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第9話

 後悔をしていないわけじゃない。  むしろどちらかと言えば後悔していると言えるだろう。  あの場の雰囲気に飲まれてしまい、伝えるはずのなかった想いを言葉にして本人に直接伝えてしまった。  「明日からどうすんだよ……」  後悔しているのは想いを伝えてしまったことではない。伝えてしまったことによる今後の関係性の崩壊について悩んでおり、それに後悔しているのだ。  俺は布団に寝転がりながら今後について考える。  きっと染谷は俺の気持ちを聞いて困っているに違いない。俺の告白を聞いた染谷は明らかに動揺していた。血みどろベアのミニぬいぐるみの形が変わるほどの強い力で握りしめ、何を言っているか理解できないといった表情をしていた。  染谷もプレゼントをもらえる可能性は考えていたのかもしれないが、告白されるとは思ってもいなかったのだろう。  「もう今まで通りにはいかねぇよな…………クソッ」  全部自分が悪いのに、自分のせいだというのに自然と涙が出てくる。俺はそれを誰にも見せないようにと腕で顔を覆うようにして涙を拭う。  染谷のことを好きになってから、自分の感情を抑えることが出来なくなってきた。今まで風邪を引いたことなんてほとんどなかったし、こんなにも涙を流すほど自身の感情が揺れ動いたことなんてなかった。  剣道をしていたときは、精神力がそれなりに鍛えられていたのだろう。  改めて剣道の素晴らしさを思い知る。  「そういえばこんなにも長い間、竹刀を触ってないのは初めてかもな」  ふと顔を傾けた俺の視界に入ってきたのは、長年愛用していた竹刀だ。竹刀は消耗品であるものの、しっかりと手入れを行っていれば数年は使うことができる。それでも試合が続けば自然と削れてくるため、折れることもしばしばあるのだが、金銭的に余裕の無い俺は毎日丁寧に手入れをすることで長年同じ竹刀を使い続けてきた。  つまり旭川高等学校に入学するまでは竹刀に触れない日はない程だったのだが、ここ最近は剣道を離れ、バイトに勤しんでいたため竹刀の手入れをすることは愚か、剣道の存在すら忘れてしまうことがあった。  「……剣道してぇなぁ…………」  俺は今染谷以外の何かに夢中になれることをする必要がある。そんな気がする。  だからこそずっと俺が熱中していた剣道をしたいなと思うのは、心の防衛行為なのかもしれない。俺は勢いよく立ち上がると竹刀を手にして、アパートの外に出た。  中学生の頃はよくアパート前にある空地兼駐車場で剣道の素振りをしていたもんだ。  俺はあの頃を思い出しながら意識を集中させ、竹刀を振る。  竹刀が空を切る音だけが聞こえる。その音が自身の集中力を高める。  「明日、染谷は遊園地に来るのだろうか?」  やっぱり集中できない。気を抜くとすぐに染谷のことを考えてしまう。  明日は土曜日だ。いつも通りであれば染谷は遊園地に来て、血みどろベアと一緒に写真を撮るだろう。しかし染谷は俺が血みどろベアの中の人をやっていることを知らないはずだ。そのため染谷自身に気まずさはないと思うが、俺となると話は別だ。  正直今、染谷には会いたくない。  俺は竹刀をゆっくりと振り下ろしながら明日が億劫であることに心からの大きな溜息を吐き出す。しかし直近でバイト先である遊園地には迷惑をかけたばかりだ。休みたいなとも思いながらも、仮病で休むわけにもいかないし、プライベートな理由で休むわけにもいかない。  それに染谷は俺が血みどろベアの中の人であることを知らないため、俺が明日休んで逃げただけでは何の解決にもならないだろう。なぜなら血みどろベアが好きな染谷は明日だけではなく何度でも遊園地へ足を運ぶからだ。  「……行くしかないよな」  ここで着ぐるみのバイトを辞めるという選択肢はない。  給料も悪くないし、先輩方も善くしてくれるし、そして何より仕事にも慣れてきたところだ。着ぐるみのバイトもそうだが平日にやっている清掃員としての仕事も慣れてきたし、何より楽しいと思え始めた頃合いだ。  染谷との関係性はかなり気まずいものはあるが、すべては自分自身が悪いわけであってそれのせいで仕事に支障をきたすのはよくはないだろう。  