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第2話

 それ程広くは無いこの診療所、どうやら住居も兼ねられているらしい。  入口の木製の柔らかな雰囲気が漂うドアを開くと、左手に受付カウンター、そして向かいに硬そうなソファが3つ、コの字で壁に寄せられ置かれている。 「この上に住んでるのか。……通勤無いって楽だな」  カウンターの横のドアは診療室に繋がっており、その隣にある階段を登った2階が俺の住居スペースへと足を伸ばす。  イーサンが帰り、次の転んで足を怪我した子供を診終わった頃には日も傾き始めていた。「これ以上誰も来ないだろう」と判断した俺は診療所を閉め、丁度いいので建物内散策を行おうと室内を行き来していた。 「さすがモブ……必要最低限のものしか置いてねぇ」  ただ寝る為だけに存在するかのような簡素な部屋を見渡して、思わずそんな声が漏れる。  10畳程のLDKはまるで生活感がない。本当にここで生きていたか疑う程のモデルルームが存在している。  28年で強制終了した、仕事中心の前人生でさえ、美味い酒を呑み肴をつまみながらゲームに興じるという趣味くらいはあった。 「何が楽しくて生きてたんだよ、俺……」  そう呟き、思わず肩を落とした。 ◇◇◇ 「そういえば、腹減ったな」  前世で好きだった酒と肴を思い出したせいで、急に腹の虫が活発になる。窓から差し込む光は茜色、そろそろ夕飯の事を考えなければならないから頃合いではある。  キッチンにあるゲームの中で「魔導式の箱」と言われていた、つまるところ「ただの冷蔵庫」を開いてみると、見事水の瓶がただぽつんと佇んでいるだけ。 「せめて酒の1本と食材くらいは置いておけよ……」  本日は外食になる事が決定された瞬間であった。  クローゼットに何枚も入っていた、白いシャツとベージュのチノパンに着替え、とりあえず町に出てみる事に。どうやらコイツは、このセットと|水色のスクラブ《仕事着》しか持っていないようだ。  さすがに今度何か買い足そう。  ――俺はもうモブなんだし。  石畳みの街にはお洒落な街灯が幾つも立ち、シックな建物が所狭しと並んで、路肩には美しい花々が咲いている。行ったことはないが、テレビで見た「中世ヨーロッパを味わえる街並み」とよく似ている気がした。  さて、何を食そうか。  そんな事を思い人々の行き交う通りをフラフラ歩いていると、目の前のドアが開き、中から出てきた手を繋ぐ親子と共に、肉の焼ける香ばしい匂いとガーリックの刺激的な香りが漂ってきた。  いいな肉か、肉が食いたいな。  木製の看板を見れば、そこはステーキハウスらしい。「丁度いい、今日の夕飯はここにするか」と店内に向けて歩き始めた時、横からドンっと巨体が俺の身体にぶつかった。 「……っ、いたっ」 言う程に痛みがある訳でもないが、反射で出た言葉に巨漢はこちらに顔を向ける。  真っ赤な顔で「ひっく……」としゃくるその姿は、酔っ払いでしかない。 「ねーちゃん、美人だなぁ!! この後付き合え」  道に響き渡る程の声を上げながら、あろうことかその酔っ払いは俺に抱き着いた。  誰がねーちゃんだよ。ってか、さり気なく尻を揉むなこの痴漢野郎が!! 「ちょっと、何するんですか! 止めてください」  酔っ払いの肩を両手で押し引き離そうとするも、びくともしない。  非力すぎやしないか、この身体。  容赦なく尻を揉みしだく酔っ払いを、どうにか引き離そうと抵抗を繰り返していると、ふっと目の前が軽くなった。 「おい、なにしてる。俺の前で痴漢とはいい度胸してやがんな。監獄にぶち込んでやろうか」  そんな治安の悪い台詞と共に現れたのは、明らかに他とは一線を画したオーラを纏う、身体付きの良い長身のイケメン。そのご尊顔は怒りを(あらわ)に、巨漢の肩をグッと掴んでいた。 「……イーサン、様……」  見間違う訳無いだろう、こんな綺麗な顔。先程は任務中だったのか、騎士団の黒い軍服を着用していたが、今は退勤後(プライベート)なのだろう。