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第9話 茨の塔

side*no 風呂上がり、珍しく早く帰ってこれた自室で持ち帰りの仕事に手をつけようとファイルを開いた途端、スマホがバイブレーションを伴って電話の着信を告げた。 その画面には『梟』の文字。 なぜかその文字面を見た途端、じわりと暖かい何かが心に染みを作った。 嬉しいとは少し違う、どこか安心するような、切ないような、言葉では言い表せない不思議な感覚。 しかし直ぐにはっとして、思ったより自分は疲弊してるのかも、と思わず苦笑いしながら震え続ける液晶の受話器ボタンに触れた。 「もしもし」 『深也、久しぶり。』 ゆったりと、低く。 優しい声が深也の耳殻を伝って鼓膜と骨を震わす。 何時だって深也を導いてきた、深也の大好きな、大切な声だ。 『学園生活はどう?順調?』 「うん。心配しないで。」 それがふんだんに慈愛を含んで自分の名前を呼ぶもんだから、深也の口許には知らずと幸せそうな微笑みが象られていた。 この声を聞くために生きているんだとすら、本気で思えた。 『深也、明後日から球技大会だと思うんだけど、その間3日間、悪いがフレッドを借りるよ。』 「わかった。研修かなんか?」 『いいや、冥のところに行こうかと思って。』 冥 それは深也と梟、フレッドの3人に共通する人物の名前だった。 この学園に入って長らく会えていないその類稀れな美貌が深也の脳裏に浮かぶ。 「冥のところ?そうなの?じゃあよろしく伝えておいて。」 『わかった。深也が会いたがってたって伝えておくよ。』 「ふふ、うん。久しぶりに会いたい。」 そんなことを言えば世に言うツンデレな彼はこれみよがしに嫌そうな顔をするだろう。 整った相好が歪む情景が目に浮かぶようで深也はつい気が抜けたように笑ってしまう。 梟も同じものを思い描いていたのか、釣られるように笑った。 『ところで、深也は球技大会はでるの?』 一頻り笑った後、話題は世間話へとシフトしていく。 この学園の球技大会はバスケ、サッカー、ドッジボールの3種目で、各種目一定人数は必要なものの、全員参加の行事ではない。 その代わり競技に出場しない者は応援団や審判などの役割を担う必要があった。 また体育会で該当種目のスポーツを本業とする生徒はその競技に出ることは出来ず、ほか種目に出場するか主審などをするのである。 かくいう深也は昨年親衛隊入隊の件もあり、なんとはなしに運営補助などの裏方に回っていたのだが、行事に参加しないことに少し残念そうにした梟を見てからというもの次年度は参加することを心に決意したという経緯があった。 「うん、一応。バスケで出る予定。」 『そっか、今年は出るんだね。せっかくの行事だし楽しんで。駿介なんか優勝するから見に来いなんて、大張り切りで俺に電話かけてきてたよ。』 わんぱくすぎるのも参ったもんだ、と梟が柔らかく笑ったのが電話越しにも分かる。 深也はそんな彼の様子に優しくその美しい瞳を細めた。 「…そうか、風見らしいな。だったら尚更用事で見に来れないのは残念だね」 『仕方ないさ。俺としては深也の勇姿も見たかったところだけど。』 「恥ずかしいからいいよ」 『何を今更』 軽やかに笑う梟に深也は口許に笑みを残したまま目を伏せた。 (あぁ、梟が笑ってる) この上なく幸せな感情だった。 (もっと、もっと、) (どうすれば、) 「…ねぇ、梟は風見が言うみたいに球技大会に優勝したら嬉しい?」 (梟は笑ってくれるだろうか) ******************** side*no 『ん?あぁ、そうだね。きっとそれは今しか出来ない青春ってやつだから、ぜひ駿介にももちろん深也にも、味わって欲しいと思ってるいよ。』 梟は深也の唐突な問いかけに一瞬考えたが、その語尾は優しく、電話越しでもその整った相好を崩していることが分かる。 「……そっか、じゃあ頑張らないとな。」 またひとつ深也の中に制約ができた瞬間だった。 「あぁ。でも、くれぐれも怪我はしないように。」 梟の気遣うような優しさに、深也は伏せていた銀の瞳を真っ直ぐと正し、宙を見つめた。 口許には笑み。 あたかも目の前に会話の相手がいるかのように、ピンと張ったしなやかな背筋だった。 「はい。」 可憐な唇から発せられたそれは、凛と深く、一寸の迷いもない音だった。 梟との束の間の通話を切って、深也は机の上の書類を見つめる。 (風見の願いを叶えないと。) 手を動かしながら、考えるのは新たに深也の中に刻まれた制約。 しかしそれが一筋縄で行かないことも深也は重々承知していた。 (きっと、親衛隊は何らかのアクションをおこしてくる) 深也にとって『球技大会』とは、この直近で最も警戒すべき1日であったからだ。 