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第8話 泥の華
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午後10時00分。
親衛隊の会議室で、小さな怒りの火が灯る。
それは後に大火となり、燃え広がる種火だった。
「許せないっ!!!」
堪えきれなといった様子でそう叫んだのは、長い髪を頭の横で高く結ったまるで女の子のような風体の男子生徒。
「理人、落ち着いて。」
それを冷静に宥める黒髪の美人。
「許せないっ、いやっ!!何でっ!?何であの人なのっ」
「そ、そーだよぉ。リト、おちついて?」
金髪の猫目の子は、あわあわと理人と呼ばれた少年の背を撫でている。
「…理人先輩、野雪先輩、千秋。」
今までそのやり取りを見ているだけだった少年が、それぞれの名を順に呼んだ。
ふわふわと巻いた栗毛と涼しげな瞳が印象的な彼に、3つの視線が向けられる。
そして彼は、その眼を順々に見返し、決意した表情で口を開いた。
「俺、いえ、俺たち親衛隊生徒会方は動きます。」
「…アオイ」
千秋と呼ばれた生徒は、目の前の決意を示す瞳を不安そうに見つめた。
「総隊長らしからぬ振る舞いに、リコールを突きつけると共に、即刻全権力をもって制裁を下します。」
千秋の眼を安心させるように見詰めてから一同を見渡し、彼はゆっくりとしかし堂々と言い放った。
彼の名は紺野 葵(コンノ アオイ)。
親衛隊生徒会方・副隊長。つい最近まで深也の右腕だった人間。
しかし今から深也に制裁を下そうとするその目は、ひどく落ち着いている。
「俺も賛成。前からこの動きの鈍さには不満だったの。」
サラリとした黒髪をショートボブに切りそろえた美人、野雪 蓮(ノユキ レン)も悠然と微笑んで立ち上がった。
「俺達風紀方も援護と共に協定を結びます。」
そこに漂うのはただならぬ威圧感。
「レンっ!でもっ、あのヒトは悪いヒトじゃ…っ」
青いつり目と金髪を持つ親衛隊無所属方の隊長・山本千秋(ヤマモト チアキ)は、それでも何かに迷うように控えめな批判を口にする。
「千秋。」
「っ…!」
しかし、その言葉は蓮の凛と響く声がぴしりと遮った。
千秋の異国の血が混じった瞳がびくりと怯えるように揺れる。
「月白深也の行動は立派な規則違反だ。大規模な組織っていうのは内部での波風が一番危険なんだ。解るよね、この意味。」
有無を言わせぬ野雪の口調に、千秋はうつむく。
「降りたいなら降りなさいっ!わたしはやるっ」
先程まで泣き叫んでいた親衛隊教師方隊長の小谷理人(コタニ リト)がまだ赤い目尻で千秋をきっと睨んで立ち上がる。
「わたしたち、教師方はあの方の抹消を希望しますっ」
そして立っている葵、蓮にはっきりと言い放った。
二人はそれに悠然と頷き、そして未まだ俯いて座ったままの千秋を見る。
3人の強い視線が向けられていることを感じ、さらに俯く千秋。
「千秋、このまま親衛隊が壊れてもいいの?皆、不幸になるんだよ?」
葵のさっきとは打って変わって穏やかな諭すような声音。
それにおずおずと千秋が顔をあげた。
その瞳には迷いと怯え。
葵はさらに言い募るように言葉を重ねていく。
「理人が、可哀想だと思わない?あんなにベルマン先生を愛しているのに、想っているのに。それを知りながら総隊長の行為は酷すぎる。どれだけ理人が傷付いたことか…、」
「ぁ…、」
千秋がはっと理人を見やった。
いつも強気で、絶対泣いたりしない理人。
その彼の瞳は水の膜を張り、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていた。
千秋の心がズキリと疼く。
理人はワガママでちょっと手は焼けるけど、それでも引っ込み思案の千秋を仲間と受け入れてくれたひとりだ。
そんな彼が泣くほどに傷ついている。
「彼は確かにいい隊長だった。でもこれは裏切りだ。俺たち全員の心を踏みにじる行為だ。俺はそれが許せないんだ。」
葵の侘しいような声音が、部屋に落ちた。
千秋は一瞬、逡巡するように視線を地面にくゆらせたが、最後にはゆっくりと腰をあげる。
「…、ボクたち、未所属方も、…援護、します…っ」
そしてまた俯き、困惑と罪悪感を胸に、そう呟く。
「決まりだね。」
蓮がまるで女王の様に優雅に微笑んだ。
「ターゲットは風見駿介から変更。月白様、いえ、月白深也に制裁及び抹消処置を実行します。」
蓮に相槌を打ち、冷静にしかし力強くそう言い放つのは葵。
理人は怒りに満ちた瞳で何度も頷く。
ただ千秋は俯いたまま。
葵は先程まで全員で覗き込んでいたスマホのメール画面を見る。
そこには1つの画像の添付ファイル。
差出人は、知らないアドレス。
写るのは、月白深也とアルフレッド・ベルマン。
“親密そうに”身体を寄せる2人の姿。
葵のスマホを握る細い手に、力が篭った。
パンドラの箱がゆっくりと開かれる。
さて、
地獄に堕ちるのは、
誰?
