12 / 12
第12話
◆
さて、それから一夜が明けた。
顔の上に日が差している感じがして、俺は少し重いまぶたを開けた。
カーテンの隙間から細く朝日が差し込んでいる。
俺は片手でスマホの画面を点けた。アラームが鳴る時刻にはまだ余裕がある。
「ン……」
マシューが小さく身震いして俺を引き寄せた。
寝る前に着るものは着たとはいえ、冬に向かう季節の朝は冷える。
俺はマシューの肩に毛布をかけた。
薄明るい部屋の中で、ブルネットにぼんやりした天使の輪が映っている。
背景に見慣れた部屋の天井がなかったら、うっかり天国に来ちまったと思うだろう。
俺は指先で輪の輪郭を撫でた。
マシューが深呼吸のような息を洩らして薄目を開けた。見える景色を確かめるように浅くまばたきして、俺の頬ごと包むように頭を撫でる。
「おはよう」
額同士が触れた。
感触を確かめるように擦りあわせてから、マシューが腕を突っ張って上体を起こす。
「きみの分のパンも焼いてきていい?」
「あと10分待ってくれ。一緒に作ろう」
俺たちは身支度を済ませてキッチンに降りた。
冷蔵庫を開け、ベーコンと卵を作業台に出す。
「お湯沸かすね」
「ああ」
俺は熱したフライパンにベーコンを並べた。片面を返し、片手で卵を割って上から落とす。
ふといい匂いがして振り返ると、マシューがトースターからクロワッサンを出したところだった。
「お皿はこれでいい?」
「ああ。ありがとう」
テーブルの上に朝食一式が並んだ。
クロワッサンとベーコンがいい色に焼けている。
俺はその横に温めなおしたローストベジタブルを添えた。
昨日はそれどころじゃなかったが、一応夕食の仕込みは済ませていた。冷蔵庫で一晩待たせてもうまい、いい奴だ。
俺はコーヒー、マシューは紅茶を入れて席に着く。
妙にくすぐったいような、ひどく落ち着いているような、独特な気分だ。
ときどき目が合ってふっと笑うマシューに、相変わらずたまらない気分になる。
可愛いな。冗談みたいに可愛い。愛しいとも言うんだろう。
もし俺が中世の貴族だったら、数時間後には画家を呼びつけて肖像画を書かせてただろう。
現実にはとっくにそんな時代は過ぎていて、写真や動画を何百枚撮ったところでこの時間は永遠にならないし、俺にもマシューにも仕事がある。
「俺は午後から出勤なんだが、きみは?」
「夜勤だから一旦家に帰ろうかな」
皿を片づけてめいめいに家を出る支度をした。
玄関を出る前に軽く腕を引かれた。キスした。
「じゃあ、また来週」
「ああ。気をつけて帰れよ」
俺とマシューはそれぞれに笑って家を出た。
こういう日が日常になるといいな。先のことは分からないが、そういう未来は歓迎だ。
職場に着いた。カギは空いていたがシェフの姿はなかった。ロッカールームを開けた。いた。
「おう」
シェフは少し笑った。
「顔色が良くなったな」
「ええ、まあ」
俺は笑った。
「ご迷惑おかけしました」
シェフは肩をすくめた。オリバーのロッカーを指した。
「この二週間でオードブルは一通り教えた。客に出すにはあと少しだ。見ておいてやれ」
「はい」
「まあ、そうあわててわしの仕事をとるなよ。ドラマでもあせって復帰した刑事は苦労してる」
「ドラマ?」
俺は思わずシェフの顔を見た。10年近い付き合いで初めて聞く単語だ。
「オリバーに勧められたんだ。今朝シーズン3まで見た」
「寝てください」
シェフは片手を振って厨房へ出ていった。
俺はあっけにとられてその背中を見送った。
着替えを済ませたころにロッカールームのドアが開いた。
「おはようございます」
「おはよう」
オリバーは自分のロッカーに荷物を置いて、俺に近づいてきた。
なんだ、ドラマの話か?
オリバーは珍しく言いづらそうに頬をかいた。
「この前の写真、消していいっすか」
「いいが、どうした?」
「彼女にすげえ怒られました」
俺は吹きだした。
「奇遇 だな。俺もだ」
End.
ともだちにシェアしよう!