なぜならその日は学園中がお祭り騒ぎ、教師たちも自分のクラスの対応や不意の怪我人に手を取られ、普段規律を守る風紀ですら毎年猫の手も借りたいほどに混乱をきたすからだ。 つまり、その喧騒に乗じて、何が起こってもおかしくないということ。 そして、その布石はつい先日のHRで既に深也の目の前で打たれていたのだ。 1週間前のHRの時間、専ら議題は球技大会について。 表面上は滞りなく進む会議であったが、深也はその雲行きの怪しさをひしひしと感じていた。 元来球技大会の種目はその競技の現役部員はもちろん出ることが出来ないため、勝利を狙うには元体育会や異種競技の人員をどの競技にも均一に配置するのが良いとされている。 しかし蓋を開けてみればバスケ競技のメンバーは図ったように親衛隊ばかり。 体育会や未所属の人間もいるものの、陸上部など球技を得意としない人間であったり、普段進んで球技大会に参加しないような文化部系の人員だった。 (嫌な流れだ。) 「月白隊長〜?頑張りましょうねぇ」 そう鈴を転がす様な口調で宣うのは同じクラスにいる親衛隊員。 確か副会長を盲信する男であったか、その髪色は彼に似せたようなプラチナブロンドだ。 「あぁ、そうだな」 深也は内心の気掛かりを胸の奥底にしまい込み、いつも通りの 声音で一言返すだけに留める。 「僕たちバスケなんてほとんど出来ないし、ほんと隊長だけが頼りなんだからぁ」 ねぇ、と相槌を打ち合う可愛い子たちの目には隠そうともしない嘲笑が滲んでいる。 他のメンバーは少し気まずそうに身動ぎをするだけでそこに口は挟まなかった。 皆、制裁のとばっちりを受けることに怯えているようだった。 深也はそんなぎくしゃくとした空気感に、少し目線を落とし、巻き込まれてしまったのであろう親衛隊以外の気弱そうな彼らへ内心謝罪した。 「じゃあ俺は可能な限り出場するよ。あとのメンバーは任せるから皆で話し合って決めてくれ。」 「はーい、了解でーす」 くすくすと笑うような彼の口の端には未だ見下すような色に、どうしたものかと深也は思考をフル回転させる。 球技大会まであと1週間と少し、時間はそれほど多くはない。 (気を引き締めなきゃ。) ****************** side*no 体育館は浮き足だったざわめきで溢れていた。 それもそのはずで、今日は球技大会の初日の生徒総会。 憧れの生徒会と同じ空間にいることができるとあって、体育館のボルテージは最高潮だ。 時の流れとは残酷なほど平等なもので、深也が球技大会を警戒していることを嘲笑うが如く、仕事に忙殺される日々はそれを許さない。 そして深也はこの日を一番警戒していた。 今日は自分の出場種目のバスケが開催される日であると共に、この生徒総会の場には教師の姿はなく、生徒しかいないからである。 生徒の自主自律を目指すこの学園では、原則として生徒総会には教師が立ち入らないことになっている。 元々僅かではあったが“教師”というミッターがない今、何が起きても不思議ではなかった。 特に、生徒から人気のあるフレッドが梟の用事に付き合ってこの場にいないということは、フレッドの親衛隊は何をしても自分たちの体裁に影響しないということ。 その狡猾さが教師方の手腕だった。 カチリ、カチリ、と、時計が音を刻む。 その音は、深也を逃げ場のない檻に誘う音。 (あと30秒) 深也が静かに深く息を吸い込む。 カチリ、長針が、時を告げた。 体育館の正面の大戸がゆっくりと開く。 「いくぞ」 竜司が生徒会役員たちにかけた合図で、足を踏み出した。 きゃぁぁぁぁあっ!!!!!! 耳をつんざくような黄色い歓声。 四王様ぁぁぁあ! 姫路様ぁぁぁあ! 小野様ぁぁぁあ! 来栖様ぁぁぁあ! 宝條様ぁぁぁあ! 次々と叫ばれる生徒会の名前のなか、深也の名は、決して呼ばれない。 深也が親衛隊の標的になっていることはすでに全校に伝わり、暗黙の了解になりつつあった。 大仰な赤い絨毯で繋がれた舞台上への一本道。 深也にとってはひどく長い、道に思える。 舞台まであと半分のところ。 ふわりと、空気が揺れた気がした。 それは微々たる感覚。 深也はゆるりと、首をそちらに向ける。 一瞬眼に捉えられたものは自分に向かって真っ直ぐ飛んでくる物体。 ソレが一体何であるか、そんなことは考えるには時間が足りない。 しかし深也の身体能力であればぎりぎりでも避けられそうではあった。 足をただ一歩引くだけでいい。 むしろ首を少しずらすだけでもできるはずだった。 しかし、深也の足は、微動だにしない。 ただコンマ数秒、飛んでくるそれを見つめるだけ。 (あぁ) (結構痛いかな) 他人事のようにそう心の中で呟く。 後ろに立つトシが何か叫んだ気がした。 スピードはあるはずなのにゆっくりと、次第に大きくなっていく物体。 