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それはただ、凄惨だった。
深也が見つめる自分の下駄箱は、もはやその用途を果たさない。
切り刻まれた室内履き、異臭とゴミと、血を模したように赤いペンキ。
そして、その中に咲き誇るように、存在を誇示するのは4本の生花。
栴檀、白菊、彼岸花、椿。
(親衛隊が全て動いた…。)
この花々が示すものは“破壊”。
深也は少し怪訝そうにその花たちを見る。
栴檀は生徒会、白菊は風紀、彼岸花は教師、椿は無所属。
親衛隊の隊ごとに宛がわれたこれらの花が贈られるということは、つまり親衛隊からの宣戦布告を意味した。
深也の目が無感情にきゅっとを細まる。
(なぜ、このタイミングなんだ?)
自分が今まさに制裁を受けているというのに、深也はまるで他人事のようにそんな疑問を感じていた。
深也の制裁を是としないスタンスに反感を持つものが少なくないことは自覚していたが、もしそれが原因ならばもっと前に制裁を起きていたはずである。
(まぁ…、とりあえず制裁対象が俺に移ったようだし。特に問題はないか。)
深也は無表情に下駄箱の戸を閉め、ローファーのまま校内に入った。
「月白」
釈然としないまま廊下を少し進むと後ろから声をかけられた。
「…ベルマン先生。」
振り向けば精悍な顔を笑みに崩したフレッドの姿。
『教師と生徒』、二人の関係を隠すための仮初の呼びかけに、深也はすくっ、と小さく笑った。
「おはよう。」
「おはようございます。」
いつも通りの挨拶。
しかし、すぐにフレッドの眉が怪訝そうに歪んだ。
「深也…なんかあったか?」
付き合いの長いフレッドは深也の微々たる変化も見逃してはくれなくて、つい内心で苦笑いを零した。
深也は今自分が親衛隊の制裁対象となっているという事実をフレッドに伝えるつもりは一切なかった。
だから平静を装ってフレッドをただ見返えすのだ。
「いや?特に何にもないよ。」
「深也、」
「ふふ、本当に心配性だな」
煙に巻くような深也の態度にフレッドは更に追及しようと口を開いたが、それを穏やかな笑みで遮ってやる。
「…ったく。ほんとに、大丈夫なんだな?」
そんな深也にこれ以上聞いても無駄だとわかったのか、微かな溜め息と共に呆れた眼で深也を見詰めた。
「あぁ、大丈夫だ。」
「何かあった絶対言えよ。いいな?絶対だぞ?」
「はいはい」
深也はまた笑う。
フレッドは本気で自分のことを思い、一番に考えてくれる。
そんな彼が純粋に嬉しかった。
だから余計、
制裁のことは口にしない。
優しい彼は、必ず深也に手を差し伸べるはずだから。
深也にとって、その手をとることはフレッドに救済を求める行為に他ならない。
(俺は強くならなくては)
救済の手は、甘え。
それは同時に人を弱くするから。
(そんな弱さは俺には要らない。)
学園を、梟を守るために。
(俺は、強くある)
職員室前でフレッドと別れ、深也は真っ直ぐ教室に向かった。
教室に着き、ドアを開く。
入ってきた深也を見て、さっきまで騒いでいた教室の生徒たちが水を打ったように静かになった。
深也はその様子に内心で小さくため息をつき、何事もなかったかのように自分の席についた。
親衛隊が動くという情報は波のように広がる。
まさにその速さは音速だ。
クラスメイトは遠巻きにひそひそと深也に指を差す。
憐れみと同情と軽蔑。
様々な瞳と憶測が飛び交う。
いくら深也が生徒会員であろうと、親衛隊の標的になってしまったら周りの人間は傍観に徹する他なかった。
そうしないと助けた者も餌食になってしまうから。
制裁は孤独を産み、また孤独は制裁をよぶ。
それは残酷でひどく単純なサイクル。
『月白様、制裁対象になったらしいよ』
『靴箱見た?凄かったね』
『前から結構ヤバい噂あったやんか。因果応報てやつやな。』
ヒソヒソ
ざわざわ
声にならない批判と嘲笑が教室の空気を満たした。
まるで氷上を爪で引っ掻くように、痛みを伴わない薄い傷が心の表面に幾重にも重なっていく。
