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二章『第二話 裏にある思い』

「いやぁ、取締機関の御二方、本日はご苦労様でした!」  教室を後にした帰路の途中、不意に掛けられた声に後ろを振り返れば、そこにはこの学園の教頭である男が立っていた。  まるで貼り付けたかのようなにこやかな笑みを浮かべるその姿に、俺はにこりと笑みを返す。 「こんにちは、教頭先生。お気遣い痛み入ります」  俺がそう告げると、その言葉に倣うよう、瑠璃さんは隣で軽く会釈する。 「いえいえ! こちらも取締機関の皆様のおかげで、こうして平穏無事に学びの場を設けられるのですから。これくらい普通ですよ! それでどうです? 今年の生徒たちは」  すると、異常なほど上機嫌な様子の教頭は続けて、にこにこと笑みを絶やさず俺たちの前の道を指し示した。引き止めてしまってすみませんと言いながら、教頭は前へと促してくる。……一緒に行きましょう、ということなのだろう。  そんな教頭を前に俺は、軽く苦笑を漏らし、ではと促されるまま足を前に進めた。それに続く瑠璃さんは、眉間に皺を寄せたまま、未だに言葉を発さない。  けれど、どうやら教頭は、そんな瑠璃さんの様子は気に留めていない様子だった。  以降、つらつらと続けられる言葉の数々。それは、そのどれもが明らかに自慢としかとれない内容ばかり。  正直こういったタイプの人間のあしらい方は不得手で、どうにも対処に困ってしまう。長引かせようものなら、隣でいつ瑠璃さんが爆発してしまうかも分からないし……。ああ、こんなことなら、鴇さんに対処法を教わっておけば良かった。  そんな折、丁度別れ道に差し掛かった。  ああ、ようやく解放される。少なからずそんなことを胸に秘めながら、俺は教頭へと会釈をした。 「それでは、私たちはこちらなので……」 「ああ、そうでした! いやはや、ご多忙な取締機関の方の貴重なお時間を割いてしまい、申し訳ありません」  返ってきた教頭の言葉に、いえそんなことは……そう返そうとした、その時だった。 「そういえば」  不意に落とされたその言葉は、どうしてかいやにはっきりと耳に届いてきた。 「貴方は……、なのでしょうか」  その言葉に、ピクリと眉が跳ね上がる。  何かを詮索するような、そんな無遠慮な視線。その視線が秘める思惑には、嫌というほど心当たりがある。今までにも何度か経験してきた、こちらを値踏みするその目。……何度経験しても気持ちの良いものじゃない、その視線。  けれど、俺はその問いを聞くや、顔色を変えず。ただにこりと笑みを浮かべた。 「はい、龍の系譜ですよ」 「……右に同じく」  こちらの返答に、瑠璃さんもまた同様に返事をする。相変わらず、不機嫌そうな仏頂面のままだったけれど。それでも、どうやら平穏に事を終わらせようとしてくれるその姿勢に、安堵の息が漏れる。  もし仮に、これが燐であったら、こうはいかない。相手の胸ぐらに掴み掛かり、あ?と凄むや殴りかかろうとしただろう。そう思うと、やっぱり瑠璃さんに付いてきてもらって正解だった。  すると、そんな俺たちの返答を聞くや、教頭はそうですかとひとつ声を落とした。その声音は、先ほどまでのものと比べるとひどく静かで……そして、薄暗い。  けれど、それも一瞬のことだった。すぐに教頭の纏っていた空気は、先ほどまでのそれに戻っていて、浮かべられる笑みすら先刻のものと寸分の違いもない。 「……なるほどなるほど! いや、失礼しました。今回任に当たった文月班は、ドラゴンの系譜の方が班長だとお聞きしましたので。それが、随分とお若く線の細い方が来られたものだから、不思議に思っていたのですよ」  いやまぁ特に深い意味はないんですけれどね、とあからさまにわざとらしい言葉を連ねる教頭に、けれど俺は顔に笑みを浮かべたまま、そうでしたかと零した。 「ああ、それで。申し訳ありません、今回班長は別の任についており、副長である私に任せていただいたんです」 「ああいえ、謝らないでください! 私が早合点してしまっただけですので……。ああしまった、また引き止めてしまいましたね。それでは、私はこれで。……また、次の機会があれば是非、班長殿ともお話しさせてください」  そう言い残すと、教頭はようやく教員室へと姿を消していった。その背を見つめながら、『じゃあ行きましょうか』と瑠璃さんに声をかけ、俺たちはその場から離れる。  暫く無言で廊下を歩き、人気がなくなってきた頃。無意識に張り詰めていた緊張の糸を解くよう、はぁと息を吐き出す。 「ハァァ……疲れた」 「お疲れ様です」  俺の吐き出した言葉に、瑠璃さんがすかさず労いの言葉をかけてくれる。それに感謝の意を示せば、瑠璃さんもどこか煩わしそうに眼鏡を押し上げた。 「……今の時代、あれほどあからさまな態度も珍しいですね」  さしもの瑠璃さんでも、教頭のあの態度は腹に据えかねたのだろう。そう続けられたその言葉に、俺はそうですねぇと頷き返す。  ドラゴン派と龍派間の確執がまだ根強かった頃は、それこそ先ほどの教頭のような視線を向けられることは少なくなかった。  自分の方こそが強者であると、崇高なものを崇拝しているのだと言わんばかりの目。今でこそ、取締機関が中立として目を光らせているから、行き過ぎた過激派も減ってはきているが、何もそれが全てなくなったわけではないのだ。  