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第10話

 正直に言って染谷に伝えた三十分という時間はあまりにも短すぎたかもしれない。  もちろん嘘ではない。確かに俺のアルバイトの時間はあと三十分で終了だ。基本的には残業はないため上がれるのは三十分後で間違いないのだが、出来ることならシャワーを浴びたい。  今日も今日とて日中は三十度を超えるほどの真夏日だったのだ。いくら衣服に身に着けるタイプのクーラーが二つも付いているとはいえ、着ぐるみの中は灼熱であり、常にサウナの中にいるような状態だ。  つまり俺は今汗だくなのだ。  染谷から告白の返事をしたいと言われてから、暑さからくる汗とは別の汗もかいている。担当日にあんな変なことを言ってしまったのだからきっと振られるに決まっているのだが、それでも好きな人と会うときくらいは、それなりに身なりを整えた状態で会いたいものだ。  そんなことを考えていると時刻は十八時。本日のアルバイト終了の時間だ。  染谷と今から会うことに気を取られており、すっかり時間を確認するのを忘れていた。  (急がなきゃ……!)  遊園地内を血みどろベアに許された最も早いスピードで駆け抜ける。  この時間になってくると帰路に就こうとする者も多いため、多くのお客さんとすれ違うことになったのだが、こんな日に限って何故かほとんどのお客さんが俺にスマホを向けて写真を撮ったり、動画を撮ったりしている。  (え? は? なんで?)  普段なら血みどろベアはこの遊園地のマスコットキャラクターとして一番と言っていいほど不人気なキャラクターのため、写真を撮られたりすることはないのだが、どうして今ほとんどのお客さんが俺にスマホを向けているのか理解できなかった。  しかしその理由はすぐにわかることとなった。  「いつもより怖くない?」「なんか今日迫力あるくね?」「ちょっとかわいいかも……」とお客さんが話しているのが聞こえてきたからだ。  今は急いで染谷のもとへ急ぐために普段では絶対に出さない速度で移動しているため、それが逆に血みどろベアの良さを引き立てていたらしい。確かに普段は癖で摺り足で歩くことが多いためそこまで速度は出していない。そう考えると割と早歩きするクマは怖いという印象を与えてもおかしくないだろう。  (普段からこんな感じでいけばもっと人気でるんか……?)  染谷のおかげで好きになってきた自身が中の人をやっている血みどろベアの人気を上げるためには何をすればいいのかと考えていたことろだったため、もっとクマっぽさを出せばいいのかとここで気が付いた。  思い返してみればただベンチに座っているだけや、ただただ立ち尽くしている状態もクマっぽさがあっていいと評価をもらっていたことを思い出す。  (って、今はこんなこと考えている場合じゃねぇ!)  現在進行形で俺は今染谷をゲート付近で待たせていることを思い出し、立ち止まろうとしていた足を再度回転させ、事務所へと急ぐ。  事務所に着くなり、血みどろベアの着ぐるみをいつもよりも雑に脱ぎ捨てる。もちろん仕事着ではあるし、俺だけが使うわけじゃないので、どんなに急いでいてもそこはちゃんと理性が働き、脱ぎ方こそ雑だったもののいつも通り消毒などの対応を手短に済ませる。  それが終わるとロッカーから着替えとタオルを取り出し、シャワー室へ駆けこむ。そんな様子を見ていた水科さんからは何か予定があるのかと問われたが、「そうです! すみません!」と大声かつ端的な回答だけを行い、好きな人に会うために汗を洗い流し体を清潔にしていく。  ここからは本当に時間との勝負だ。  ある程度水滴が体に残っていてもこの残暑ならすぐに乾くだろうと、あまり気にせず服を着る。先ほどまで着ていた汗だくの服をリュックの中に投げ捨てるようにして入れると、事務所内の時計を確認する。  染谷には三十分で終わると伝えていたが、今の時刻は染谷に時間を伝えてから四十分が経過しようとしていた。  「……やばくない?」  改めて染谷を待たせていることを自覚し、「お先です! お疲れさまでした!」と大声で事務所中に聞こえる声で挨拶をしたのちに急いで事務所を出る。しかし「四季くん!」と俺を呼び止める声が事務所内から聞こえた。声の主は水科さんだ。  「ごめんね、急いでるところ……」  「すみません、もしかしてバイトの予定のことですか? それだったらまた明日でもいいですか?」  「ううん、違うよ。はいこれ!」  そう言って水科さんはスポーツ飲料水を俺に向かって投げてきた。それも二本だ。二本あるとは思っておらず、思わず落としてしまいそうになり、思わず二本のスポーツ飲料を抱きかかえるような形で何とか受け取ることに成功した。  「あ、え?」  「誰かと待ち合わせなんでしょ? まだまだ暑いから二人で飲みな!」  「あ、ありがとうございます!」  