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第26話
翌日、黒井の代わりに藍を車でスタジオまで送ると「お前も来るか?」と藍に誘われた。一般人の自分なんかが立ち入っていいのか聞いたところ、黒井の代わりのマネージャーを名乗ればいいといい加減なことを言われたが、一日藍に付き添えるなら蒼太としては断る理由もなかった。
今日の藍のスケジュールは、新曲のレコーディング、バラエティ番組の収録、ライブの打ち合わせといったかなり多忙な内容だった。
「春さんおはよう」
二人が楽屋へと入ると、既に椅子に座ってスマホを眺めている春斗の姿があった。「おはよう藍」と顔をあげた春斗は、蒼太の存在に気がついた瞬間ぎょっとした表情を浮かべた。
「春斗さんおはようございます」
蒼太が礼儀正しく挨拶すると、春斗は動揺した様子で「あ、おはようございます」と頭を下げた。
「えっと…なんで蒼太さんがいるの?」
「黒さんの代わりに来てもらった」
藍はそのまま荷物を机に置き、春斗の正面に腰を下ろした。とりあえず蒼太も藍の隣へ座る。
「いや、黒井さんの代わりって…」
「別にこいつがいても困らないでしょ?ならいいじゃん」
蒼太の存在をあまりよく思っていない様子の春斗は、表情を曇らせたまま「まぁ、付き添いぐらいなら…」と渋々蒼太の同行を認めた。
「春斗さんすみません、急に付いてきちゃって」
「別にいいですよ、どうせ藍が無理やり連れてきたんでしょうし」
「ありがとうございます」
蒼太は笑顔で春斗にお礼を言った。未だに春斗から感じる分厚い壁に話しずらさも覚えたが、これが春斗の通常なのだろうから蒼太は無理に壁を越えようとは思わなかった。
それから長い一日が始まった。レコーディングが終わったらすぐに番組スタジオへ移動し、出演者一人一人の楽屋へ挨拶をしに行くなど、とにかく移動が多かった。ただついていっているだけだというのに、蒼太は既に気疲れを感じてしまっていた。そんな蒼太とは違い、テキパキと仕事をこなす二人は流石プロだった。疲れているような様子も一切感じさせずに、スタッフや共演者と笑顔で話している姿に蒼太は感心する。
そして久しぶりにプライベート以外で藍の姿を見た蒼太は、改めて藍の凄さを実感した。蒼太と二人でいる時の静かで冷めきった態度の藍とは真逆であり、誰に対しても愛嬌のある笑顔を振りまいている。昨日の機嫌が悪かった藍と目の前でニコニコしている藍が同一人物とは到底思えなかった。
バラエティ番組の収録が終わった藍は、一旦楽屋に戻ると「これから打ち合わせだから、どっかで時間潰してて」と蒼太に声をかけた。
「打ち合わせってどのぐらいかかるの?」
「んー、今日のはそこまでかからなそう、一時間ぐらい?」
「ならここで待ってるよ」
「そう?じゃあもう行くわ」
そう言った藍は荷物をまとめ楽屋を出ていった。すると、藍と入れ違いで春斗が楽屋に入ってきた。一瞬目があった二人は、お互いがすぐに目を逸らした。蒼太は気まずいなぁ、と思いながらも他に行く宛もなかったため、春斗が楽屋から出て行ってくれることを待つしかない。
「藍との同居生活はどんな感じですか?」
突然、春斗が蒼太に問いかけた。春斗から話しかけてくるとは思っていなかった蒼太は、少し間を空けてしまってから「順調ですよ」と答える。
「藍に何もしてませんよね?」
春斗の鋭い瞳が蒼太を捕える。威圧感のある春斗の言い方に、蒼太は一気に緊張感が高まったように感じた。
「何故そんな事を聞くんですか…?」
蒼太には春斗の質問の意図を汲み取ることが出来なかった。まるで蒼太が藍に対して何かしら酷いことをしたのではないかというような言い方に、どこか嫌悪感までも抱いてしまう。
「藍の事、好きなんですよね?」
ひゅっ、と蒼太の息が詰まる。何故蒼太が抱いている藍に対する好意が春斗にバレてしまっているのか、蒼太の頭では理解に追いつかなかった。焦りにより嫌な汗が蒼太の背中につたっていく。