「でも明日……明日だけでも…………ってよくないだろ」  俺は決意を固めて明日、いつも通りアルバイトに行くことにした。  ∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵  アルバイトへ行くのがこんなにも億劫に感じたのは初めてだ。  告白した相手が確定で自分のアルバイト先に来るのがわかっている現状、こういった状況になるのはひどく必然とも言えるだろう。  足が重い。  しかしそんなこといくら言っても状況が変わるわけでもないため、渋々アルバイト先である遊園地へ向かう。  「おはよう……って、どうしたの? ものすごく顔色悪いよ?」  そう声を掛けてくれたのは、この遊園地でアルバイトをする際に面接を担当してくださった水科さんだ。水科さんはこの遊園地の面接官を担当しているだけあって結構なお偉いさんらしいが、こうやってアルバイトの俺にも気さくに声を掛けてくれる。  俺が将来就職したら、水科さんのような人の元で働きたいものだ。そして俺自身も部下を持つような役職になったら水科さんのように分け隔たりなく声を掛けられるような人物でありたいと思う。  そんな俺がひそかに憧れを抱いている水科さんから顔色の悪さを指摘されてしまった。以前体調を崩してからというもの水科さんだけではなく周りの先輩方含め俺の体調をちょくちょく心配してくれるようになったため、あまり顔や仕草には出さないようにしていたのだが、やはり大人というものはこういったちょっとした変化にも気づいてしまうのだがらすごいなと改めて感心した。  「すみません、お気遣いいただいて……全然大丈夫なので気にしないでください」  「本当に? 無理してない?」  「してないです。ありがとうございます」  俺はそう簡単に告げると、上着を脱ぎロッカーに仕舞い入れる。夏は過ぎ去ったとはいえまだまだ日中は三十度を平気で越えてくる。着ぐるみの中は衣服に装着するタイプのクーラーが二つ付けられており、比較的涼しいのだがそれでも暑いものは暑いのだ。汗を大量にかくため着ぐるみを着るときは毎回着替えを持参しており、着ぐるみの中にいるときは汗をしっかりと吸ってくれる綿タイプの衣服を選ぶようにしている。  もう何度も着ているため、慣れた手つきで血みどろベアの着ぐるみを着た後、全身鏡の前に立ち、問題ないかを自身の目でしっかりと確認をする。  問題ないことを確認した後に振り向き、水科さんに挨拶をする。  「じゃあ、行ってきます」  「うん、いってらっしゃい……無理しないでね」  「……はい。ありがとうございます」  今から仕事であることを再度自分の中に刻み込み、染谷のコトでいっぱいだった脳内を切り替える。大きなため息に近い深呼吸を何度も行い、園内へと入った。  土曜日ということもあり、遊園地内はすでに大きな賑わいを見せていた。  ほとんどが家族連れやカップルで来ている方がほとんどで、園内の何処に目を向けても皆笑顔であり、誰一人として悲しい表情を浮かべているものはいなかった。  (やっぱ遊園地ってこういう場所だよな)  案の定というべきか、いつも通りというべきか血みどろベアには誰も近づこうとしない。他のマスコットキャラクターの周りにはそれなりに人が集まっているところを見ると、やはりこの血みどろベアというキャラクターは人気がないのだと悟る。  そんなコトを感じながらも案外このキャラクターの中の人で良かったとしみじみ感じる。他のキャラクターであればそれなりにファンサービスなるものをしなければならないため、仕事の楽さで言えば断然血みどろベアだろう。しかもこんなにも暑いのにファンサービスであんなにも動かないといけないと考えるだけで少しゾッとする。  深呼吸に近いため息を吐きながら、次は先ほどとは違う理由であたりを見渡す。  (いない……よな? 来てない……よな?)  これは安堵なのだろうか。染谷がまだ来ていないことに対して、またため息を吐く。  正直このくらいの時間であればすでに染谷が来ていてもおかしくない。そのため俺は周りを警戒しながら、いつも通りの仕事をこなしていく。  仕事の内容は大体やることが決まっており、まずは遊園地内の各スポットへの出没だ。同じスポットに複数のマスコットキャラクターが集結しないように、どの時間にどのマスコットキャラクターがどのスポットに出没するかはあらかじめ決められており、基本的にはその指示通りに移動をする。