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最終話 新たなる
「俺が仕事を辞めたところで、この砲弾の音とかは消えねえんだな」
夜蝶楼の待機部屋で、4人はいつも通り買ってきたものをつまみながら、お茶や今日は特別に少しの酒も用意した。
租界の外では未だ姦しい武器の音が鳴り響き、最近では夜中でも鳴る日が増えた。
「まあ、仕事お疲れだったなーで止まってくれたら、こっちも嬉しいけどな」
イワノフが笑って酒をチビチビと口にする。
ウォッカで育っただろうに、日本酒に怯えるという面白い習性のイワノフを何度揶揄っただろうか。
『泰然』の最後の仕事相手の鋭泰は、最後の銃弾で額を撃ち抜かれ、もう痛みも恨みもない世界へ行った。
その際に見せた涙のことは、星宇は静かに酒を飲む愁一を見ながら言ってはいけないことだと自分に刻む。
ただ愁一から感じる、どこかへ行ってしまいそうな空気が気にはなっていた。
「それでお前は仕事辞めてどうすんだ?」
リーハンがレンゲに乗せた小籠包を、慎重に口にしながら聞いてくる。
「ま、この店を続けながら、細々と文章でも書いて暮らしていくか…どっかに移り住むのもいいかな…って感じか?」
と言ったかと思うと、急に飲んでいたコップ酒を煽って正座をし土下座を始めた。
「なに?」
「何してんだよ」
「やめろって」
3人が各自頭を上げさせようと愁一の肩を掴む。
「すまないな。金になる仕事勝手にやめて。もっと早く相談できたのにな」
依頼を受けて人を殺めたり、アヘンを売ってボロ儲けしたり、時々は詐欺なども働いた仕事が全部無くなるのだ。
愁一にしたら独断で決めた罪悪感がある。
「何言ってるんだよ。それぞれ仕事あんだから、暮らしていくには充分だろ」
イワノフが空いたコップに酒を注ぎ足して、頭を上げた愁一へ突き出した。
「ま、裏稼業より現実の方がおっかなくなったことだし、潮時だったんだよ。で、なんだっけ日本語で…ん〜と」
「カンパイ、だよ」
星宇がお茶の入った茶碗を掲げ、リーハンも酒の入ったコップを持ち上げた。
愁一も差し出されたそれを受け取り
「みんなでお疲れさんだ〜。乾杯」
グラスが鳴る音を響かせて、この4人で集まる最後の夜を楽しく過ごしていた。
愁一が『泰然』をやめ仕事をやめるとなると、もう4人で集まる動機がない。
別に友達として集まったっていいのだが、どこでこの4人が裏の仕事をしていたかがバレるかもわからない。
そこをすっぱりやめるなら、集まらない方が得策だ。
「ねえねえ、愁一さ〜。俺ずっと聞きたいことあったんだけどいいかな」
星宇が焼売を飲み下して、お茶を飲みながら身を乗り出す。
「おう、何でも聞け」
色々片が付いて、愁一もちょっと落ち着いたようだ。
お酒も手伝って機嫌はいい。
「愁一はめちゃめちゃ銃上手いけどさ、あれなんで?」
あまり使うことも多くはないが、星宇が見る限り的を外したところを見たことがなくて不思議だったのだろう。
「あー、あれか」
ちょっと面白そうに愁一は笑った。
「17の時だったかな、初めて銃を手にしたんだ。変なおっさんから買ったんだけど、そりゃ最初はさあこう…ピッタリくっつけねえと無理だったさ」
自分の頭に人差し指を当てて説明をする。
「でも銃の使い道はそうじゃねえなと思って、あの地下室借りてさ、壁に的描いて」
そう言って肩を揺らして笑い、
「めっちゃ練習した」
と付け加えた。
努力を知られるのはやはり少し恥ずかしいものだ。
「えーそうなんだ。あの地下室 そんなこともできるんだね」
「コンクリ相手にか?跳弾とかなかったんか?」
イワノフがコップ酒を口に充てながら、心配そうだ。
そして詳しそうでもある。
「ああ、あったあった。ほら、これとかこれとか、全部それが掠ったやつ」