口角を上げ、手を振る水科さんにやはり出来る男はどこまでも違うのかと実感する。  俺は水科さんに一礼してから、染谷の元へと駆ける。自然と俺の表情は朗らかになっていた。  ゲートに行くと、染谷は下を向きながら俺を待っていた。  時間に遅れても待っててくれていることに安堵しつつ、俺はより一層足を回転数をあげた。  「ごめん! 待たせた!」  俺の声に気づいたのか、染谷は顔を上げこちらを見る。  その表情は残暑の暑さのせいか、普段よりも赤い気がする。やはり待たせすぎてしまっただろうか。自分で三十分と伝えておきながら結局四十分以上も待たせてしまったことを後悔しながらも、先ほど水科さんにもらったスポーツ飲料水のうちの一本を染谷に差し出す。  染谷はそれを受け取ると、「ありがとう」と小さく呟くも気まずいのか「行こうか……」と俺を先導する。俺はそれに従う形で黙ってついていく。  水科さんに元気付けられたかのようにスポーツ飲料水をもらったが、俺はだんだん今から染谷の気持ちを聞くのだと思うと、上がっていたはずの口角が徐々に下がっていく。それと同時に先ほどシャワーを浴びたからだろうか。濡れた皮膚が西日に照らされ蒸発すると共に俺の体温を奪っていくのがわかる。  これから染谷から聞かされる言葉は拒絶だろう。  いや仮に拒絶ではなかったとしても、今まで通り友だちのままでいたいと言われ、その後徐々に距離を置かれ、二年に上がることには話をすることもなくなるのだろう。  きっとそうだ。そうに違いない。  (あぁ……怖いなぁ)  一緒に歩いているはずなのに、徐々に横並びからいつの間にか俺の方が二、三歩ほど染谷の後ろを歩いていた。染谷に告白したときとは違う意味で俺の手は震えている。これは緊張による震えではなく、恐怖による震えだ。  しかし昨日染谷に告白したときは、染谷を前にし自分自身の感情が押さえきれなくなり、半ば強引に自分の気持ちを伝え、その場から逃げ出してしまった。だからこそ今こうして染谷に会うのが億劫だったわけなのだが、そろそろ腹を括らないといけないらしい。  「染谷!」  俺は染谷の足を止めさせる。  「好きです。昨日は気持ちだけ伝えて逃げるような真似をしてごめん。でもどうしてもこの気持ちを隠し通し続けることはできないと思った。あの時伝えた通り、染谷を始めてみたあの入学式の日からずっと好きでした。染谷は俺のことをそんな風に見ていなかったと思うけど、これから染谷の目に映る俺を素敵なものにしていきたい。だから……だから俺の手を取ってくれませんか?」  夕日に照らされた俺の顔は耳まで赤くなっているに違いない。  しかし俺はそんなことお構い無しに、染谷に右手を差し出す。俺の気持ちは変わらない。だから今差し出している右手は震えてはいない。  染谷の伸びた影が俺に近づいてきて、俺に被さる。空いていた距離が一気になくなった。  「僕ね、四季くんのことを中学生のころから知っていたって聞いたらどう思う?」  「え?」  それは俺が予想もしていないことであった。  振られる覚悟だった。手を取ってもらえないと思っていた。だからこそ「ごめん」の一言だけを伝えられると思っていたため、染谷の口から告げられた予想外の言葉に俺は脳がそれを理解するまで時間がかかった。  「中学三年生のときの剣道の地区大会。最初は友達に試合中の写真を撮ってくれって頼まれてついて行ったんだけど、僕はそこで初めて四季くんに出会いました。あの時は面をずっと被っていてどんな顔をしているのか、どんな人柄なのかはわからなかったけど、今までどれだけ自分の人生を剣道にささげてきたのかはすぐに分かったよ。僕はそんな四季くんに目を奪われたんだよ。すごかった。本当にすごかった。こんな状況で申し訳ないんだけど、僕は四季くんに謝らないといけないことがあるんだよ」  「……謝らないといけないこと」  この状況で謝ることはつまり俺の想いには答えられないという謝罪だろう。  差し出していた手がゆっくりと下がっていく。  「四季くんがスマホの待ち受けにしてる写真、あれ僕が撮った写真なんです……。勝手に撮って勝手にネットにアップしてごめんなさい!」  「………………え?」  今日は何度も思っていた通りに進まない。  急いで染谷の元に向かおうと思うもお客さんからカメラを向けられ思った以上に時間がかかったりすることを始め、染谷に伝えた時間を大幅に過ぎたうえで待ち合わせ場所に着いたり、染谷に再度告白するも予想外の回答しか返ってこなかったりと何も思ったとおりに事が進まない。  そして今染谷から言われていることも予想外過ぎてどんな反応をすればいいかがわからないでいる。  「そ、そうだよね。そういう反応になるよね。勝手にごめん」  「え、いや、そうじゃなくて……え?」  俺は自分のスマホをポケットから取り出し、画面を起動させるとそれを染谷に見せながら「これってこと?」と問いかける。