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第97話
さすがに何日も風呂に入っていないとなれば自身の汗臭さに鼻が曲がってくる頃だろう。しかしそれをもかき消す悪臭が空間を歪ませている。何がそんなに臭いのか、リク・サコダには検討もつかない。
エレモアシティーの西区、そこは入り組んだ違法建築が立ち並ぶ醜くも味のある場所だ。取り壊し途中の三階建てのビルは政府が都市開発のため立ち退きを命令していた為周りに人の気配がない。
チチっと片方靴が脱げたサコダの左足にネズミが興味を示した。臭いの原因のひとつだろう。
一体いつの時代の物か、大きくて邪魔なモニターは映写型ではなく実物だ。
「ンーッ!」
とそいつに向かって騒いでみるが、男はちらりとこちらを流し見て鼻で笑う。木漏れ日が窓から差し込む揺れているが、全く感傷的にはならない。
「お前本当に帝国警察なのか?信じられねぇくらい鈍臭くて驚きました」
サコダは、今世紀最大の危機を迎えている。何せ二重人格サイコ殺人鬼を捕まえるはずが自分が捕まってしまったからだ。
体術には多少の自信があった。だからヒラキ・ライトを見つけた時、捕まえられると確信していたのだ。背後からにじり寄って、羽交い締めにして拳銃を奪い返し、署に連行する。
(シュミレーションは完璧だったはずなのに…こいつ見かけによらずめちゃくちゃ力強えし……)
だが結果は惨敗だ。ボコボコに殴られて、顔面は腫れ上がり、視界も狭くなっている。更に奥歯の放置していた詰め物が取れた。殺されなかっただけマシなのだろうが、絶対にどこか骨が折れているに違いない。
どうにかして逃げ出さなくては、とローレンに連絡を入れようとしたが、何故かこの建物は電波の状況が悪く通信エラーになる。
「にしてもどうやってここを探し当てたんでしょう?」
「……」
「ウィリアムは今どこにいるんだ」
「……」
質問をされても答えられない。何せ喋れぬようテープで塞がれている。サコダは肩を竦め『こんな状況じゃ話せない』と言わんばかりの表情を作った。
ヒラキ・ライトは感情の籠らぬその色違いの瞳を細め、サコダの口元のテープを容赦なく剥がした。切れた口の端が外の空気に触れてヒリヒリと痛み出す。
「どうやってここが分かったんです?」
男が疑問に思うのは当然だ。何せ自分のデータベースは道中で捨てた。それで場所を特定することは出来ないと思っているからだ。
「…刑事なら足使うのは当たり前っすよ。それにヒラキさん、あなた周り気にしなさすぎなんすよ」
サコダが特定出来たのは、その杜撰な男の行動にある。
「手当り次第に帝国民に暴力振るいまくったでしょ、挙句の果てに止めに入った王国民まで…そりゃ目撃者も沢山いるし…。決め手はあんたの乗ってた車のナンバー控えててくれた有能がいたからっすかね…。」
「あー、ちゃんと殺っておくべきだったな。次からはそうしなきゃ。」
(…これは逆にチャンスでは?)