黒シャツとピッタリした黒のパンツが彼の色香を引き立たせていた。 「……こンの若造が!! 何しやがる」  ……若造。  確か彼は23歳という設定だったはず。あまりにも落ち着いた雰囲気の為かそう見えないのはさておいて。  普通に考えれば若造だ。だがその男はそれとは正反対の言うなれば『歴戦』。  そもそもその歳で騎士団長とか、どんな鬼才だよ。  酔っ払いは彼が、軍の高職だと知ってか知らずか…その短い腕で殴り掛かる。 「ほう、俺の顔が分からんか。暴行で現行犯逮捕だな、馬鹿が」  だがその拳は、長い腕で即座に受け止められ捩じ伏せられてしまった。 「いって……いててててて……」  いつの間にか野次馬の集る場の中央で、後ろ手に捻られ痛そうにもがく巨漢を抑え込んだイーサンの顔は、まるでこの状況を楽しんでいるかのように薄ら笑を浮かべていた。 「どちらが悪なのかわからんなこれは」  思わず苦笑うと、顔を上げた彼とパッと目が合ってしまった。 「怪我はないか。……あ? お前……」 「大丈夫です。ありがとうございます……えっと、先程ぶり、です」  まさかの再会に、俺は頭を掻いた。 ◇◇◇ 「本当にありがとうございました、イーサン様」 「様は要らない。イーサンで良いと言っただろう」  俺向かいにある彼の顔が、少しだけむすっとした表情へと変わる。  ――そんなによく動く表情筋をお持ちだったのですね。  あれからすぐ、連絡を受けた軍の隊員らしき男たちの手に巨漢の身柄は引き渡され「明日俺が直接取り調べる。それまで地下にぶち込んどけ」と言う不穏な言葉と共に、俺の痴漢劇は幕を閉じた。  今一度お礼を言って、その場を立ち去ろうとした俺の手はイーサンに掴まれ、あれよあれよという間に彼の行き付けの店に連れて来られたのだ。 「い、いやさすがに。イーサン様、公爵家の方でしょう。庶民の俺がそんな軽々しく」 「よく知ってるな、俺の事」 「しまった」と笑顔を引き攣らせてももう遅い。ゲーム内の知識だけは豊富な俺の頭には、しっかりと設定が叩き込まれている。流れるようにそれが口から漏れてしまい、心の中で「あっ」と悲鳴を上げた。 「ゆ、有名な話ですから」  思わず(ども)ってしまったが、向かいの男は「なるほど」と、その言葉に納得をした様子。 「そうか。ならば命令だ、俺の事はイーサンと呼べ」 「は、はぁ? なんでそこまで……」 「いいから」  有無を言わさない彼の表情が、無言の圧をかける。そうまで言われたら、階級下の下な立場の人間は何も言う事は出来ない。  俺はあからさまに肩を落とし、眉を下げながら彼の顔を見上げた。 「わかりました、イーサン」 「ん、それでいい」  彼の美しい顔に忽ち花が咲く。  いや、攻略対象(ヒロイン)に見せろよその顔。何モブに見せてんの。 「今日の処置の礼だ。アオの好きなもん食えよ」 「は、はぁ……」  イーサンに連れてこられた活気溢れる酒場は「昔ヤンチャしてました」と雰囲気溢れるガタイのいいタトゥーだらけの店主が切り盛りする、そこそこに広い店だった。RPGゲーム等でよく見る薄暗い木造の作りで、カウンターと丸テーブルが幾つか並んでおり、元ゲーマーとしては正直テンションが上がる。  店に入るやいなや「ギルバート達以外連れてくるなんて珍しいな」と驚いた顔を向けられていたが、「うるせぇ、いつもの席いいか」と常連ならではの悪態を返し、この窓際奥の席へ腰掛ける事となった。 「ギルバート……」 「俺の部下だな」  思わず呟いた言葉が彼には届いて居たようで、直ぐにその返事が帰ってきた。  あぁ、イーサンと同じ第2騎士団のメンバーにそんな名前の人が居たな、そういえば。  渡された縦長のメニュー表に目を遣り「種類豊富だな」なんて考えていると、目の前にジョッキに注がれたビールがドンッっと姿を現した。 「いらっしゃいイーサン。注文は?」  (しゃが)れた声の主は、溢れんばかりの胸元が強調された服を着た強めの女性。  