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受容
革靴の音がコンクリートの部屋に響き渡る。
数名の足音は部屋の中をゆっくりと歩き、ひとつひとつの『モノ』を一緒に眺めては止まり、を繰り返していた。
足音と一緒に棒をつく音がするのは一人の男が杖をついているせいだ。
「大佐、お疲れではないですか。ここでは休めませんので、早めに引き上げましょう。見るものもそう多くはないですし」
そう言われた上野は、気を使う柴原に微笑み、そして苦笑する。
「大丈夫だよ。足も痛くはない。しかし慣れないな…大佐呼びは」
ここは、愁一が一日前に鋭泰を制裁した部屋だった。
三人はここへ検分にやってきている。
「仕方ないですよ。あなた殉職して二階級特進してますので」
冷静にそう言い、芝原は一応上野に革手袋を渡す。
実際亡くなって二階級特進したとして、本人にそう呼ぶこともありえない状況なので、芝原は面白がって使っているとしか思えなかった。
上野の殉職は日本 の本営まで知らされ、正式に認められていた。
しかしそれは、逆に上野の命を守る為だった。
満洲国建国に尽力をし、この時代の中国に起こるあらゆる有事に関わってきた上野だったが、満洲国の在り方は関東軍と対立している。
満洲国を橋頭堡として大陸進出を目論む関東軍と、満洲国止まりでそこだけの領地で留めようとした上野とその周辺。
『その周辺』と言うのは関東軍とはいえ露骨に手を下せるところでもなく、まずは総指揮をしていた上野を亡き者にしようという動きが出てきていたのだ。
それを察知した特務が今回の上野暗殺の事件に乗り、まずは死亡を公表した。
敵を欺くには味方から。実際関東軍などは身内でもあるものだから本当に死亡ということにしないと欺けない。
上野の生存は、特務の中でも上野班と直属の上の者しか知らないことだ。
このまま従軍も、指揮を取るだけならばできなくはなかったが、やはり足の件で自分の身すら自分で守れないと悟った上野はその作戦をのみ、そのまま死亡したという体で退官の道を選んだ。
上野が刺されてから、海軍特務は鋭泰の調査に入り、愁一が言うように鋭泰は本当にあのアヘン中毒者に上野の暗殺を依頼したのかを徹底的に洗いだしにかかった。
そしてあの場の愁一からして、いつか鋭泰に制裁を加えかねないと言うのも見越して実は愁一にも張り込みが入っていたのだ。
生活は脅かさない。制裁を加えるならばそれでいい。警察ではないから人を殺したからと言って逮捕をする権限もない。
が、特務の本来の仕事は、鋭泰確保と軍からの制裁だった。
鋭泰の調査や愁一の動向などは逐一部下から上野へと知らされ、裏社会の人間の口の硬さに閉口しながらも、二月の中旬には鋭泰が阿片窟の比較的まともな男を拾って色々画策していたことまで突き止め、あとは軍で確保をすると言う段階で愁一達が鋭泰を連れ出したことを確認した。
要は先を越されてしまったのだ。
だから検分に入っている。
場所は、当日追って特定した。
「しかし凄まじいですね…」
芝原は部屋を見まわし眉を顰める。
立場上、凄惨な現場は今まで見てこなかった訳ではないが、この現場は何か人の執念というか恨みというか、念のようなものまで感じられ、そこここに横たわるアヘン中毒者の遺体や、鉄骨に後ろ手に上半身でぶら下がっている鋭泰の亡骸とともに、見た目よりも凄惨さが倍増していた。
「あのライオンはどうするつもりだったんでしょうね」
最初入った時にその存在には驚いたが、鎖に繋がれていることを芝原が確認している。
元の檻の前で、昨日から咥えているハオレイの腕をまだ齧っているフーフーは、アヘンの部屋が開けられて吹き出した空気に当てられたのか、猛獣にしてはぼんやりしているようにも見えた。
「愁一達 がここに戻ることはないのだとしたら、あの肉塊を食べきったら餓死ということになるな」
部屋中を見回して、上野は杖を鳴らして向きを変えた。
あの日、脇腹を刺された上野はあれからすぐに艦医のところへ連れて行かれ、相当量の失血で意識が遠のきかけているところにありったけの輸血をされて、半月寝たきりだった。