しかし、 いつまでたってもなんの衝撃もなかった。 目に映るのは逆光になったシルエット。 無骨で、大きな、拳。 今までスローモーションに音をなくしていた空間が急に弾けて生徒総会の喧騒が急に鼓膜をふるわせた。 「トシ」 深也が小さく拳の主の名を呟いた。 「誰だ。これを投げた奴は。」 トシの威嚇するような低い声が体育館に響く。 拳の中の、硬質な感覚。 石か、またはそれに準ずる何か。 しかしそれが石であろうと違うものであろうと、トシにとっては問題ではなかった。 それが深也に向かって悪意と共に投げられたこと、それに対して酷い憤りを感じていた。 「誰だと聞いてるんだっ」 沸き上がるような怒りにトシ自身さえ思ってもないほど、鋭い声があがった。 しかし、その理由を考える余裕もなく、強く手中のものを握り込む。 「出てこいっ!」 「トシ、もういい」 「月白先輩がいったい何をしたと言うんだっ」 「トシっ」 ざわつきはじめた生徒たちに、深也は少し慌てて窘めるようにトシの名前を呼んだ。 「でも…っ!」 「もう、いいから…、」 深也の言葉に不満を全面にあらわにし、更に何か言おうとするトシ。 「俺は怪我していないし、お前が庇ってくれたから。大丈夫。ね?」 しかし、深也は言い含めるようにトシの言葉を押し止めた。 このままトシが自分を擁護するような言動を続けていれば、トシまで非難の対象となってしまうことを危惧したからだ。 彼は生徒会役員で人気が高いとはいえ、現在制裁対象の深也の仲間とみなされるのは得策では無い。 「 それにこんなとこで騒ぎを起こしたら後で副会長に怒られてしまうし、」 「…、月白、先輩…」 正論で畳み込む深也にぐうの音も出ないのか、トシはまだ納得はいかないようでも大人しく口を閉ざした。 「さ、行こう、」 「…はい」 すでに舞台付近まで進んで待っている竜司たちの訝しげな視線に、トシに歩き出すよう声を掛ければ、やはり渋々ではあるが小さく返事を返した。 深也は目の前の不貞腐れたような表情にふと、柔らかく笑う。 だから、トシの横を通り過ぎる瞬間、 「でも、護ってくれてありがとう」 嬉しかった、そう、トシだけに聴こえるように呟いた。 「!」 トシはふわりと届いた言葉に、ばっと勢いよく深也を見た。 深也はもう一度、綺麗に笑んだ。 ******************* side*トシ 「…っ!」 一瞬だけ見えた、月白先輩の微笑み。 はっとしてつい先輩を見てしまう。 もうその綺麗な顔はこちらには向いていないけど、それは、その時確かに俺自身に向けてくれた笑顔に他ならなくて。 心臓が思いっきり走った時みたいにドキドキとする。 じわじわと顔に血が登っていくのが自分でもはっきりと分かった。 (絶対、今、顔赤い、) 俺は何だか居たたまれないような気分になって、俯いて月白先輩の踵を追うことに徹する。 (ていうか、何でこんなに…、) 元来俺は年齢の割に落ち着いていると言われることが多く、スポーツを長年していることもあって周りの環境に心を左右されないタイプだ。 しかしここ最近は月白先輩に感情を揺さぶられてばかり。 不甲斐ないという気持ちなのか、恥ずかしという気持ちなのか、そわそわと落ち着かないという感覚が1番近い気がする。 そして輪をかけて厄介なのが、それが嫌な感情じゃないという事だ。 (俺は、駿さんのことが気になっていたはず…、) どうにか気持ちを整理しようと、今一度駿さんの顔を思い出してみる。 が、しかしなぜか、脳裏にちらちらと浮かぶのは月白先輩の笑顔。 駿さんの笑顔が、どうにも上手く思い出せない。 (なんだかなぁ…、) 複雑な気分になって、改めて月白先輩の後ろ姿を見やった。 彼が俺を諫めた理由は何となくだが、わかる。 (俺の立場を考えて…) 親衛隊に眼をつけられている先輩を庇えばもしかしたら俺にも多からずともその矛先が向くかもしれないから。 誰が一人を盲信してる親衛隊員にとっては崇める対象者以外、敵の敵は必ずしも味方ではない、そういう原理。 そうして駿さんを庇う月白先輩は味方ではないと見なされた。 月白先輩は駿さんに手をさしのべ、引き上げる代わりに自分を沈めたのだ。 そして、また俺の手を落ちる前に掴んでみせる。 微笑みながら、まだ来るなと、押し返す。 じゃあ、月白先輩の手は? (いったい誰が掴むんだ) 目の前には薄っぺらで、華奢な背中。 それでもそれは凛と伸びてて。 何故だかぐっと、喉がつまった。 この背中は、どれだけのものを背負うんだろうか。 明るく眩しい舞台。 月白先輩が、その眩い光の中に、溶けて消えてしまうのではと、 なぜか、 そう思った。

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