腕や足をめくって見せてくる跡は、結構深いものからもろに入り込んだものまで多数だった。
「おいおい、掠っただけじゃねえのもあるじゃねえか」
イワノフは実に嫌な顔をして、『よく生きてたな』と苦笑する。
「ほんとだよな。だからさ、壁に土を塗りたくってそこに撃ち込んでたわ。それをだんだん小さくしていって精度上げたんだ」
意外と努力の人なんだね…と星宇はなんだかびっくりしていた。
愁一にしてみれば、こんな稼業をやる以上銃は完璧な方がいいと思っただけなんだろうけれど。
「ところで俺も聞きたいことあんだよな、ずっと気になってたんだけどイワノフよ」
「なんだ?」
だいぶ酒も入って、口も軽くなる頃だ。
「お前さ、いつも的確な情報持ってきてくれてたけどさ、情報源って教えてもらえるもんなんか?」
愁一が1番気になっていたことを、酔いに任せて聞いてみる。
教えてくれないのが当たり前だとは思ってはいて、一応な、一応と念を押してから聞いてみた。
「あ〜〜〜それなあ。聞きたいか?」
「聞きたい〜。俺もいつも感心してたー。イワノフの情報間違ってないんらもん」
星宇も雰囲気に酔っているのか、飲んでもいないのに呂律が怪しい。
「実はな?お前らだから教えるけど…俺は昔ロシアのGRUにいたのよ」
「はい?」
この返事をしたのは愁一だけだった。
「げーえるうーってなに?」
星宇が代表したが、リーハンも隣で頷いている。
愁一は作家などをやっている手前、参考文献や読んだ本などにそう言う組織名はよく出てきていたので知識としては知っていた。
「ロシアの…まあ簡単に言えば軍の諜報機関ってとこか?」
わははと笑って、イワノフは酒をまたチビチビ飲む。
「ええええ?イワノフスパイなの??」
星宇の大声を手で押さえて、
「シー!声でかい。元だぞ元!」
愁一は唖然とした顔を戻して、
「追われてないのか?流石にそこを抜け出すのは…」
「正式に脱退はしたんだよ。どえらい量の書類書かされてさ。俺がいた時期の情報が一個でも漏れたら俺のせいになるんだぜ、厳しーよな。下手すると一生監視がつきかねんから、上海に来る前に整形してな。そんで身体も出来るだけ筋肉削いでひ弱に作ったし、名前も本当は違う」
『まあどっかでばれちゃいるんだろうけどな』などと豪快に笑うイワノフは、やはり器のでかい男だ。
しかし三人は、今まで一緒にやってきた人物の意外な前身を知って、今更ながら驚きを隠せなかった。
「で、俺の情報源は、某諜報団に友人がいてな。そいつも上海に潜入してスパイ活動してるんだけど、そいつに茶飲み話のついでに俺たちが引っかかった情報聞くと教えてくれたってことさ。まあ興味本位ということにはしてたけどな」
「なるほど、正確なわけだ」
愁一は呆れながらも感心する。
本物の諜報部員がたまたま入った情報を流してくれていたと言う、こちらにとってはありがたい情報源だった。
「じゃあ、今後は?戻るのか?」
「いやいやまさか。そろそろそいつも上海離れるみたいだし、ちょうどよかったよ。俺も裏の仕事がバレないうちに縁が切れそうだ。これからも焼き芋屋を続けるさ。芋くらいは買いにこいよ」
イワノフの方は大丈夫そうだ。
「リーハンはどうするんだ?」
惣菜の炒め物のエビを咥えて、星宇は今度はリーハンへ向き直る。
愁一が聞かなくても星宇が司会をしてくれて助かっていた。
「俺は〜、港で仕事続けるかな。早く終わってくれないと仕事にならんがな。そう言うお前は?」
星宇はそう言われて、
「俺は…」
少し言い淀みながらチラッと愁一を見て
「愁一がいる所にいるよ」
周りが色めき立つ。
「まさかお前!」
「愁一を?」
「え?俺を?」
愁一までボケてきて、星宇はそうじゃない!と大声で反論する。