意識を取り戻したのは1週間後だったが、その頃はだいぶ痩せて筋力も落ちてしまっていた。
3週間経った頃、少しは動いていいということで洗面に立った時に足が効かなくて戸惑ったものだった。
筋肉が傷ついていて、左足に一過性の麻痺が起こったと医者は言う。
機能回復の運動を重ねれば何とか普通に歩くことくらいははできるはずだというが、その時の上野は少々気が落ちてしまった。
「空気が悪いのもそうですが…なんて言うんでしょうね、非常に圧を感じる部屋ですね」
上野が刺された日に、上野に応急的処置を施し担いで帰っていった大男、久松が革の手袋を嵌めながら言う。
「私もそれは感じている。目に見えないものを信じるタチではないのだが…念というかいろんな思念が渦巻いている感じだな…」
うなだれるように前傾姿勢で絶命している鋭泰を見下ろし、頭の上部の頭皮の見え具合や、髪の束が無造作に放り投げられている様などを見て『これはかなり激怒していただろうな』と愁一を思う。
あの時の、暗殺者へ向けた銃の打ち方などからして、自分の代わりの暗殺者が『アレ』だったことがプライドを刺激したのは見てとれた。
あとは…少々自惚れれば、自分が刺された事への怒りもあったとも思っている。
この現場は、そういう思いもこもっているのだろうと冷たく鋭泰を一瞥して、上野は杖を回し、体の向きを変える。
「相当な感情でこの現場を作り上げたんだな、安堂愁一は」
一人一人のアヘン中毒者を見て回っている久松を見ながら、上野は芝原に何気なくいった。
「でしょうね。あの日もかなり怒りを感じていたようですし。貴方を刺されてだいぶ参っていたのと、なんらかの怒りが渦巻いてるようでした」
「港でね、石原中佐に安堂愁一と会って貰ったんだよ。その時に彼は私を守れなくて申し訳なかったと謝ったそうだ。責任を感じる必要などないとは言ってくれたらしいが、そう言う男なんだよ、彼は」
芝原はそう言っている上野を見つめて
「大佐、嬉しそうですよ、顔が」
呆れたように、それでいてしょうがないなと言うふうに芝原も笑って、久松同様革の手袋をはめると、鋭泰に近づき死因の特定を始めた。
上野はしまった、というふうに口元を手で覆って、顔を引き締める。
声が聞こえてきそうで、つい入り口を見てしまうがいるはずもなく、声をかけようと上野を見た芝原は挙動不審な上野に肩をすくめた。
「見事に額の真ん中を撃ち抜かれてますね。これが致命傷でしょう。しかし安堂は何でこんなに銃の扱いが上手いんですかね」
ちょっとした嫉妬を込めて、鋭泰の顔を戻す。
両肩などは、左右同じところを対象に撃たれていたりして、これは賞賛に値する。
それが跳弾を浴びながら苦労して体得したものだということは、芝原は一生知らないで過ごすはずだ。
「ここはどうしましょうか」
確認も秒で終わり、芝原は立ち上がって上野の横に立つ。
「そうだな。軍の管轄にして立ち入り禁止としておこうか。このまま葬ってしまおう。それの方が彼の意思も尊重できる」
「そうですね。元々放置するつもりだったのは目に見えていますしね」
久松も上野のそばへと戻り、中毒者たちを示しながら
「全員刃物で一撃です。こっちも見事な腕ですね」
と、死因特定の結果を報告した。
上野は多分、それは星宇の仕事だったのだろうと推測して、あの二人の腕を勿体無いなと思ったりもした。
上野には、この現場がきっとあの二人にも最後の仕事なのだろうということは薄々感じてはいたのだ。
「それでは戻りましょう」
芝原に促され、だいぶ慣れたがまだ片足を引きずっている上野の両脇に二人は立って出口へと向かう。
「あとは、任せたぞ芝原」
ドアの前に立って一度振り向いて部屋を眺めたあと、上野は芝原に告げる。
「今月一杯はまだ私の上司です。それまでは任務を全うしてください。亡霊でもね」
いつでも冷静な芝原の言葉に、上野は苦笑して『この部屋の直轄申請くらいはしておこう。亡霊がな』と部屋を出た。
その後上野は一度日本へ渡り、足の治療に専念することとなる。この足で愁一に会ったら、一生気にしそうだしと考えた結果のこと。
再会までは2年を要した。
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