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小話3 闇の城の魔宴
大晦日の朝。布団の温もりに微睡んでいた路央を覚醒させたのは、特別な着信音だった。
その音を聞いた瞬間、路央は目にも留まらぬ速さでスマホを手に取る。受話口から聞こえてきたのは、いつだって路央の体温を跳ね上げる男の声だった。
『おはよー路央。今日、うちで"真の忘年会"やろうぜ』
郁杜も連れておいでよ、と誘われるまま、二人は年の最終日に大量の酒とつまみを抱え、あの銀白の城へと足を踏み入れた。
最上階のペントハウスでは、羽瑠矢と智紘が二人を迎え入れた。路央は広すぎるリビングを見渡し、意外そうに羽瑠矢へ問う。
「あれ。もっと大勢集まってるものかと思ったんだけど」
それを聞いた羽瑠矢は、心底疲れ切った顔で語り出した。
十二月に入ってからというもの、連日のように開催される忘年会という名の酒乱の場。上司に気を使いながら酒を注ぎ、クライアントの重鎮には胃袋を試されるように注がれ、去りゆく年を惜しむ隙など欠片もなかったという。
「というわけで、気心知れたメンバーだけで、ゆく年を『真に』忘れる会を開催することにした。すべては来る年と、俺のために」
路央は羽瑠矢に同情しつつも、彼が自分を「気の置けない友人」の枠に置いてくれていることに、得も言われぬ喜びを覚えた。かつて彼に救われたように、自分も彼の救いになれているのなら、これほど誇らしいことはない。
色鮮やかな料理と銘酒が並び、宴は和やかに始まった。
この四人が集まると、主に喋るのは羽瑠矢と路央だ。二人は楽しそうに仕事の成果を語り、人間関係の苦悩を嘆き、大学時代の思い出話に花を咲かせた。
「路央、二年の時の『後宮騒動』知ってる?」
「知ってるに決まってるじゃん。女子たちが、智紘くんだけ一夫多妻制を採用して、自分たちに序列をつけたらどうかって言い出したんだろ」
「あれさ、ミスコン出場者の半数以上が後宮入りに挙手して、彼女らに懸想する男たちも混ざって阿鼻叫喚の地獄絵図になったんだよ」
「なにそれ、知らない」
現代の光源氏こと、玖我智紘にまつわる苦労話を肴に、路央はグラスをどんどん傾ける。そうしながら路央は、自分が以前とは違う意味でリラックスしていることに気がついた。かつて彼に恋していた時のような、心臓が爆ぜそうなときめきはない。ただ、気を許した親友と語り合う心地よさだけがある。
路央はすっかり毒気を抜かれ、ふにゃふにゃになりながら喋り倒した。
テーブルの料理があらかた片付いた頃、羽瑠矢がいたずらっぽく笑った。
「せっかく四人いるんだから、遊ぼーよ」
智紘が即座に「4P?」と返し、路央に脛を蹴り飛ばされる。
羽瑠矢が懐から取り出したのは、トランプ。この時のために用意したらしい、新品のデックだ。
「羽瑠矢くんにしては健全だね?」
「路央までそういうこと言うんだ」
そうして始まった大富豪大会で、一人勝ちし続けたのは案の定、智紘だった。
「智紘くん、強すぎん?」
路央が大量のカードを残して嘆く。二番目に上がった郁杜が、興味深げに智紘へ尋ねた。
「なにかコツがあるんですか?」
「誰が今何のカードを持っているか、出したカードから予想がつくじゃん」
当然のように答える智紘に、羽瑠矢と路央の顔がクエスチョンマークで埋まる。反対に郁杜は、「なるほど」と深く納得した顔を見せた。
結局、惨敗した羽瑠矢と路央はやけ酒を始め、郁杜は智紘を誘って将棋アプリで対戦を始めた。
酔っ払い二人のダル絡みを適当にいなしながら、二人の「将」の戦いは白熱を極めた。何戦か交えた後、連勝を収めた智紘が真面目な顔で言った。
「戦が起きたら、郁杜を俺の参謀役に据える」
自らが大将であることを微塵も疑わない傲岸不遜な発言。だが郁杜もまた、顔を引き締めて答えた。
「謹んで拝命します」
その脇では、二体の酔っぱらいがぐにゃぐにゃになりながら、意味もなく笑い声を上げていた。
夜も更け、郁杜が皿洗いを終えてリビングに戻ると、ソファでは羽瑠矢と路央がくっつき合って寝息を立てていた。