ヒソヒソ
ざわざわ
沈没した船の中、徐々に酸素が尽きていくように何かが失われ、そして海水が体温を奪っていくように深也の心はどんどん冷たく凍えていく。
それでも深也の表情は変わらず、黙々と次の授業の準備を進めていくだけ。
深也にとって “そんなこと” は大して痛くはない、はずだった。
しかし崩壊のカウントダウンは始まっていた。
誰にも、本人すら、気付かぬうちに。
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side*no
いじめはエスカレートしていく。
3階から降る水。
コンマ何秒の世界に、避ける術はなく。
全身の血が急降下するような冷たさの後に、落ちてくる笑い声。
髪が頬に張り付き、体温で温まった水がその筋を伝って流れた。
深也は空を見上げる。
既に3階の窓に人影は存在しない。
深也の瞳に映り込むのは、呆れるほど澄んだ空。
顎を伝う水が、地面にまた新たな染みを作っていった。
(くだらない。)
何もかもが下らなかった。
濡れて肌に密着する衣服も、滴る水も。
深也の口角が、ふと、持ち上がった。
(いや、一番下らないのは、)
銀の瞳孔が、青空に反射してきゅっと細まる。
(俺自身、か。)
水を存分に吸った重たい服を引き摺って深也が向かったのは生徒会室。
生徒会のロッカーに予備の制服を取りに行くためだ。
重厚な木のドアを開け、足を踏み入れれば、そこには珍しく竜司と綾乃の姿があった。
一瞬深也の動きが止まる。
しかし、それもほんの一瞬で、すぐに眼を反らし、自分のロッカーに向かった。
「…ちょっと、何?その格好…」
潔癖の気がある綾乃がずぶ濡れの深也にしんなりと眉を寄せた。
「そんな姿でここに入らないでくれる?」
不愉快さを全面にだして綾乃の一言。
しかし深也は一瞥をくれるだけで何も返さず黙々と着替えをしていく。
竜司の口角が、皮肉に上がった。
「お前、仲間から制裁受けてるんだって?」
唐突な言葉。
深也が振り向いた先の、その眼には侮蔑と嘲笑。
「…会長の指示ですか」
「はっ、まさか。お前なんぞのために俺様直々に動くわけないだろ」
竜司は深也の問いを鼻で笑う。
「俺はただこれを親衛隊のビッチ共に送っただけ。」
その言葉と共に深也に投げてよこされたのは竜司のスマートフォン。
「ま、これしきで裏切られてるようじゃ、てめぇの信頼もクソみたいなもんってことだな」
その液晶に写るのは、情事後の深也とフレッド。
頭の芯が、すっと冷える感覚がした。
「てめぇらデキてたんだな」
どうりでやけにお前を庇うわけだ、と鼻を鳴らす竜司。
いかにフレッドを言い逃れさせるか。
深也の思考が倍速で廻りだす。
「別に彼と俺はそんな仲ではないです。」
(フレッドは俺のように、汚れた人間じゃない)
「はっ、じゃあセフレか?」
嘲るような問いにも一瞥をくれるだけで、深也は何も答えない。
「ま、俺にはどうでもいいけどな。どっちにしろ、ベルマンが生徒に手を出し、お前がアバズレである事実は変わらんからなぁ?」
そんな深也を竜司の挑発的な眼が捕らえた。
「会長にどう思われようと、俺にはどうでもいいことですが…、ただ彼には俺の我儘に付き合ってもらってるだけです。」
しかし、やはり深也の瞳に動揺も何も映り込まない。
「ほら、やっぱり庇ってるじゃねぇか」
「えぇ。彼とは身体の相性がいいもので。辞められては困りますから。」
フレッドを守るためにフル回転させた頭で、口からはすらすらと思ってもない言葉が出ていく。
もちろん口許には淫美な微笑みを忘れない。
「ほんとに、とんでもねぇなぁ」
そう言って歪んだ笑みを形作る竜司。
その表情に、綾乃は内心で目を瞠った。
それはいつも竜司が醸し出す皮肉じみた蔑みや嫌悪でなく、見たことのないような負の感情だったから。
綾乃の頭に浮かんだ言葉は、『憎悪』。
まさにそれを表すのではないかと、綾乃は知らずに息を詰めていた。
「どうとでも」
