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第七夜 崩れる鬼、甘い奉仕の教示

 怪異により、両親を殺されて一カ月が過ぎようとしている。  鬼禪が祀られし屋敷での生活に、灯緒もなんとか馴染みつつあった。  樂狐が現れて以降、鬼禪も灯緒を弄んだりしてこない。  命じられたのはただひとつ――。 「灯緒。寝室へ」 「っ、は、はい」  ――日が沈んだら、俺の元で眠れ。  夜には鬼禪の腕の中で眠らなければならない。  名を呼ばれると、内側がひどく疼く。  かといって最初のころのように灯緒を呑み込むような口づけもない。  ただ、灯緒の身体が熱を呼び起こされる時間だけが決まっていた。 「おやすみ、兄様」  鼻を焦がすような匂いを纏いながら、弟・燈赫も大人しく兄を見送る。  なぜか鬼禪も、燈赫も、以前と態度が変わったように感じた。    灯緒の肩を抱く、鬼禪を見上げる。  彼の頭は天井の梁にぶつかりそうなくらい高い。  ――最近の彼は、なんだか香りが弱いような。    いつも通りにも見えるが、どこかが違う。  彼の存在が薄まっているように感じもした。  襖を繰り返し開け、母屋の中心へと至る。  鬼禪が最後の襖に手をかけた。 「……鬼禪さま?」  手をかけたまま動かない鬼禪を、再び見上げる。  ぐらり――。  灯緒の肩から鬼禪の手が離れていき、大きな体が床に倒れた。 「鬼禪さま!」  すぐにその場にしゃがみ、灯緒は鬼禪の肩に触れた。  顔色はいつになく生気を失っている。 『あ~あ~。だからゆうてたんに』  聞き慣れつつある関西弁が聞こえ、灯緒が顔を上げる。  そこには狐に化けた樂狐がいた。  毛づくろいをしている彼の姿が、次第に人型になっていく。 「ダメやん、灯緒クン。ちゃあんと、ご主人様に奉仕せな」 「樂狐、さま……どういう意味ですか」 「サマなんて、付けんでええよ。一先ず寝室に放ろうか」  重たい鬼禪を軽々背負い、樂狐が寝室へと入る。  灯緒もそのあとに続き、横たわらされた主の顔を覗いた。  迷うように震える指先を一度握りしめ、鬼禪の額に手のひらを当てる。  灯緒が自分から触れることなど、今までなかったのに。 「オレたちはな、契約者を基本持たんのよ」 「……?」 「契約ごとなんてな、不利益ばっかやねん」  樂狐は立ち上がると、少し崩れてしまった着物を整える。 「オレなんて自由な狐やから、好きなモン追いかけて、キャッキャゆうてれば問題ないねんけど。鬼禪クンは今、そういかへん。違い分かる?」 「契約、ですか?」 「そお。かしこいねえ、灯緒クン」  樂狐はケタケタ笑ったあと、いつもの糸目をじとりと見開き灯緒に顔を近づけた。 「けど、お前さん……一度も抱かれてないやろ? 未開拓のまんまで」 「っ、え?」 「死んでまうよ? しっかり奉げな。今の鬼禪クンのお食事は、灯緒クンの熱なんやから」 「僕の熱……?」 「そーそう。鬼禪クンが死んだらボクも死んでまうよ?」  樂狐の指先が、灯緒の顎をいやらしくくすぐる。 「今キミができるんはね、鬼禪クンにキミの奥深くの熱を注ぐだけや」  目を細め、再び愉快そうに笑うと、まさぐるように灯緒の尻を撫でた。   「ココ使ってな!」  そして思い切り叩いて、その衝撃に灯緒が驚いた隙に、樂狐は姿を消した。  叩かれた場所が、ひり、と痛む。  樂狐にまで、自分が経験の浅い子供のようだということがバレている。  未開拓……その言葉が、呪文のように頭にこびりついて離れない。  今はもう、自分が鬼禪を生かすための「器」でしかないという事実に、灯緒の心臓が鈍く鐘を打った。 「――本当にあれは、余計なことばかり……」 「っ、き、鬼禪さま!」  横たわる鬼禪が目を覚ます。  主に触れようと伸ばした灯緒の手は、迷いと共に触れずに止まる。 「おまえは気にするな」 「……!」  代わりに鬼禪の手のひらが、弱々しく灯緒の頬を撫でた。 「でも、その。本当ですか……? このままでは、あなたが……」 「事実ではある。だが、最低限触れていれば死にはしない。だからおまえも死ぬことはない」  なぜかその目も、頬への触れ方も、「器」に対してのそれとは思えない。  冷たい指先が、繰り返し頬をすべる。  弱い呼吸で上下する胸に灯緒は思わず触れてしまった。 