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番外編-5月、ある日

 仕事を終え、オレはいつものようにバイクで野ノ花生花店へ向かった。  店の駐車場にバイクを停め、ヘルメットを外す。  そしてバイク後部のリアボックスを開けて、紙袋を取り出した。    花屋は閉店時間も近いからか、駐車場には店の車以外停まっていなかった。  外から店内を覗くと、そこにいるのは店主の深澄だけで他に客がいる様子はない。  店のガラス扉を開けると、年季の入った鈴が音を立てる。  その音に気付いて深澄が視線をこちらへ向け、オレだとわかるとゆっくりと瞳を細めた。   「いらっしゃい、紡葵くん」 「こんにちは。ちょっと、久しぶりな感じ」 「そうだな」    穏やかな声に出迎えられ、ひら、と小さく手を振って店の中に入る。  久しぶりとは言ったがそれでも二週間振りくらいなんだよな。   「よければこっち座るといい」 「んっ、ありがと」    オレは新しい花が入荷されていないかちらりと見てから、作業台の傍にある椅子に腰を下ろした。   「んんっ」    喉を軽く鳴らすと、それに気付いた深澄が手に持っていたハサミを作業台に置いた。   「いつもと少し声が違うな。風邪か?」 「あ、あー。違う。一昨日まで社員旅行だったんだけど、移動中とか旅館とかが乾燥してて。少しだけ喉がイガイガしてるだけ」 「そうか」    喉を掻きながら言うものの、返ってくるのはいつもの淡々とした声で。  でも今日一日、会社の人にも指摘されなかったことを深澄に言われて不謹慎なんだけど少しだけ嬉しいと思ってしまった。   「そういうの、参加するんだな」 「あー、社員旅行?」 「そう」 「いや、あんまり行きたくない。でも持ち回りで今年がオレだったってだけ」 「なるほど。なら、お疲れ様……かな」    会社の行事に参加するのが意外だと言いたげな顔をされたが、その指摘は間違っていない。  だから素直に「好きじゃないし仕方なく」と首を振ったら、可笑しそうに笑いながら「お疲れ様」なんて言うので、その表情につられてオレも笑ってしまった。   「泊まった旅館のロビーにさ、でかい花が飾ってあった」    嫌々ってわけではないにしろ、乗り気じゃなく参加した旅行での出来事なんて話そうとしたら言いたくもない愚痴になってしまいそうで、なんとなく共通の話題になりそうな花の話をすると深澄は仕事道具を片付け始めながら、「そうか」と頷いた。   「前に彗さんに作ってた花束より豪華だったかも」 「ああ、あれか」    数日前、旅館で目にした花を思い返す。  大きな花瓶いっぱいに花が入っていて、ロビーに入った瞬間から目を引いた。  深澄と出会う前のオレなら、これほど大きな花ですら気にも留めなかったかもしれない。  そんな思考が頭をよぎりつつも、オレは話を続けた。   「綺麗だなーって思って見てたけど、オレは深澄の作ったブーケとかの方が好きかも。この前カフェで見たやつとか」 「そうか」    口にしてから、ふと気になった。  ああいうのも花屋に頼むんだよな。実際、カフェに置いてあったアレンジメントは頼まれてるって言ってたし。  他にも、旅館とか店に飾るような花を頼まれることもあるんだろうか。   「深澄はああいうでっかいのは作らないの?」 「そういうのは専属の店がついていることが多いからうちの店ではあまりやらないな。注文されても滅多に請けない。一人で回してる店だからな」    気になって聞いてみたら、この店ではやっていないらしい。  確かに言われてみれば、深澄は一人でこの店を切り盛りしているんだから、大きな仕事まで何でも請け負う必要はないんだろう。   「俺一人で請け負えるのは、精々この前の彗の花束くらいまでだな。それくらいなら結婚式のブーケやら、退職祝いやらで請けることはある」    ただ気になって聞いただけなのに、深澄はそこまで詳しく教えてくれた。  納得して「なるほど」と頷いていると、ふと足元に置いた紙袋が目に入った。  オレはそれを拾い上げ、深澄に差し出す。   「これ、その……土産っていうか、差し入れっていうか。甘いもの平気だったら」    深澄は紙袋を受け取ると、すぐにその中に視線を落とした。  そこには土産というにはあまりにささやかな、個包装のお菓子がいくつか入っているだけだ。   「これは?」 「途中のサービスエリアで見たお菓子で。