心のうちに秘めて隠している各派の贔屓連中は、流石に取り締まることができない。 「ただ、おかげで納得しました」 「納得?」  その時、俺の言葉に緩く首を傾げる瑠璃さんに、俺ははい、と返す。 「以前、弟が言ってたんです。前任の教頭先生が好きだったわけではないけれど、今と比べると断然前の方が良かったって。正直、普段はあまりそういったことを言うタイプじゃないから、珍しいと思ってたんですよ。……でもまぁ、あれほどあからさまなら、正直納得ですね」  以前空が零した言葉を思い出しながら、俺はそう続ける。  学校のことは疎か、他人のことは基本興味がないと言ってのける弟が、そう断言したから。ずっと気にはなっていたのだが……なるほど、こういう理由があったわけか。  すると、瞬間瑠璃さんはああ、と得心した様子で頷いた。 「成程。そういえば、御兄弟は此処の生徒でしたか」  瑠璃さんの零したその言葉に、俺はへらりと笑い首肯した。 「はい、ここの四回生です。兄としての贔屓目で見ても、とても良い子で、俺なんかよりも敏い自慢の弟なんですよ」  八つ年下の、俺に残された、ただ一人の家族。両親を亡くした時、まだ幼かった空を俺は、兄というよりももう親同然に育て、見守ってきた。 「そのせいか、肝心なことはいつも全く話そうとしなくて。おかげで、余計に心配なんです。空……弟は少し、特殊だから」  少し含みを持たせたその言葉に、瑠璃さんはまた、納得した様子で静かに眼鏡を掛け直した。 「……御兄弟には、未だ開花は見られない、と。……そういうことですか」 「あ、やっぱり知ってましたか。さすが瑠璃さん」  瑠璃さんの言葉に対し、俺はなんだ、と笑う。それに対し、瑠璃さんもこれくらいは知っています、と返してきた。 「もう何年同班だと思ってるんですか。文月班班員として、副長の事情を知らないというのも可笑しな話でしょう」  ふん、と俺の言葉に瑠璃さんは眉間に皺を刻み、ほんの少し不機嫌そうな顔をしたが。すぐに表情を元に戻した。 「……通常であれば、系譜持ちとして能力が開花するのは、早くて六歳……遅くても十二、三歳ほど。確かに、御兄弟は開花がかなり遅いですね」  賢く、運動神経も良い弟。手が掛からない常識人で、学校からの評価も悪くない。――――なのに。  空は、今年で十六歳。……それなのに、本来はあるはずの竜の能力というものが、空には備わっていない。系譜持ち特有の紋様はあるというのに、だ。 「……はい」  瑠璃さんの言葉に、俺は小さくひとつ、首肯した。  空の力が発現しない理由は、分かっていない。一応、医者や学者など、系譜持ちに詳しい人物に何度か当たってみたりはしたけれど……その原因は、終ぞ分からなかった。  幸か不幸か、能力がない以外体に不調はまったくなく、その上空本人があまり気にするようなこともなかった為、現在まで何事もなく日々を過ごしてはいるが。……今後も、そうとは限らない。  ――――もし今後、体に不調が出たら? 本当に命に別状はないのか?  何もかもが分からない状態でそのまま放って置けるほど、俺も能天気ではいられない。残された、たった一人の家族だから。早くに他界した両親の分まで、兄である自分が、守らなければ。 「こういう時は流石に、両親がいたらなぁって思ってしまうんです。俺自身はすぐに能力が出てきた口だから、そのことに関しては、全然空の気持ちに寄り添ってやれなくて。……不甲斐ないです」  そう零しながら、俺は静かにぐっ、と掌を握りしめた。 「…………」  俺がそう話した後、隣が途端無言になったものだから、ハッとする。そりゃあそうだ。突然こんな暗い身の上話を聞かされて、さしもの瑠璃さんといえど困らないわけがない。 「あ……え、っと……」  ああしまった、失敗した。なんて思ってももう遅いだろう。それでもどうにか繕おうと、咄嗟にへらりと笑みを浮かべ、隣を見上げる。 「あー、あはは。すみません、突然こんな。瑠璃さんは気に――――」  気にしないで下さい。そう続けるつもりだった言葉は、けれど、不意に隣から頭上へと伸ばされた手の平によって、制されてしまった。 「へっ、わ、わわっ⁉︎」  そうやって、突然ぐしゃり、と不器用な手付きで撫ぜられたものだから、言葉が詰まる。  それでも変わらず瑠璃さんは言葉を発さず、なんならため息を吐くものだから、俺は何が何やら分からなくて。 「る、瑠璃さんっ……? な、何、なんで……っ?」  訳が分からずあたふたしていると、次第に俺の髪をかき混ぜていた大きな掌は離れていった。そのまま、呆然と瑠璃さんを見上げていると、頭上から深く長いため息が落とされた。 「……まったく。貴方といい、アレといい……何故貴方達は、こういうところばかり似ているのか」  そうして、ため息交じりに零されたのは、そんな言葉。 「え?」  そんな瑠璃さんの言葉に目を瞬かせていると、いえ、と瑠璃さんは小さく零した。 「なんでもありません。……先を急ぎましょう」 「へ、? あっ、は、はい……!」  そうして呆けていたら、瑠璃さんがまた眉間に皺をこれでもかと刻んだ顔で、歩を速めたものだから。俺はすぐに気を取り直し、その背を追った。  アレ、って……誰のことを指しているんですか、なんて。苦々しい顔で呟いた瑠璃さんを前にして、そんなことは流石に聞けなかった。

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