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第6話
「おおっ、デュアンであったか」
「今度は一体何を食べたのだ」
呆れ果てたようにデュアンが尋ねる。
「お前が呪文に失敗したおかげで、私が自らの手であのちんちくりんを始末せねばならなくなったのだぞ。そんな時にお前というやつはよくそのような――」
デュアンの愚痴が聞こえていないのか、チッチラはひょいっとベッドを飛び降りると、一目散に真白の方へ駆け寄ってきた。
「おい、ちんちくりん! この菓子はお前が持って参ったものに違いないな?」
「…………」
屈強な側近に羽交い絞めにされている状況に変わりはないが、素直に「そうだ」と答える気にはなれなかった。「お前の方がもっとちんちくりんだろ」と小学生のような反論が脳裏に浮かんだ。
真白の無言の抗議を察したのか、チッチラはエヘン、と咳払いをした。
「マ、マシロといったな」
「そうですけど」
「こ、この菓子は、ヤーパ……ニーポ……ニーホー」
「日本」
「そうじゃった。そのニホンから、そなたが持ち込んだものか」
持ち込んだという表現が正確かどうかわからないが、一緒に召喚されたのだから似たようなものなのだろう。
「そうですけど」
「なんという名の菓子じゃ」
「ブールドネージュです」
チッチラはまるで愛しい恋人の名前かのように、天井を見上げながら「ブールド……ネージュ」と呟いた。
「マシロ、そなた、そのような珍妙な出で立ちをしておるが、実はヤー……ニホンの王族の一員なのだな。でなければひと口で我輩が気をやってしまうほど美味なる菓子を――」
「ちょ、ちょっと待って」
真白は慌てて大きく両手を振った。場の雰囲気が緩んだせいか、真白を羽交い絞めにしていた側近の腕にはほとんど力が入っていなかった。見ていたデュアンも側近を咎めることはなかった。
「僕は王族なんかじゃありません。普通の会社員です」
正直に言えば、かなり底辺に分類される。
「なんと、そなた平民なのか。ニホンでは、平民がこのような恐ろしいほど美味なる菓子を食しておるのか」
「現代の日本には身分制度はありません。洋菓子店に行けばもっと本格的なお菓子が誰にでも買えます」
「誰にでもだと? なんっと、羨ましい」
チッチラはそのつぶらな瞳を極限まで大きく見開いた。
「ちなみにブールドネージュはフランス発祥のお菓子なんですけど、僕がオリジナルで生地に味噌を練り込んだから、ちょっとキャラメル風味に仕上がっています」
「オリジナルじゃと? つまりこの神がかった美味しさの菓子はマシロ、そなたが作ったというのか」
真白が「はい」と答えると、チッチラは「信じられない」とばかりにあんぐりと口を開いた。そのやりとりを傍で聞いていたデュアンが、静かに口を開いた。
「本当にお前がひとりで作ったのか」
「もちろんです」
真白は力強く頷いてみせた。
真白の趣味はお菓子作りだ。特に世界中の様々な国のお菓子を作るのが好きで、先日も作ったクッキーを会社に持っていったところ「玄人はだしだ」と評判になり他の部署の社員たちからもリクエストをもらい、ちょっぴり嬉しかった。
幼い頃から将来の夢はパティシエだった。本当なら高校卒業後、その道に進むべく海外に飛び出したかったのだが、資金の目途が立たず断念した。製菓学校に進むことも考えたが、最後まで叔母に言い出すことはできなかった。
働きながらお金を貯め、いつか自分の店を開くのだ。夢を夢で終わらせたくない一心で貧乏なサラリーマン生活を送っている。そんな真白にとって、オリジナルのレシピを考案している時間が一番幸せだった。
「ミソ、とはなんだ?」
興味が湧いてきたのか、デュアンが尋ねた。すると真白が答えるより先に、チッチラがぴょんと飛び跳ねた。
「ミソなら我輩も知っておるぞ。大豆を発酵させたヤー……ニホンでよく使われておる調味料のひとつじゃ」
チッチラは偉そうにそっくりかえって講釈を垂れた。
身体の自由を取り戻した真白は、つかつかとベッドに歩み寄った。デュアンも側近たちも、もう真白の行動を阻止しようとはしなかった。
ベッドの上に放置された紙袋には、味噌味の他にもう一種類ブールドネージュが入っていたはずだ。真白は紙袋の中からビニール製の小袋を取り出した。
「あった」
記憶していた通り、小袋の中には味噌味と同じ大きさのブールドネージュが数個入っていた。強かに撥ね飛ばされたのに潰れずにいてくれた小さなボールに、愛おしさが込み上げてくる。
「それも同じブールドネージュか。少しピンク色がかっているように見えるが」
「こっちは味噌じゃなくて、細かく刻んだドライトマトが入っているんです。よかったら食べてみます?」
召喚とか異世界とか、信じられないことばかりだけれど、ブールドネージュが美味しいことだけは真実だ。腹が立つほど口の悪い国王も、きっと「美味しい」と言ってくれるはず。そう思ったのだが。
「私は遠慮しておこう」
「そう……ですか」
なぜかちょっとがっかりしてしまった。甘いものは苦手なのかもしれない。仕方なくブールドネージュを紙袋に戻そうとすると、「待たれよ」とチッチラが食いついてきた。
「デュアンが食さぬというのなら、ここは我輩が味見をしてしんぜよう。先ほどの味噌味との違いを我輩の肥えた舌でもって――」
なんやかんや理由をつけながら、チッチラがいそいそと手を伸ばしたその時だった。
「リュオ。どうしたのだ」
デュアンの声に真白は手を止めた。彼の視線の先、開かれた扉から、ひとりの男の子が顔を覗かせているのが見えた。
「今は確か、地政学の時間であろう。なぜここにいるのだ」
責めるようなデュアンの口調に、リュオと呼ばれたその男の子は怯えたように視線を泳がせた。
――地政学って、今言った……?
リュオはおそらく五歳くらいだろう。日本ならば幼稚園か保育園に通い、絵本を読んでいる年頃だ。
「……い」
リュオの消え入りそうな声が聞こえた。
「何? 声が小さくて聞こえないぞ。もっと大きな声で話しなさいと、いつも言っているだろう」
「……なさい」
多分「ごめんなさい」と言ったのだろう。雰囲気でわかるのに、デュアンは厳しい顔のままリュオを呼びつけた。
「そんなところに突っ立っていないで、入りなさい」
「…………」
リュオは数秒の間逡巡していたが、近くにいた側近に「お入りになってはいかがですか」と促され、ようやく部屋の中に入ってきた。側近が敬語を使っているところをみると、リュオは王族の人間なのだろう。
さらさらの髪には、子供特有の天使の輪が光っている。デュアンと同じ色の大きな瞳は愛らしくも上品で、面差しもやはりデュアンによく似ているように思えた。
――もしかしてデュアンの息子?
そんな真白の疑問を察したのか、デュアンがリュオに視線をやったまま「甥だ」とこれ以上ないほど端的に教えてくれた。やはり血は繋がっているようだ。
さすがに幼い甥の前で真白を切りつけることには抵抗があるのだろう、デュアンは部屋の前に集まっていた側近たちに解散を言い渡した。ひとまずのところ絶体絶命の危機を脱した真白は、心の中でふうっとひとつ大きなため息をついた。
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