「なぜ、そこまでの危険を冒してまで……契約を」 「……覚えていないのか」  灯緒の頬を撫でていた指が、唇へと移る。  ――なんのことだろう?  鬼禪の瞳はまっすぐと灯緒を見つめる。  揺らぐ赤い瞳をこんなに見つめ返すのは初めてだった。  すると、頭の中で何かが揺れる。  遠い記憶が呼び起こされるようだ……。 「まあいい。だが、もしおまえが不安ならば。口づけだけは受け入れろ」 「わっ」  よみがえろうとした記憶の種を吹き飛ばすように、鬼禪の手のひらが後頭部へ回ると、灯緒を強く引き寄せる。  空いていた手が頬に添えられ、一カ月ぶりに口づけをされた。 「んぅっ」  体勢を崩した灯緒が、鬼禪の腕に抱かれる。  吸い付いては離れる、鬼禪の久しぶりの口づけ。  割り込んでくる舌が、やけに甘く感じてしまう。  ――ずっと、この口づけを求めていた気がする。  鬼禪の唇の温かさ、湿度を与えられなくなって一カ月。  どこか、中心が冷えていた。  口づけを再び与えられ、灯緒の心に温度が戻って来る。  ――もっと奥まで、あなたの熱がほしい……。  気がつくと、灯緒もぎこちなく舌を、主のそれに絡めていた。  死の恐ろしさからではない。  彼を助けたいという献身とも違う。  ただ、身体の奥にぽっかり空いていた、主の輪郭を取り戻していくその快感に、灯緒は身を震わせていた。  少しずつ鬼禪の纏っている風の香りが濃くなっていく。  それと同時に、鬼禪の力強さも回復し始め、気づけば灯緒は布団に沈みこまされていた。  深く、深く。  舌が絡んでいく。  苦しいのに、やめてほしくない。 「はぁ……」  鬼禪の唇が、熱のこもった吐息と共に離れた。  二人を繋ぐ唾液の糸に気づき、灯緒の唇を拭うと、鬼禪はその熱から離れていった。 「鬼禪さま、どこへ……」 「風にあたるだけだ。おまえは寝ていろ」  まだふらつく足で立ち上がる鬼禪。  その主の袖を、灯緒が掴む。 「っ、待って」  思わず鬼禪も振り返る。  灯緒の瞳がゆらゆらと情に揺れているのが、鬼禪にも理解できた。 「奉仕、とは……どうすればいいか、教えてくださいませんか」  鬼禪の自制心が、灯緒の一言で足場を無くしていく。  襖を向いていたつま先は、再び灯緒の方を向いた。  鬼禪は灯緒の手を取り、膝をつく。  確かめるように額を撫で、熱を確認した。 「すみません、僕はただ……その、なにをしたらいいか」  不安に泳ぐ瞳を追い駆けるように、鬼禪の手のひらが灯緒の顔を固定する。  髪を掬い、耳にかけ、首筋をなぞる。  それから灯緒の受容の香を確かめるように、耳の裏に顔を寄せた。 「ぁっ」  小さく震える肩。  鼻腔を強くくすぐる、灯緒の欲情。  ――俺は今、命じたのか。  ――それとも本当に、求められているのか。  鬼禪の心もまた、揺れる。 「命を失うのが怖いか」 「え?」 「どうなんだ」  鬼禪の問いが、灯緒の周りに漂う香りをほんの一瞬崩した。  もしここで、灯緒が「怖い」と頷けば、今、目の前にいる灯緒は、ただの「命乞いをする獲物」になってしまう。 「そ、れは……」  震える唇と泳ぐ瞳が、答えを紡ごうとしたそのとき。  灯緒の肩を鬼禪が優しく抱きしめる。  ――だめだ。  そんな真実は、求めていない。  欲しいのは、灯緒の、偽りの奉仕ではない。 「答えるな。今だけは」  鬼禪の拒絶に、灯緒の心が揺らぐ。  この悲しい香りを纏った鬼を、失いたくない。  彼の輪郭に溺れ続けたい。  そんな、灯緒の心を伝えるすべを断たれた気がしてしまう。  ――“死を恐れて、心変わりをした”。  ――もしそうならば……抱き殺してしまいそうだ。  しかし、鬼禪にとってはただの時間稼ぎと同じだ。  ――ただ信じ込ませてほしい。一瞬でも、灯緒の意思でこの俺に触れたのだと。  肩にうずめた唇は、灯緒の肌に繰り返し吸い付き、薄紅の花を散らし始めた。  着物を崩しながら、灯緒の身体を沈め、鬼禪の熱が埋もれていく。  灯緒の華奢な手のひらが、おずおずと鬼禪の首に巻き付いた。 「下手な奉仕だ……」  そう呟きながら顔を上げて、灯緒の唇に食いつく。  息を奪うほどに、深く、深く――。

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