話せる今のうち、…色々聞き出せるかもしれない。
拳銃を奪われた挙句捕まった、これでは報告書に何と書いていいのか困るではないか。何、決して昇進に響くかもと考えた訳では無い。
リク・サコダは貪欲な男だ。いくら体がボロボロであろうが痛みよりも好奇心が支配し、それを満たそうとするのだから。そのついでに汚名挽回出来れば最高である。
データベースの録音機能はしっかりとオンにした。後でローレンに提出するのだ。
「あの、…全く関係ないかもだけど…デリカロッドでその……人を殺した事あります?」
「デリカロッド?」
「エレモアシティーの高級娼館すよ。…あんたが清掃員として働いていた…」
「ああ、こいつが働いていたところか。…どっちの俺が殺ったんだろう。曖昧で覚えていないです」
男は隣の部屋に行った。そしてすぐに戻り、長いケーブルを引っ張ってくる。それをモニターにブスリと差し込んで、何やらガタガタと作業を始めた。
「それ、自供すよね!…じゃあ犯人だと名乗り出たベン・カインは無実の罪でムショにぶち込まれたんすか」
「自供でも何でもいいが犯人に関してはウィリアムが勝手にしたことだ。」
「…あのおにーさんが?…」
青い光が男の顔をぼんやり照らし、不気味な表情が浮かび上がる。
「"こいつ"の為に用意したんだろう。」と自分の胸に指さし、唇をちぎる勢いで噛んでいる。溢れた血を舐めとって、また噛んでの繰り返しだ。
「ベン・カインはデリカロッド以外に帝国警察の捜査員を殺害したと言っていた、…それもあんたが殺ったって事で間違いないんすか」
「…なんかそんな奴らいたっけ。職質してきたんだよ。人がせっかく復活を祝って一人酒煽ってた時にさ。」
捜査部隊員二人の死体は酒場の裏で発見された。それもブヨブヨになって。
抑えられぬ好奇心は、どんどんサコダの口を動かした。これ以上詳しく聞けば、命の危険に晒されるだろうと頭の片隅では理解していたが抑えられるならそうしている。
「どうやって殺したんすか?……何かの薬でああなるんすか?なんで人がブヨブヨに…」
「心底どうでもいいことを知りたがるんですね。どうせ録音してるんでしょうが、なんの意味もないですよ」
ギクリ、サコダは顔を引きつらせた。…図星である。
「まあ、困ることもないんで教えてあげます。」
男はまた隣の部屋に行き、摘むようにしてあるものを持ってくる。それは獲物のかかった粘着トラップだ。
藻掻くネズミはまだ息がある。男は一体何をしようと言うのか。そして次にズボンのポケットをまさぐって取り出したのは、果物ナイフだ。
「な、何するつもりすか?」
サコダの目の前に置かれたネズミは前足をばたつかせ抜け出そうとしている。ヒラキはしゃがんでギラリと光る刃先を向けた。
「―ッ!」
傷つけられたのはネズミではない。男は自分の腕をスライスするように切り刻んでいくのだ。
「…ひぃっ!何してんすか!?」
赤い血液が傷口から滲み出している。何度も何度も均等にヒラキは自らの腕を切った。
「これをこうしてだ。はは、イカ焼きみたいだと思いません?見てたらお腹すいたなあ…。」
男は指先をいまだ藻掻き続けるネズミに向ける。腕を下った赤がゆっくりゆっくり指先まで進んで溜まった。
ぼと、ぼと。血とは思えない粘土のあるそれは可哀想なネズミに降り注ぐ。
―その時、サコダは超常現象の目撃者となった。
小さなふたつの目玉が根元から持ち上がり、『キーッキーッ』と苦しみながら空気を入れられたようにそれは膨らんでいく。頭の次は胴体が膨らみ、ボコボコと水膨れのようなものが全身に現れ今にも破裂しそうだ。
「ゔッ……な、何がどうなってこんな事に…」
気持ち悪くて吐きそうになったサコダに、男は淡々と説明する。
「アレルギーみたいなもんですよ。」
「あ、アレルギー?…そんなんじゃ説明つかないっすよ」
ピピ、とモニターが機械音を鳴らした。ヒラキは立ち上がり、「客人がそこまで来たようだ」と静かにそう言った。
三時の方向、階段を上る足音が確かに聞こえてくる。
ドンドン、と雑なノック。腫れた目が捉えたのはよく見知った男だ。
「……ッノエル先輩!?」
切れ長の中の藍色の瞳、黒い髪、タッパがあってガッチリした体型。ラフなスタジャンが良く似合うスポーツマン。
(良かった、俺の事助けに…ってスタジャン??…違う、先輩じゃない)
よく目を凝らすとそれは似た別人だ。
「時間通りか。待ってましたよ"何でも屋さん"」
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