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第1話

【1】  ――僕たちが婚約して、もうすぐ一年が経とうとしています。あなたは「結婚するまでは」と僕にキス一つしてくれませんでしたね。それでも僕が抱きついたら、そっと腕を腰に回してくれる、あなたの優しさにいつも幸せをもらっていました。ですが、これからはこんな関係を終わりにしましょう、もっと僕に触れてほしいのです。本当に好きな人と結婚できることを幸せに思っています。      親愛なるフェルディナン・デマレさま、ジェレミー・マルディノッジより  今、手に握りしめている恋文をしたためたのは、結婚式を三日後に控えた昨夜のこと。婚約者であり、このユニヴェール王国の第一騎士団長であるフェルディナン・デマレにそれを渡せないまま、ジェレミー・マルディノッジは、見知らぬ山小屋でまさに息絶えようとしていた。飲まされた劇薬が全身をめぐり、呼吸もままならない。 「ああ、もったいない。こんなに可愛い顔をした坊ちゃんなのに。味見もしないで殺すなんて」 「薬を飲ませる以外のことはするなとの命令だ、手を出すなよ」  ジェレミーの口に無理やり劇薬を流し込んだ二人組の男が、昏倒するジェレミーの身体をつま先で突きながら会話している。ひとりは留め具にフリンジのついた、珍しい革のブーツを履いていた。  自分の殺害を誰かに指示されたような口ぶりだ。  視界が狭まっていくなか、ジェレミーの視線に気づいたのか、リーダーらしき白髪の男が「そうだ言い忘れていた」としゃがみ込んで話しかけてきた。 「俺たちの雇い主はな、あんたの婚約者フェルディナン・デマレ公子とその恋人――イザベル・マルディノッジ令嬢だぞ」  ヒュ……と喉が鳴った。この国では家督を継ぐ者以外は同性婚が許されている。ジェレミーの婚約者フェルディナンに恋人がいたというのか。しかもそれが自分の血の繋がらない妹だったなんて――。  リーダーらしき男は、口元にある大きなほくろを触りながらにやにやしていた。 「もう何年も交際していて肉体関係もあるらしいぞ。最後にあんたが絶望するように事実を伝えろと言われてたんだった。あんたと結婚する気なんか最初からなかったらしいからな。式の前に殺すのを最初から計画していたらしい。どうだ? 絶望したか? でも大丈夫、もうすぐ死ぬからさ。可愛いジェレミー坊ちゃん」  男たちの笑い声が小屋に響く。  どうして、どうして、どうして――。  呼吸が止まったのでもう何も考えられない。  ずっと好きでようやく婚約できた愛しいフェルディナンと、義妹のイザベルが、自分に隠れて恋人関係にあっただなんて……。 (それなのに、僕はこの一年、ずっとフェルディナンさまと結婚できると思って浮かれていたのか)  そんな自分をあざ笑いながら、フェルディナンとイザベルはむつみ合う時間を持っていたのだろうか――。 (ひどいじゃないか……嫌いなら嫌いって、どうして言ってくれなかったんだ。能力のない僕には、フェルディナンさましかいなかったのに)  目の前が真っ暗になった。もう死がすぐそばにある。握っていた手紙が男たちに抜き取られたが、当然取り返す力は残っていない。きっと二人に読まれてまた嘲笑されるのだろう。  真っ暗闇のなか、目尻から落ちる涙が温かく感じた。  ジェレミーは、強く願った。 (時間が巻き戻せたら……絶対に復讐してやるのに――)         * 「復讐してやるのに!」  そう叫んだ自分の声で、ジェレミーは目を覚ました。  きゃあ、という女性の声とともに、陶器の割れる音がする。振り向くと花瓶を取り落とした侍女アンナが「申し訳ありません」と謝っていた。  ジェレミーは「あれ」と身体を起こす。どうやらベッドに寝ていたらしい。あたりを見回すと、実家であるマルディノッジ公爵家の自室だった。 (さっきまで山小屋で劇薬を飲まされて息が止まっていたのに……もしかして誰かが助けてくれたのか……?)  しかし、自分の世話をしている侍女アンナがなぜいるのだろう。  多くの使用人が自分に冷たい態度を取るなかで、彼女だけは愛想なくとも長年ジェレミーによくしてくれた侍女だ。  先月、ネックレスを盗んだと疑いをかけられ、解雇されたはずだ。そう、血の繋がらない妹であるイザベル・マルディノッジのネックレスを――。 「そうだ……イザベル! フェルディナンさま!」  ジェレミーは両手で頬を覆って叫ぶ。  長年秘密の恋人関係にあった二人が、自分を殺害しようとしたと聞いたばかりだった。婚約関係にあったジェレミーとフェルディナンの結婚式の目前で――。 「許せない! 僕が可哀想だ!」  ジェレミーは顔を覆って泣きじゃくった。  侍女のアンナが驚いて駆け寄ってくる。 「どうされました、ジェレミーさま。お加減でも」 「どうもこうもないよ、僕は殺されかけたんだよ?」  アンナがきょとんとしてこちらを見つめてくる。 「……アンナ? そうか再雇用されたから何も知らないんだね。僕がどれくらい昏倒していたか知ってる? あと僕が目を覚ましたこと医者に知らせてくれるかな。それと犯人の二人は? もう捕まった?」 「ジェレミーさまが眠っていらっしゃったのは八時間ほどです。そうしまして、私は再雇用どころか、十五歳から十年ほど勤め続けておりますが……。犯人とは何か事件が起きたのでしょうか」  へ、と声が裏返ってしまった。 「あれ? 僕、毒を飲まされて……」 「毒……ですか。ピンピンしておられるような気がしますが」  ジェレミーはベッドを飛び降りて、姿鏡に駆け寄った。 「そんなわけないよ、きっと内臓はぼろぼろだよ、だってたくさん飲まされたし、あんなに息が――」  鏡をのぞき込むと、頬をつやつやさせた黒髪の青年が映っていた。  大きくて青い瞳は適度に潤んでいて、小柄で色白ではあるが、我ながら生命力に溢れた血色をしている。 「おかしいな……いつものように健康的な美青年だ……」  侍女アンナは、内臓がぼろぼろの人間はベッドから飛び降りない、と指摘した上で「悪い夢でも見たのでは?」とぬるま湯の張った桶を差し出してくれた。

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