写真撮影はファンサービスを求められ時間が前後する場合もあるが基本的には指示通りだ。  これは遊園地に足を運んでくださっているお客さんが一か所に集まるのを防ぐためだろう。  しかしそんな出没場所や時間が決められているマスコットキャラクターだが一堂に会することもある。――パレードだ。この遊園地にも一応パレードというものが存在するのだが、よくテレビでやっているようなマスコットキャラクターたちがダンスを踊ったりするようなパレードではなく、ただただマスコットキャラクターが旗を振りながら遊園地内を横断するというものだ。  はたから見たら「それは見ていて面白いのか?」と疑問を抱いてしまいそうなパレードだが、それでも人気のマスコットキャラクターには自然と人が集まるもので、特に猫をモチーフにした片目が常に眼帯で隠れている”眼帯キャット”と狼をモチーフにしたタバコを常に加えている”スモーキンウルフ”はかなり人気がある。  (今更だけど、この遊園地のマスコットキャラクターのデザインって絶対に子供向けじゃないよな……)  そんなことを思いながら俺は遊園地の各所に設置されている時計を確認し、次の出没スポットへと移動する。  こんなことを考えてはいるが個人的にはこの少し怖めなデザインのキャラクターたちが好きだったりする。これはこの遊園地で働き始めてから芽生えた感情だが、なんとなく愛着がわいてきてしまっている。特に自分が中の人をやっている血みどろベアにだ。  昨日染谷に渡したプレゼントが初めて買ったこの遊園地のグッズではあるものの、染谷にあげたからという理由だけではなく、俺個人としても欲しいと思ってしまうほどだ。  (もうすぐバイトも終わるし、同じのはあれだけど自分にも何か血みどろベアのグッズでも買って帰ろうかな……)  俺はそんなことを考えながら、視界に入るお土産屋さんをこの目で見ながら目的の場所へと移動していた。この一瞬視線はお土産屋さんに向いているし、どんなグッズを買おうか考えていたからか、俺は周囲の様子を確認するのを忘れていた。  そしてそのタイミングを図っていたかのように俺は声を掛けられた。  それは聞きたい声でもあったが、今は聞きたくない声でもあった。  「あの…………今日も写真いいですか?」  今日はもう会わないと思っていた人物が今俺の腕を掴んで離さない。突然の出来事に俺自身は動揺を隠せないでいるが、今は血みどろベアの中の人をするというアルバイト中だ。声を出すことも許されないし、お客様からの依頼を断るわけにもいかない。  さらに言えば染谷は俺が血みどろベアの中の人であることを知らないのだ。それであれば普段通りに接するのが吉だろう。  そう考え俺は染谷に対して頷くだけの返事をし写真を承諾する。  「今日は顔を近づけてツーショット撮りたいんですけど……いいですか?」  俺はまた頷く。  それしかできないのだから、別に不愛想な感じはしないだろう。  俺は若干屈んで、染谷の顔の位置に合わせる。  「ねぇ四季くん……告白の返事したんだけど、今日何時にバイト上がる?」  周りには聞こえないだろう。  しかし俺にははっきりと聞こえた。そのくらいの声量で染谷ははっきりとそう伝えた。  自分では見ることのできない自身の瞳孔が開いていくのが自然とわかる。  思わず俺は横並びだった顔を染谷に向ける。  染谷は真っ直ぐに血みどろベアではなく、その中にいる俺を見ていた。  一体いつから染谷は血みどろベアの中の人が俺であることを知っていたのだろうか。着ぐるみのバイトであることは誰にも言っていないため、誰かから漏れたということはないだろう。つまり染谷は自力で血みどろベアの中の人が四季政宗であることを突き止めたことになる。  いや、今はそんなことはどうでもいい。  むしろそんなことを考えている場合ではない。  俺は染谷の耳元に顔を近づけ、染谷にだけ聞こえる声で伝える。  「あと三十分で終わる。ゲート付近で待っててくれる?」  「うん、ずっと待ってる……」  染谷はそういって写真を撮らずに、こちらに一礼してから去っていった。  そして俺は初めて、声を発してはいけないというルールを破った。

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