すると、智紘が羽瑠矢の隣に座り、その肩を優しく揺らした。
「羽瑠矢、ベッド行く?」
羽瑠矢が瞼を震わせて目を開く。覗いた瞳は潤んで、底の見えない深海のようだった。彼は至近距離にいる智紘を見、次いで路央と郁杜を見て、口角を妖しく持ち上げた。
「あれ、4Pすんの?」
見せつけるように、羽瑠矢が智紘に四肢を絡ませる。挑発的な仕草、端々から滲み出る濃厚な色香。智紘はそんな羽瑠矢を愛おしげに見つめて口付けると、揶揄うような視線を郁杜へ向けた。
「泊まってく?」
郁杜は、何枚も上手な男たちの真意を探るべく思考を巡らせたが、すぐに止めた。考えても無駄だ。こいつらは、二人が二人であるために、周囲の人間を舞台装置にすることを厭わない人種なのだ。自分たちにもメリットがあれば、誘いに乗るのはやぶさかではなかったが、美しい男たちの背景に甘んじるのは癪だった。
郁杜は、眠りこけている路央を軽々と抱きかかえた。腕の中で、温かい体がむずかるように動く。その質量を愛おしく感じながら、いまだ挑戦的な目を向けてくる二人へ言い放った。
「今日は帰ります。……どうぞ、二人で楽しんで」
広い廊下を抜け、玄関へと向かう背後から、淫靡な笑い声が聞こえた気がした。郁杜はそれを振り払うようにして、今や闇色の城となった「魔女の住処」を脱出したのだった。
◇
路央を腕に抱え、新年の特別ダイヤで走る深夜列車へと飛び乗る。
座席に腰を下ろすと、ようやく一息つけた。傍らでは、路央が酒で頬を上気させ、潤んだ瞳をどこか遠くへと向けている。
しばらくの間、二人は電車の不規則な揺れに身を任せ、ぼんやりと肩を寄せ合っていた。
ふと、路央が顔を上げ、郁杜を見つめて呟くように言った。
「おまえさ……何も、聞かないよね」
郁杜には、その問いの真意がすぐに分かった。
路央がかつて交際していた「好きでもない男」と、同時に存在した「叶うことのない初恋」。
銀白の城に住まう、歪に絡み合った智紘と羽瑠矢。そして、そこから今なお糸を伸ばされている路央。
彼らの立ち居振る舞いと路央の言葉の端々から、過去に横たわる複雑な事情は容易に想像がついた。
常識的に考えれば、自分の恋人が元彼や過去の想い人と今も親密にしている状況は、決して快いものではないはずだ――路央はそう言いたいのだ。
郁杜は路央の顔をじっと見つめた。
猫のように爛々と輝くその瞳を見ていると、その瞳に映る世界を自分だけで塗り潰し、二度と外へは返したくないという、どす黒い感情が泥のようにせり上がってくる。
郁杜はその剥き出しの牙を無表情の下に収め、思考を巡らせるように視線を遠くへ投げながら口を開いた。
「居場所がたくさんあるのは、良いことだろ。人間は、それぞれの場所で楽しんだり、成長したり、癒やされたりするものだから」
路央の瞳が、続きを促すように郁杜を見つめている。郁杜は路央の体を強く抱き寄せながら、静かに、けれど断固とした口調で続けた。
「……それに、路央くんはどこに行っても、誰に餌を与えられても。最後には、ここに戻ってくる」
確信だった。自信過剰とも取れる不遜な言葉。
しかし路央にとっては、全幅の信頼を置いていると言われたも同然だった。路央の背筋に、歓びとも怖ろしさともつかない、熱い戦慄が走る。
周囲を見渡せば、新年を寿ぎ浮ついた乗客たちは、自分たちに目もくれていない。
路央は体をぐっと伸ばし、郁杜の耳元へ手を添えた。足元から無限に湧き上がり、咲きこぼれる紅梅の色をした感情を乗せて、密やかに囁く。
「郁杜が好きだよ」
言われた男は、驚いたように目を丸くした。
そして、いつもの静謐な空気を脱ぎ捨て、冬の凍てつく世界を溶かすような、花がほころぶ笑顔を見せた。人目も憚らず、路央の腰をぎゅっと抱き寄せてくる。
路央は、目の前の男の表情のすべてを一瞬たりとも見逃したくなくて、瞬きもせず見つめ続けた。逞しい胸に、その身を預ける。
終着駅を目指す電車の揺れに合わせ、恋人たちの温かな感情もまた、溶け合い、絡み合い、ゆらゆらと揺れ続けていた。
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