(とりあえず今はフレッドに矛先が向かなければそれでいい)
竜司の言及がフレッドから逸れたことに内心で軽く安堵しつつ、自分の不用意さに舌打ちがもれそうになった。
しかし暴言の矛先を深也に定めた竜司は、言葉の刃をさらに突き立てようとする。
「アイツのイチモツは具合が良かったか?なぁ?」
「お前には愛だの恋だのはどうでもいいことだもんなぁ?人の気持ちを踏みにじり続けて、自分の利のためだったら誰にでも股を開く。」
「ふざけんな。」
侮蔑の色には隠そうにも迸る激情が、言葉と共に上塗りされていく。
「あの人が許しても、俺は絶対にお前を許さない。もっと堕ちろ。光がなくなるくらい。憎まれて蔑まれて、絶望したらいい。」
その凄まじい感情の波は、鋭く深也を貫こうとする。
そして竜司の瞳の奥底で、火花のように弾けた。
(絶望、ね…、)
竜司の激昂の切っ先を突きつけられたはずの深也は、それでも表情を変えようとはしない。
深也には竜司の言う『あの人』が誰なのか、皆目見当もつかないけれど。
ただ自分がとことん彼の恨みを買ってしまっていることは十二分に理解した。
しかし深也は恐怖や反発心より先に、笑いだしそうになる。
急速に温度を失くしていく心とは裏腹に、何故か腹の底から微かな笑いが沸き上がってくるのだ。
瞬間にぱしりと、脳裏を掠める記憶。
古く、しかし色褪せない、混沌。
それはまるで擦り切れたVHSみたいだ。
『早く消えて…ッッ!』
『どうして産まれてきたんだ』
『キモチ悪い』
嫌悪と憎悪と侮蔑。
何度も何度も何度も、巻き戻しては、再生されていく。
『しんや、…っ』
あの人の涙。
『生きて…、』
視界には焼けつく赤。
絶え間なく熱を孕んだ空気が震えている。
耳にこびりつくのは、優しく、温かな “あの人” 声。
(俺が…死んだ、日)
終わりない深淵に手をかけそうになって、深也は思考を止めた。
深也の口許が緩く笑みを象る。
そのことに本人は気づかない。
何もかも諦めた瞳に、ただあるのは
底抜けの、闇。
「…光なんて、いらない」
(光なんて元々ないから)
(あの時、なくなっちゃったから)
どうしようもなく、空っぽで、美しい笑みだった。
「っ…」
竜司も綾乃も同時に言葉を失った。
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side*綾乃
竜司が月白深也を言及する。
竜司の月白に向ける感情は不思議な程だったが、この際それさえいい気味だった。
このまま彼が俺の目の前から消えてくれたらどんなに清々するだろう。
竜司の刺々しい言葉に月白の眼がどんどん色を失っていくように見えた。
まさに“虚ろ”、そんなかんじ。
その表情を嘲笑いたいのに、何故か、理由のない寒気が這いずるように湧いてくる。
ふいにどこか遠くを見る瞳。
(どこを?)
確実に竜司も俺も映されていない。
この寒気は、月白が今現在目の前にいる俺達を見ない不安からくるのだろうか。
俺達が映ればそれはそれで嫌悪感、映らなければ不安。
(矛盾…)
思考のループに陥りそうになったとき、ふいに、月白の眼が俺達を、いや“今”を写す。
桜色の薄い唇が、ゆるりと、まるでスローモーションのように弧を描いた。
(っ、)
その笑みに、寒気さえ、吹き飛んだ。
ぞっとした。
それは恐怖だったのかもしれない。
“光”をいらないと言う彼。
その溶けそうな銀の瞳には、負の感情しかなくて。
あまりにも、痛々しくて。
引きずり込まれてしまいそうだった。
一筋の光さえ、入り込む隙がないのではないかと、なぜか唐突に恐怖したのだ。
いつも、冷静で冷徹。
それをモットーにやってきた俺が、揺るがされた。
さっきまで鋭い言葉を発していた竜司も、俺と同じように何か感じ取ったのか、月白から眼が離せなくなっている。
俺と竜司は、彼、月白深也が出ていくまで、どうしても動くことができなかった。
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