何を隠せるのか分からないほどのミニスカートに、嫌でも視線が向いてしまう。 「あー、いつもの適当に。アオは? どうする」 「えっ、えっと……あ、あ……イーサンのオススメで大丈夫です……」  肉を食いたいという気持ちはあった。だが、こういう場で自己主張をするのが余り得意では無いのが俺。前世から「何食べたい?」と聞かれれば「あー……なんでも」と答え、当時付き合ってた彼女にうんざりされたのは1回2回の話ではない。 「あ? 何、遠慮してんの。食いたいもの食えって言っただろ」  彼の鋭い眼光が俺に突き刺さる。 「いや、そう言われても……」  メニュー片手に、眉を下げオロオロする俺を見かねたイーサンが大きな溜息を吐く。 「んじゃー、何か肉持ってきて。ステーキ、あんだろ」 「えっ」  思いがけない言葉にがばっと顔を上げると、片口角を上げ微笑む彼の姿がそこにあった。  あまりの美しさに、思わずその顔に見惚れてしまう。  ――あれ……今俺の心臓「トクッ」って言った?  何故かそんな顔の彼から目が離せずにいる。 「以上だな。あぁ、ステーキに合うパンもよろしく」  注文を受けたセクシーお姉さんは「はーい」と返事をし、俺たちのやり取りを笑いながら、店の奥へと消えて行った。 「そ、そんなに、肉を欲する顔してましたかね」  目を丸くしてその場で固まる俺に、イーサンは「ふはっ、それどんな顔だよ」とグビっと飲み始めたビールを吹き出しかけた。 「だってお前、ステーキ家の前うろちょろしてたろ」 「そうだけど……まさかそれで?」 「まぁ、そうだな」  「あー、うま」と半分ほどそれを飲み干した彼はご満悦の表情。 「イーサン、絶対モテるでしょ」  「乙女ゲームの主要人物に何を聞いているんだ」という話だが、このさり気ない気遣いは女性が喜ぶやつだよ、間違いない。……だって俺には出来なかった事だから。  すると、目の前で既に空になりつつあるジョッキを手にした男から返ってきた言葉は、斜め上過ぎていた。 「どうだかな。そもそも女は好かん。よって興味が無い」 「そんな生きてるだけで大勝利な顔面偏差値で何言ってんの?」  得意の真顔で即座に言い返す。  そんな設定あってたまるかよ。……なに、だからあんなにも好感度上がらなかった訳!? 終わってるだろ、ゲームとして欠陥だよ。 「ははっ、なんだよそれ。……そうだなぁ、女と飯食うより、お前と飯食う今の時間の方が余程楽しい」 「……っっ!! へ、へぇ」  ふわっと優しく目元を細めた彼から、俺は再び目が離せなくなる。 「いちいち反応良すぎなんだよ、お前」  また……「ははっ」て笑った。 「イ、イーサンって、いい人だったんですね……」  実際彼は、痴漢から俺を助けてくれた。今もよく喋ってよく笑うし、俺みたいな人間面白いって言ってくれたし。まぁそれがいい人に分類出来るのか定かではないが、とにかく今彼に対する好感度はうなぎ登りだ。 「いや、どんな人間だと思ってたんだよ」 「笑わない鬼畜?」  流石にその言葉には、ひと睨みされた。だがすぐにまた優しい微笑みに彼の表情は戻る。  ――なんか調子狂う…… 「というか早く飲めよ。不味くなるぞ」  彼の表情に翻弄されまくっていたお陰で、シュワシュワと美味しそうな泡が俺を呼んでいるにも関わらず、今だ手付かずとなっている。 「あ、は、はい。飲みます、すいません!!」 「いや、部下か」  慌ててグラスを持ち、カラカラになった喉にそれを流し込む。  急かされるまま口に含んだ輝く命の水は、フルーツの香りが漂う所為なのか……少し、甘い気がした。 「ふふ……美味しい。ありがとう、イーサン」  自然と笑みが零れた。  美味しい。――そしてなんだろう、心、解けるな。  続けてグビっと飲んだビールの優しい余韻を口の中で楽しむと、つい頬が緩む。  そんな俺を見た彼の綺麗な両眼が、いつもより大きく開かれていたのを、この時気付きもしなかった。

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