも言いたげに鼻を鳴らすと、するりとどこかへ姿を消す。
残された二人、荻窪と高梨は無言のままに箸を置いた。
なにか言いたいことがあれば聞いてくれてもいいだろう、そうは思うものの、言葉にはならず。いや、むしろ自分から言うべきか、と話し出そうとしても、なにを言っていいのか言葉が見つからなかった。
うつむいたまま食も進まず、結局箸を置いてしまう。 喉の奥に塊が沈殿して、飲み下すことができないような、違和感。
荻窪は確実に高梨に拒絶されている、と分かっているからこそ、言葉を出すことができなかった。
重たい沈黙は、岩のように頭上に伸し掛かる。
せめてここで、気の利いた言葉を言うことができればよかったのだが、それすらもできなかった。
「先生、もういいんですよ、繕わなくて。──この方が先生の想い人なのでしょう?」
す、と差し出された写真は、いつだったか、荻窪が写真立てから抜き取って、納戸に仕舞っていた写真だった。
七門雄二郎(ななかど ゆうじろう)が写った写真を高梨から差し出され、荻窪は奥歯をごり、と噛み締める。
納戸に置いてあった古い文机の上に置いた記憶がある、その写真は「魂が抜かれるだろう」と怒りながら写った一枚だ。
違う、想い人ではないんだ、と否定したところでそれは高梨に届くのだろうか。
「僕は、彼とよく似ていますね。」
ぽたりと、言葉が降りてきた。
高梨の表情はすべてを悟ったかのような、諦めてしまったかのような、ぼんやりとした顔をしている。
──似ていない。
それすらも喉に詰まる。
「先生、教えてください。この方はだれなんですか? 先生の……なになのですか?」
高梨は、震える声でそう、荻窪に告げた。
「きみが……、聞きたいのならいくらでも話そう。」
荻窪は居住まいを正した。
せめてこれくらい誠意を示したい、そう思ったからだ。
高梨には伝わるだろうか、雄二郎への気持ちと高梨への想いの違いを。
***荻窪が語る過去***
若かりし頃、早くに両親を亡くした私は、祖母に育てられた。いつも本を読んでいて、寡黙で自己表現が苦手な子供だったんだ。
そのまま成長してしまったから、私はいつも一人でいたし、それが楽だった。
そんなとき、雄二郎が私と友達になりたいと、声をかけてきた。
最初はとても迷惑だったんだ。だけどね、彼が私の反応に嬉しそうに笑う姿を見て、絆されてしまったのかな。いつの間にかよく話すようになっていた。
雄二郎の幼馴染にね、香世さんがいたんだよ。
香世さんは昔から姉御肌で……、いつも雄二郎の心配をしていた。
私も、無鉄砲な雄二郎は、いつもなにかしでかすんじゃないかと、気にかけてはいたんだ。
大型犬のようでね、なんだか雄二郎は放っておけなかった。
私が笑えば彼も笑う、そんなふうに私達はまるで、以心伝心しているかのようだった。
雄二郎は、私にはない光を持っていた。
校舎の窓から差し込む夕日に、彼の笑い声が溶けていくのを見るのが好きだった。
「康路(やすみち)、お前は将来、きっと偉大な文士になる。その時は俺が一番に読んでやるからな。」
そんな約束を、彼は平気でする男でね、私はそんな夢なんて遠い未来だと思っていたんだよ。
だが、季節が巡り、戦火の足音が聞こえ始めた頃……。
彼は私に、親友という言葉では収まりきらない、重い言葉を遺していったんだ。
私は、それに答えることができなかった。
いや、答えるのが怖くて、背を向けたんだ。
そのまま、彼は二度と戻らない場所へ行ってしまった。
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