「あなたと会うのはまだ二回目ですけど、今日で確信しましたよ。あなたの藍を追う視線がただの友人を見ている目ではないって。それに前回話を聞いた感じもしかしたらって思ってたんです、どうやらその反応を見るに俺の推測は正しかったみたいですね」
どうやらこの男はたった二度会っただけで蒼太の気持ちを見抜いてしまったらしい。春斗の鋭さは驚きを通り越し、もはや恐ろしい程だった。
今更この男に嘘をついても無駄なのだろうと思った蒼太は「そうだとしたら、俺が藍に手を出すと思っているんですか?」と恐る恐る口にした。
「いや、君はそんな度胸があるようには見えない。でも万が一って事もあるじゃないですか」
淡々とした様子で言葉を紡ぐ春斗に、蒼太は不快感を覚える。親しくもない云わば赤の他人にお前は藍に手を出すかもしれない、と言われたのだから不快に思うのも当然だった。
「結局何が言いたいんですか?俺は藍に手を出そうなんてそんな事絶対にしませんよ」
「でもこの仕事を引き受けたのは下心があったからですよね?」
容赦のない春斗の鋭い言葉が蒼太に突き刺さる。下心、確かにその通りだった。この仕事を引き受けた理由だって、また藍と良い関係性になれることを望んだ故のものだ。まるっきり図星をつかれた蒼太は、ぐっと自分の唇を噛み締めた。
「そうでもないと、普通そこまで親しくない男と同居だなんて引き受けないですよ。まぁ、あなたが余っ程のお人好しなら話は別ですけど」
「…確かに下心はありましたよ…でもあなたが思っているような関係を望んでいたわけではない。ただ俺は藍の友人として、あいつの傍に居たかったんです」
蒼太が言い返すと、春斗は冷たい視線を蒼太に向け「じゃあ藍と恋人になろうとか、藍に告白しようとか、そういうくだらない事は考えないでくださいね」と言った。
蒼太に怒りに似た感情が芽生える。何故春斗にそのようなことを言われなければならないのだ、藍本人に言われるならまだしも、春斗は藍のなんだっていうんだ。
「あなたに藍は相応しくない、あなたの気持ちは藍を傷つけるだけです」
春斗のその一言に、蒼太はキッと眉を釣りあげた。
「さっきからなんですか?藍の事をさも当然に知っているような態度で…あなたに藍の何が分かるって言うんですか?!」
声を荒らげた蒼太に「はぁ…」と春斗は小さなため息をついた。
「あなたよりは分かってますよ藍の事。蒼太さん、君は藍の事を何も分かってない」
──分かってない…?俺が藍の何を分かってないっていうんだ…。
「とにかくもう藍の事は諦めてくださいよ。友人でいようと思うならそのまま友人であり続けてください、藍を傷つけたくないのなら」
そう言った春斗は、蒼太を置いて楽屋を出ていった。一人取り残された蒼太は、呆然とその場に立ちすくむことしか出来なかった。
こんなにも他人に自分の気持ちを否定された事は初めてだった。自分の藍に対する感情は藍を傷つける事になる、春斗はそう言っていた。何故春斗はここまで蒼太にきついことを言ったのだろうか、蒼太の知らない藍とはなんの事なのだろうか。分からない事だらけだが、春斗が藍の事を想って言っていたことだけは理解出来た。
蒼太は恐ろしくなった、今はまだ自分を制御出来ているが、また藍が自慰をしているところに遭遇してしまったらすぐにその場から立ち去れるだろうか。我を忘れ藍に酷いことをしてしまわないだろうか、蒼太には断言出来なかった。
それだけではない、最近の藍の警戒心の無さ、すぐ触れられる距離に藍から寄ってくる程であり、蒼太は嬉しい反面自制心を抑える事に必死だった。いつか耐えられなくなり藍を押し倒してしまったら、それこそ藍を傷つけることになる。
蒼太は藍と距離を置くべきなのではないだろうか、と考えた。あの頃のような関係に戻れたのは喜ばしいが、自分が暴走してしまう前に今の状況を変える必要があった。藍の傍に居たいなどという自分の気持ちを優先させてしまった故に後戻りが出来なくなる可能性もある。春斗の言葉によって蒼太は何もかもが恐ろしくなってしまった。
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