「愁一はさ、ほっとくと何するかわかんないじゃん?」
全員が『お前ほどじゃない…』と、可哀想な目をしてきた。
「もーー!じゃあ逆に!俺が何するかわかんないから!愁一にいてもらわないと困る!」
今度は、『何言ってるかわかってんのかよ』と3人に笑われて星宇は拗ねて背中を向けてしまった。
タバコの匂いと、酒の匂い。それとつまみの匂いが混ざり合って、決していい匂いの部屋ではなかったけれど、この日の匂いは4人にとって一生忘れない匂いになっただろう。
「ふわああ〜〜」
大欠伸をしながら、愁一は椅子に座って首を回した。
ここは、上海から西に900kmほど離れた南陽市である。
あれから2年経ったが中国と日本の関係は悪化する一方だった。
まあどこへ行ったとて騒動は聞こえてくるだろうけれど、闘争最前線のような上海よりここは、静かな田舎街だ。
それにあの店は、その頃の愁一には喪失感を刺激しすぎた。
だから、あの最後にみんなで騒いだ夜から2週間ほどで移住を決めたのだ。
愁一と星宇の二人が上海を離れると決めた10日前に満洲国が建国を宣言し、その2日後に租界の外の戦いも終わった。
取り敢えず、上野が望んだ満洲国建国と上海での戦争終結という現実を、一応は見届けた形でここへ来たということだ。
店は女将に任せて南陽市へ移り住み、繁華街に店を一軒借りて文筆業の傍ら駄菓子屋をやっていた。
夜蝶楼の売上から給料や必要経費を引いたものを、母から受け継いだ通帳に入れてもらって、駄菓子屋では食っていけない足しにしている。
その通帳はなぜだか手放せなくてずっと利用していて、母がどうのというよりは、自分が生きてきた証がそこに刻まれているからかもしれなかった。
「愁一!鄭おばちゃんがきゅうりくれた!塩につけとくから後で食おうぜ」
店の外から星宇が叫ぶように言ってくる。
「おー。塩の量気をつけろよ。塩抜きめんどくせーから」
『愁一のいるところに…』と言っていた星宇は、宣言通り南陽市までついてきて、面倒をみているのかみられているのか、一緒に生活をしている。
周囲には兄弟だと言ってあるからか、男所帯に近所のお母さん方が気を遣って色々くれたりするので助かっていた。
この街の穏やかさは、癒される反面暇を持て余し気味だ。
だがそれもいい。
『たしか昨日は、向かいの梁おばちゃんから茄子をもらってきた気がするな。何にしようか…』などと考えながら
「平和だなあ…」
と呟いて会計場から立ち上がって入り口までいくと、外は快晴で陽も眩しいほどだ。
7月半ばにしては暑さも適度で過ごしやすい。
「何事もなく過ごせてるな」
などと独り言を言いながら店内に戻って会計場に座った途端、真後ろにいた人にびっくりして、つい身構えてしまった。
「すまない、驚かすつもりはなかったんだ。気づくと思って」
そう言ったのは、身なりもきちんとした男性だった。
「い、いらっしゃい」
麻のスーツに白いシャツを着た男の顔は、外を見てきた目と逆光で見えなかった。
その男性は店をぐるりと見回して聞いてくる。
「この店には、ガレットは置いていないのかい?」
ガレットと言われ、ふと寂しい郷愁感に襲われながらもそんな洒落たフランスの焼き菓子はここには…と言いかけて、ふわっと香ったタバコの香りとその声に愁一は顔を上げた。
目の前の男性は
「今度からおいてくれると助かる」
と笑った。
愁一は暫く呆けた顔でその男性を見ていたが、次の瞬間に猛烈な怒りが湧いて何か言おうとして、次には安堵感がやってきて、どうしていいかわからない感情になった。
なんであんたが……
仕方なく苦笑するしかなく『だまされてたか…』と内心思いながら一言言った。
「来るの遅いっすよ」
終
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