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僕と士狼とお守りと

「気を付けていってきてね」  玄関からすこし離れたところに立ち、羊真(ヨウマ)士狼(シロウ)の顔を見あげる。  墨のように艶やかな髪に、俳優と見まちがうほど端正な顔立ち。  引きしまった体にチャコールグレーのスーツを纏う姿は、まさに洗練された大人の男。  彼は士狼。……羊真のもっとも大切な人。  彼は今から会社にいってしまう。  十時間ほどの別れを惜しんだ羊真の瞳が揺らぐ。  士狼の整った唇が、羊真の口で柔らかく崩れた。 「いい子で待ってるんだよ」  彼の温和な声に、羊真は安堵して静かな笑顔を見せた。  ハグを交わすと、石けんがほのかに香った。  大きな胸の中で、羊真は「わかった」と子どものように呟く。  士狼がダークブラウンの革靴を履いた。  玄関の扉を開くと、柔らかな風が入りこむ。  桜の香りをほんのりと感じた。  頼りがいのある背中。その向こうに見える青空は、少しだけ白くかすんで見える。 「いってきます」 「いってらっしゃい」  平凡な挨拶のあと、士狼が扉を閉めた。  無機質で冷たい音が鳴ったのと同時に、部屋が薄暗くなる。  『いってらっしゃい』……そう笑顔で見送ったのに、羊真は心に穴が開いたような気持ちになる。  羊真にとって、士狼がこの部屋(世界)のすべてなのだから。    ***  数年前から、一歩も外に出ない生活を送っている。  仕事はしていない。  料理や洗濯などの家事はすべてこなすが、ゴミ捨てや買い物は士狼にやってもらっている。  朝食で使った皿を片づけた羊真は、ソファに腰かけて小説の続きを読む。  このまえ士狼が買ってくれた推理ものだ。  羊真の趣味は読書だ。  昔から、この孤独で贅沢な時間が好きだった。  何度か体勢を変えながら、キリのよいところまで文字に目を走らせた。  士狼が帰ってくるまでに、部屋を清潔に整えなければ。  「よし」と張りきり、ソファから立ちあがった。  テレビや棚のホコリを払い、すべての部屋に掃除機をかける。  ダブルベッドのシーツを交換する。  洗濯ものを部屋に干し、乾いた洋服をたたむ。  羊真はふたたび休憩にはいった。  士狼に持たせた弁当の残りをおかずに、電子レンジで温めた白米を食べる。  彼がいないときの食事は簡単に済ます。  自分のためだけに、料理をする気にはなれない。  食事を終えたあと、すえ置き型のゲーム機で遊ぶ。  羊真が好きなのはスローライフゲームだ。  のんびりとした世界が、士狼がいない寂しさを埋めてくれるから。  (そろそろ、夕ごはんを作らないと)  羊真はテレビの電源を切ってキッチンに向かった。    ***  調理器具の片付けをしながら、士狼の帰りを待っていた。  玄関の鍵が開けられる音を聞くと、すぐに洗いものを中断した。  嬉々として出迎える羊真は、主人の帰りを待っていた飼い犬に似ている。 「おかえりなさい!」 「ただいま」  カバンと買いもの袋を床に置いた士狼が、扉を閉めた。  空白の時間を埋めるように、羊真は彼と抱擁を交わす。  今朝ぶりに聞く声も、感じるにおいも。羊真の心を温かく満たしてくれる。  士狼と一緒に食卓を囲む。  千切りキャベツを添えた豚の生姜焼き。  なめこと大根、豆腐とネギを入れた味噌汁。  昨日作った、きんぴらごぼうと菜の花のおひたし。  前から漬けていたキュウリのからし漬けも出した。 「美味しい?」  生姜焼きを口にした士狼に、羊真は訊ねる。 「うん、うまい」 「えへ、よかった!」  士狼に料理を褒められた羊真は、有頂天になってしまった。  夕食を終えたあと、羊真は食器を片づけて、入浴を済ませた。  先に風呂からあがって、ソファでくつろいでいた士狼の隣に腰かける。 「映画でも観る?」  士狼の提案に、羊真はすぐ頷いた。  彼は無類の映画好きだ。  動画配信サービスのサブスクリプションに加入していて、いつでも映画を観られるようにしている。  だが、羊真ひとりだけの時は、これは観ないようにと彼から言われている。  彼は、配信されたばかりの恋愛映画を選んだ。  