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第2話 侍従は領主に嫌われたい

「す、すみません、何だかめまいが……!  緊張しすぎたみたいです」  ジェミールと良い雰囲気になっていたルリウスだったが、前世を思い出してはこうしてはいられない。  体調が悪くなったふりをして、ジェミールの腕の中から逃れる。 「大丈夫か? 今日はもう下がっても良いぞ」 「業務には支障ございません!  ただ、個人的な付き合いは……緊張してしまうのでまた今度に」  そう言ってルリウスは糠袋を掴み、ジェミールの背中を洗いはじめた。  結局、その日は二度キスした以外には何も起こらなかった。  嫌われて解雇されるためには何をすれば良い?  まず思い付くのは、不貞を働くこと。  しかしルリウスの性格的にそれは無理だった。  急に別の恋人を用意するのも、好きでもない相手と恋人ごっこをするのも、難しいだろう。  かくなる上は。  与えられた小部屋で考えを纏めてから、ルリウスは眠りについた。    朝がきた。  起き上がらないのは、生家と違ってふかふかのベッドに堕ちたからではない。  わざと寝坊して無能をアピールし、ジェミールに嫌われるという作戦だ。  しばらくすると誰かが廊下を駆けてきて、ドアを開けるなりルリウスの布団を剥ぎ取った。 「こらー! 初日から寝坊しちまうぞ!」  ルリウスを起こしに来たのは、アリアスお付きの侍従の一人、イオ・フリニウスだった。 「あっ、は、はい。すみません……」  よく考えれば寝坊作戦は仕事仲間に迷惑をかけてしまう。  これは今日限りで没、とルリウスは決意した。  次期領主であるアリアスの侍従は複数人居るが、次男であるジェラールの侍従はルリウス一人だ。  ルリウスは急いでパンを食べ、仕事着に着替えると天守を出た。    朝一番の仕事は、中庭の井戸から水を汲んでくること。  釜戸で井戸水を一度温めてから、人肌にまで冷ます。  ボウルからこぼさないように、上階にあるジェミールの部屋まで持って行くと、そっとジェミールを起こしにかかる。 「ジェミール様、おはようございます」 「ああ、おはよう」  寝起きの良いジェミールは、さっさとボウルで顔を洗う。  タオルで顔を拭いてあげてから、ルリウスはクローゼットに向かった。  このクローゼット、作戦に使える。  ルリウスが取り出したのは淡い黄色のチュニックと真っ赤なジャケット、茶色の革靴だった。 「ジェミール様、お召し物を」 「うむ……?」  ジェミールも、ルリウスが選んだ色の組み合わせを見て少し戸惑っている。  わざとダサい服を選んで幻滅させるのが、ルリウスの嫌われ作戦の一環であった。  しかしジェミールは、ルリウスの着付けに身を委ねる。 「昨日より紐を結ぶのが早くなったな」 「ありがたきお言葉」  褒められて礼を言ったが、その「昨日」のことを思い出してルリウスは顔を赤らめる。  同時に、前世の記憶も頭をよぎった。  王都で散々喧嘩した日々。  ジェミールの手で戦死した最期。  絶対に嫌われなくては!  昨日うっかりジェミールを好きだと思ってしまった屈辱に耐えながら、ルリウスはジェミールの靴磨きを終えた。  続いてルリウスがジェミールの髪を整えている時、ジェミールが鏡越しにルリウスを見ながら言った。 「歌ってくれないか」 「しょ、承知いたしました……」  陸で死んだ海鳥を仲間が悼む  哀れな海鳥の魂は五〇年を四回数えて  故郷に帰ってくると恋人を見つける  ルリウスが歌うと、ジェミールは微笑んだ。 「ありがとう。やはり私はルリウスの歌が好きだ」 「いえ、私めの歌でよければなんなりと……」 「勿論、ルリウスのことも好きだ」 「あ、ありがとうございます……」  お前も前世の記憶が蘇ったらそんなこと言えなくなるぞ、と思いながらルリウスは笑顔を作った。    侍従は朝から本当にやることが多い。  その後も香水を選んでやり、ジェミールが食堂へ行っている間にベッドを整えておき、部屋全体や暖炉を掃除する。 『今日のジェミールの予定は……外交は無いが、重臣衆議との会議が長時間ある。  夕食も彼らと摂るみたいだな。  まだ肌寒い季節だし、先に広間に行って暖炉を準備しておいた方が良いかも……それはその時の気温次第だけど』  予定を確認しつつ、ジェミールの仕事部屋へ行って必要書類をかき集める。  侍従を引き連れて身の回りの世話をさせるのはラケル人の貴人だ。  ルリウスの前世——ルトレフは今世のルリウスと同じエイカ人だった。  エイカ人にそんな習慣は無い。  