試食したら美味しくてさ、自分用に買ったんだけど。一人じゃ食いきれないから、どうかなあって……」    言いながら、これだと言い訳しながら残り物を押しつけているようにも聞こえないか? と気付く。   「いや、ごめん! なんか違くて!」 「違う?」    突然大きな声を出したもんだから深澄は少しだけ目を見開いたけど、それでも急かすつもりのない冷静な視線に一瞬行き場のなくなった気持ちが落ち着きを取り戻す。   「えっと、その。試食したら美味しかったのは本当。でもその、こういう場合お土産って渡していいものなのかわからなくて。予防線張ったっていうか」    だがどうしても、訂正しようとする言葉は無意識に早口になってしまった。  情けなさに、背中につう、と嫌な汗が流れ落ちる。   「俺相手に土産を買っていいか迷ったってことでいいか?」    深澄の冷静な声にそう言われ、オレは無言で頷く。  いらなかったら返してくれていいと言いたいのに、どうしてか声にならなかった。   「いいのに」 「え?」 「友達なんだから、気にしなくていい。嬉しいよ、ありがとう」    淡々と、けれど穏やかに言われて冷や汗が引いていきオレは無意識でこくりと頷いていた。   「甘いもの、平気……だったか?」 「ああ」 「なら、よかった。それ、本当に美味しかったから」 「ああ、いただくよ」    さっきは答えを聞けなかったことをもう一度問いかけると、嫌な顔もせず返してくれる。  思わず「へへっ」と笑みを零したらそれを見て、深澄が笑った声が聞こえた。   「ごめんなんか。こういうの慣れてなくて」    距離感をどうしても計りあぐねてしまうと呟けば深澄は小さな声で「いや」と言った。   「もし次にどこかへ行くことがあったら、俺も紡葵くんにお土産買ってくるよ」 「あ、そ……そっか! じゃあオレも、なんかあったら次こそちゃんと一箱とか買ってくるから」    その言葉に、胸の奥で引っかかっていたものがすっとなくなった。  変に気を回していたのが可笑しくなって、思わず顔が緩む。  なによりこの友達という関係が一方通行ではないことを改めて知れたのが嬉しかった。   「半分でも構わない。紡葵くんが美味しいと思ったものを知れるのは嬉しい」    その言い方があまりにも自然だったから、余計に困った。  喜んでいるところに、さらに喜びを注がれた気分。  若干過剰に摂取した感じで照れくさくて頬が熱を持つ。   「深澄ってたまに、そういうこと平気で言うよな」 「そうか? 気分を害しているなら気をつけるよ」 「そうは言ってない。やめなくていい」    いつも丁寧に人と一線を引いている感じなのに、時々ふっとその線を越えてくる。  オレが勝手に驚いてるだけで、恥ずかしいだけで。  気を遣って嫌ならやめると言う深澄にオレは首を振って返した。  よくよく考えれば、中学時代からの友人である莉音とは常にこんな距離感だ。ただ、まだ深澄とはそういう距離感になれてないってだけ。   「……じゃあ、次はもうちょっとちゃんと選ぶ」    次があるんだって思う期待と安堵に妙に心臓がうるさくて、オレは落ち着かせるように小さく息を吐いた。   「うん。楽しみにしてる」    また少しだけ、頬が熱くなった。  ふと視線を店内の時計に向ければ閉店時間を過ぎていた。   「ごめん、時間過ぎちゃったな。今日はもう帰るよ」 「ああ。喉、まだ少し辛そうだから。今日は早めに休んで」    土産のことで頭がいっぱいで、自分の喉の調子なんてすっかり忘れていた。  店を出る直前まで気にしてくれる深澄に、なんだか少しだけ胸がくすぐったくなる。   「うん。じゃあ、また来る」 「待ってる。帰り道気をつけて」    深澄に見送られながら、店の入口まで歩く。   「開けるよ」 「ありがと」    深澄がドアを開けてくれて、オレは外へ出た。   「じゃあ、また」 「うん。また」    オレは一度頭を下げて、バイクのところまで向かう。  ヘルメットを被り、シートに跨がってエンジンをかける。店の前を通るとさっきまで開いていた店のドアは閉じられていて、ガラス越しに【CLOSED】の札が見えた。  店頭の明かりも半分ほど消えていて、胸の奥が寂しさを覚える。    待ってる、と言われたのを思い出して、また新しい花が入ったら見に来ようと思った。

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