まるで、最初からなにを観るか決めていたような速さだった。  内容をひとことで表すなら、大学生同士の甘酸っぱい恋の物語。  良くいえば王道。悪くいえばありきたり。  すれ違って、恋人になって……彼氏の家で体を重ねる。  士狼に寄りながら、羊真は映画を観ていた。  彼氏役の俳優の目もとが、どことなく士狼に似ている。  気づいた羊真は、自身の熱を冷ますように、用意していたジュースをひとくち飲んだ。  あっという間に映画が終わり、スタッフロールが流れる。  それを最後まで見届けた士狼が、再生をとめた。 「そろそろ寝よっか」  壁かけ時計を見ながら、士狼が呟いた。  頷く羊真の頬に紅が差す。  羊真のいちばん好きな時間がきたから。    *** 「羊真」  寝室のダブルベッドに座った士狼に呼ばれる。  その声には、優しさだけでなく、燃えるような情欲も感じられた。 「うん」  彼のまえで直立していた羊真は、パジャマのボタンに手をかけた。  スルスルと布の擦れる音を立て、着ていたものを床に落とす。  白皙(はくせき)があらわになる。  ろくに運動のできていない体には、少しだけ贅肉がついている。  ズボンを脱ぐと、男の筋張った足があらわれる。  爪先、ふくらはぎ、太もも……と徐々に視線を移せば、違和感が目にはいる。  黒のブリーフが、異様に盛りあがっている。  『股間部分が男子特有のモノで膨らんでいる』というのではなく、『下着のなかに、さらになにか履いている』というふうだ。  一抹の恥じらいを見せながら、羊真は下着を脱ぎ捨てた。  間接照明によって、金属がギラリと妖しく光った。  ひとことで表現するならば『鉄のパンツ』だ。  士狼が言うには、これはお守りらしい。  腰より上の位置にまわされた金属のベルトから、股間と尻を覆い隠すように、同素材の帯が伸ばされている。  ベルトと帯のつなぎ目を、金色の小さな南京錠に守られている。  羊真のオチンチンは、チューブ状の檻に閉じこめられている。  唯一、収容を逃れた睾丸は、フラストレーションで膨らんでいた。  羊真は士狼にギュッと抱きつく。 「士狼……っ」  彼の男性的な匂いを感じて、陰茎が切なさを覚えた。  士狼の愛撫を求めるように、ムクムクと膨らむ。  金属に阻まれて、無情にも性を抑えられてしまう。 「あぁっ」  火照った体を押しつけると、鮮やかな手つきで組み敷かれた。  羊真を見つめてくれる瞳は、黒曜石のように美しい。  耽溺のさなか。羊真は士狼からステキな接吻をもらった。  付きあいたての恋人のような軽いキスから、映画にも負けないような、甘ったるく激しい口づけへかわってゆく。  寝巻き越しに、士狼の熱と鼓動を感じる。 「んぁ、ん……しろぉ……っ」  とろけた啼き声を、彼が「可愛い」と褒めてくれた。 「あ……!」  下半身に手を伸ばされた。  鉄の壁が、士狼の愛撫すら(さえぎ)ってしまう。  あと少しなのに。  もどかしさに叫んでしまいそうだ。 「今日もちゃんと、いい子にしていてくれたんだ」  訊ねる声はまるで保父。 「うん……っ、いい子に、してたよ」  耳まで赤くした羊真は、もう正気でいられなかった。 「えらいぞ」  頭をなでられて、羊真は絶対的な安心感を覚える。  チューブの上からしごかれる。 「あぁ……だめぇ……っ」  羊真は快楽の手を逃れようとするが、しっかりと体を抑えられて動けない。  女の子のように喘ぎ、訴えるような目を向けても……士狼はどこか楽しそうに口角を上げるだけ。 「はぁ……はぁ……っ」  ようやく離された陰茎が、お守りのなかで強張っている。  禁欲の証で、先端がしめっている。  すこし呼吸を整えた羊真は、士狼の顔を見あげた。 「士狼、もっと可愛がって……もっと、キスも、ハグも——」  言い終わるまえに、ねだった以上のものを与えられる。  そのさなか、羊真は啼き声で士狼の耳を悦ばせるしかなかった。  日中の寂しさが、士狼で埋められてゆく。  射精欲にさいなまれながら、羊真はこう思った。  あぁ、幸せだなぁ。

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