なのでルトレフは領主になっても身の回りのことは自分でやっていたし、仕事は家臣と助け合って回していた。  そのお陰で、侍従の仕事にはどこか懐かしさや楽しさを感じた。    ルリウスが侍従になって数日が経った。  今日の午前は、ジェミールの予定は空いている。  必然的にルリウスも少し暇が出来るので、中庭に出て花を眺めていると、背後から声を掛けられた。 「ルリウス」  振り向くとそこには領主の妻サミラと、次期領主の妻イルズが居た。 「サミラ様、イルズ様」 「仕事に慣れるのが早いとジェミールから聞いているわ。  これからも頑張ってちょうだいね」 「ありがとうございます。  誠心誠意尽くします」  ジェミールに嫌われようとダサい服を着せ続けている最中なので、少し良心は痛んだがにこやかに礼を述べた。 「ところでルリウス、白と言えば何だと思う?」  イルズが妙なことを訊いてきた。 「白、ですか? 雪が浮かびましたが」  エイカの者なら大半が真っ先に雪と答える気はする。 「それ以外には?」 「ええと、雲……動物とか花とかの白いやつ……すみません、凡庸な答えしか出なくて」 「いや、良いの良いの。  花か……今の時期に咲いてる白い花って何だろう。  ピエの花くらいかな」 「あの、お困り事ですか?」 「うん。サロンでちょっとね」  軽くうなずいたイルズに、サミラが補足する。 「城で芸術サロンを経営しているのは私達女性なのよ。  エイカは冬が厳しい代わりに、夏は過ごしやすいでしょ? だから避暑地として売り込んで、色んな芸術家達に来てもらっているわけ」      芸術家サロンは、ルリウスが「ルトレフ」であった頃にはどの民族にも無かったものだ。  平和になったからこそ出来ることだと言えよう。 「私達がパトロンをしている芸術家の中にユーシオという男性が居て、今丁度この辺に滞在中なの。  最近彼が、『厳しい自然に生きる人々を描きたい。そのためにもこの地が雪景色になるところを見たい』と言い始めたのよ。  でもそれだと暖房費や食費、画材費が確実にパトロンへの予算を上回ってしまうわ。  ユーシオは一人じゃない、弟子も居るのよ」  サミラが心底困った様子で言う。 「ユーシオの絵は好きだし応援してるけど、経営破綻は笑えませんよねー。  だから穏便に帰ってもらうか、いっそ雪景色っぽいものを見せてあげようかと思ったんだけど、どっちも無理そうなの」  イルズが苦笑した。 「ああ、だから白いものをお聞きになったんですね。  って……もしかしてピエの花を集めて町に撒くおつもりだったとか?」 「一瞬考えたんだけど、無理かも。  採取にかかる人件費だって馬鹿にならないし」 「一応、氷室の氷を削って撒くことも考えたのよ。  でも、来賓に出す高級品をそんなことに使うのは躊躇してしまうわ……」 「来賓だって氷を楽しみにエイカに来ますからね」  サミラとイルズは悩んでいる。 「この件、ジェミール様はご存じで?」 「いえ、まだアルトゥールにしか話していないわ。  そろそろアリアスとジェミールにも議題として回した方が良いかもね」  その言葉通り兄弟にも話が行ったようで、数日後にはアリアスとイオ、ジェミールとルリウスはユーシオが滞在するというアトリエに居た。  アトリエは城からすぐの町中にあり、窓越しには大通りとそこを行き交う人々がよく見える。  エイカの厳しい冬だけでなく、そこで生きる人々にも興味を持ったユーシオらしい立地と言えよう。 「私のわがままのために御足労ありがとうございます」  まだ若い青年のユーシオは、無茶を言っているという自覚はあるようだ。  少し困った表情で頭を下げる。 「いえ、私達リンドート家はあなたの才能を愛している。  エイカの人々の冬、とても良いテーマです。  出来る限りの支援はしたい。  ですがこればかりは想像で補って描いていただく訳にはいかないでしょうか?」  アリアスが諭すが、ユーシオはさらに困った表情になった。 「私は暖かい領地の出身なので、雪の質感や、つららの形を想像することも出来ないのです……。  お恥ずかしい話ですが……」 「うーん……」  アリアスまで一緒に情けない表情になっている。 「もしリンドート家が奇跡を起こす神器を所有していたなら、真っ先にあなたのために使ったでしょうけれど……。  残念なことに、我々は神器を持ってはいないのです」 「借りれば良い」  アリアスにそう告げたのは、沈黙を貫いていたジェミールであった。  神器。  前世で「ルトレフ・ヴィオレツク」の人生を悲劇へ導いたその響きに、ルリウスは少し鎮痛な面持ちをした。

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