それに対し「うん……それ」と申し訳なさそうな声が返答が返ってきた。  「……え? まじで俺のこと中学から知ってたの?」  「え、今聞くところそこ?」  「別に染谷になら写真撮られてもいいって思って……。いや今はそれはよくて……知ってたってどういうコト? って聞いてもいいの」  そう染谷に問うと、染谷は逆光で陽の光が当たるわけでもないのに顔が赤くなっている。きっと待ち合わせ場所であるゲート付近に長い間またせすぎたのかもしれない。やっぱり悪いことをしてしまったかもしれない。  「四季くんの剣道の試合を観て、僕もきっと四季くんに一目惚れしたんだと思う」  「……ん?」  「気持ち悪いかもしれないけど、もう一度四季くんに会いたくてこの地区周辺で剣道が強い高校を探して旭川高等学校に入学したんだよね。入学式の日に四季くんを見つけたときは飛び上がりそうな勢いで嬉しかったのを覚えてるよ。試合のときは面を付けていて顔とは知らなかったけど、特徴的な歩き方ですぐにそれが四季くんだってわかったよ。」  「特徴的?」  「うん、県道のクセなのか摺り足で歩くよね。だからこそ血みどろベアの着ぐるみの中の人が四季くんだってわかったんだけどね。入学以降四季くんが剣道してるところ観たくて何度か剣道部に足を運んだんだけど、入部してないって言うから結構探してたんだよね。そんなときに気分転換にこの遊園地に足を運んだら四季くんに出会えたってわけ。ずっと会いたかった人に会えたからさ、気が動転しちゃって……どうしても写真撮りたくてツーショットを依頼しました」  「染谷はずっと血みどろベアが俺だって知ってたってこと?」  「うん、知ってた。最初っから知ってた。ずっと黙っててごめん……」  「え、いや、俺も言い出せなくてごめん……ってちょっと待って!」  俺はまたも予想していない染谷からの言葉に流されてしまいそうだったが、染谷ははっきりと俺に対して”一目惚れ”であると告げたのだ。そしてそんな俺に会いたくて、追いかけてくるような形で旭川高等学校に入学したとも言っていた。  「それってつまり……染谷は俺のこと……」  「うん、四季くん。僕はその手をとってもいいのかな?」  「……」  「二度も四季くんから言わせてしまってごめんなさい。本当は今日僕から伝えようと思ってたんだ。」  そう言うと下がりきっていた俺の右手を染谷は両手で包み込むように捕まえる。それと同時に染谷が握っていたであろうスポーツ飲料水のペットボトルは地面に転がり落ちた。落ちる速度はまるでスローモーションのようにゆっくり落ちていくように見えた。  「ぼ、僕も四季くんと同じ気持ちです!」  染谷の手は昨日の俺の手より震えている気がする。  振動が直に伝わる。  「四季くん……」  「は、はい……」  「……………………好きです。ずっと、ずっと好きでした」  俺を見る染谷の目はどんな宝石よりも太陽に照らされている海よりも美しく輝いており、それでいて深く俺のことをその目に閉じ込めている。  不思議と俺の空いている左手は、俺の右手を包み込んでいる染谷の手を上から重ねるように置く。それはまるで大事なものに触れるかのようだ。  先ほどまで震えていなかった俺の手が徐々に震え始める。  「それって……告白の返事は…………OKってこと?」  先ほどまでの声量とはうって変わって、俺は不安でいっぱいだった気持ちをゆっくり正常に近づけるような声量で染谷に問いかける。  「うん。よろしくお願いします」  染谷は俺が初めて染谷を見たときと同じように、屈託のない笑顔で返事をした。  鼓動が早くなるのがわかる。  俺は咄嗟に染谷の腕を引っ張って、抱き寄せる。  「夢じゃない?」  「夢だったら僕が困る」  「うん、俺も困る」  抱き寄せたことで俺の心音が染谷に聞こえているかもしれないが、逆に染谷の心音も聞こえてくる。波打っている染谷の心音も大きく、緊張していたことがわかる。  その心音は愛おしく、それでいて俺を安心させてくれる。  お互いの気持ちを確かめ合った後、今度は染谷が口を開いた。  「ね、ねぇ……僕たちって付き合い始めたってことでいいんだよね?」  「俺はそのつもり……だけど」  「じゃあ! つ、ツーショット撮りたいです。血みどろベアとじゃなくて四季くんと……ダメかな?」  「ダメじゃない。ダメなわけがない。俺も撮りたい」  着ぐるみの無いツーショットはこれほどまでに距離が近いものだったのかと改めて実感する。先ほどの心音が聞こえるまではいかないが、体温や匂いが直に伝わってくる。  スマホのディスプレイに映し出されている俺と染谷は互いに耳まで真っ赤だった。これは西日に照らされているからだけではないことはもうわかっている。  ――あぁ、俺は今、好きな人と一緒に写真を撮っています。 ―fin―

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