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第1話

01.カフェの午後と、不意打ちヒート 「寝言は寝て言え」  思わず吐き捨てるように口に出してしまった自分に、乃花高嶺(のはなたかね)は小さく舌打ちする。  相手は同じオメガクラスの同級生、佐藤朝日(さとうあさひ)だ。いつも笑顔で、その名前みたいに眩しくて温かく優しいクラスメートで、こんな自分にも笑顔で接してくれる。  休み時間の会話の中で、「僕はね、運命の番との出会いを待ってるんだ」とそう、夢見るように言った朝日に、つい反射的に冷たく返した。自分の性格の悪さを自覚して、更に落ち込む。  運命の番、なんて――。  そんなもの、この世のどこにいるんだ。  オレはオメガ専用児童養護施設「聖母園」育ちのオメガで、普通は三ヶ月に一回のヒートが月に一度ある。そしてそのヒートは重く、抑制剤もろくに効かない体質だ。せっかく入学を許可された高校もろくに通えない。  聖母園の院長に「適切な相手」としてあてがわれるアルファと過ごす夜は、いつも頭の中は真っ白な無音の闇の中で終わる。相手の名前も顔も覚えていない。ただ身体が熱くて痛くて、虚しくて、辛い現実に戻る朝が来るのが怖かった。  だから、運命の番を待っていると言った脳天気な坊ちゃんオメガの朝日の言葉に、過剰に反応してしまった。 「恋に恋するお子ちゃまオメガは、現実を知らない」  こんな言葉朝日に向けて言っていい筈がない。けれどオレの口はスラスラと開いていた。  オレの言葉を聞いて、朝日は傷ついただろうに「そっかー!」と何事もなかったかのように笑ってくれた。  こんな無愛想で可愛げがなく、言葉に棘のあるオレに呆れることもなく、朝日はいつも話しかけてくれた。高校生になって初めて、オレにも友達が出来たのだ。  昼食が終わった昼休み、窓の外の景色をぼんやり見つめていたオレに、朝日は話しかけてくれたのに、オレの返事は最悪だった。でも気を取り直した朝日から、再度明るい声が掛けられる。 「ね、高嶺。これ見て!」  朝日が差し出すスマートフォンの画面に視線を向ければ、そこには季節限定と書かれたカフェの新作が写っていた。  ホイップが山みたいに盛られていて、甘ったるそうなチョコレートシロップがかけられた飲み物が、陽の光を受けて輝いている。 「ね、一緒に飲みに行こうよ!」 「……今度な」  口をついて出た素っ気ない返事に、朝日はその柔らかそうな頬を膨らませる。 「えー! これ、早く行かないと数量限定ですぐ終わっちゃうんだよ。ねー、今日行かない?」 「……」  明日から多分ヒートが始まる。まだ体はなんともないが、オレのヒートは月に一回、十日前後に始まるようになっていた。普通は三ヶ月に一回程度のオメガのヒートがオレにとっては月に一回だ。しかも重くて苦しくて死んでしまいたくなるほど、気分が落ち込む。  施設が用意するヒート時の「適切な相手」として充てがわれるアルファに会うのも、気が重かった。だからだろう。いつもなら寄り道なんてせずに施設に帰るのに、その日だけは、朝日が見せてくるカフェの新作の飲みものに強く心惹かれた。そして誘われるままそのカフェに行くと返事をしてしまう。 「……わかった、行く」 「え?」 「行くって言ったんだ」  その瞬間、朝日は本当に嬉しそうに笑った。その笑顔がまぶしくて、ほんの少しだけ羨ましかった。  オレには真似出来ない、心の底からの笑顔だ。  この世界には男女の下に、三つの性別がある。一つはアルファ。優秀な頭脳と整った容姿、カリスマ性を備えた存在で、社会の上層で活躍するものが多い。こちらは人類の三パーセントくらい存在している。  ベータは一般的な人類でほとんどを占める。  第二の性がオメガは孕む性と呼ばれ第一分類が男性であっても、アルファや男性と性交すれば妊娠する。人類の一パーセント以下の存在であり、かつ男性オメガはさらに珍しい。三ヶ月に一度「発情期」があり、孕む性と呼ばれる所以になったフェロモンを出してアルファを誘う。発情期の間は性交することしか考えられなくなる為、社会生活が難しくまともな就職が出来ず、底辺に落ちていく者がほとんどだった。  その特殊な性ゆえ、社会から抑圧されていたが、現在は発情期を抑える安心安全な薬が安価で提供され、オメガでも普通に働くことが出来るようになった。  第二の性での差別をする者も少なくなったのは、社会全体で差別をなくそうと動いたからだ。オメガの特性は特性として、個としての才能、夢や希望は、アルファやベータと同じく尊重されるものだという認識が若い世代を筆頭に浸透してきている。  現代では、オメガを差別するものも少なく、またそんな事が行われたら社会全体の問題として取りざたされる。曰く、まだそんな考えでいるのか? と。  それまでオメガは中学を卒業すると、性産業へ売られたり、運が良ければアルファに見初められたりして進学を諦めることが多かった。でもオレは、高校くらいは出ておきたかったし、オレを娶ろうとするアルファが嫌でその申し出を断って進学した。  けれど普通は三ヶ月に一度のヒートが一ヶ月に一度の頻度でやってくるオレは、通学出来る日がかなり少なくなっている。補習を受けてなんとか通えているが、これ以上欠席が増えればオメガに対しての対応にも限度がある。  児童養護施設育ちのオメガの将来の夢、なんて悲惨だ。社会一般的にはオメガの地位は向上していると声高にいうが、それは金持ちの家に生まれた恵まれたオメガに限る。オメガのヒート事故や犯罪に巻き込まれ、ベータやアルファに犯された立場の弱いオメガが妊娠するとほとんどが捨てられ、国のオメガの保護施設に入れられる。そこで出産したあと、また社会へ出されるが、ほとんどが底辺の仕事につかざるを得ない。  生まれた子どもは、ベータやアルファであれば養子縁組されたり他の養護施設に送られる。  オメガであれば、各地にあるオメガ専用養護施設「聖母園」で育てられた。  オレはその望まれない生まれをした、捨てられオメガだ。出来れば高校を卒業し、真っ当な職業につき、穏やかな日常を過ごしたいと願っている。けれど月に一度ヒートになるオレを雇おうなんて場所があるだろうか。抑制剤を飲んでいてもほとんど効きやしない。  高校を卒業し、聖母園を出たら一人で暮らして効かない抑制剤の購入や、生活をしていかなければならない不安に、胸が締め付けられそうだった。あと一年と少し通える学校と養護施設はオレを守る城壁でもあり、捕らえている檻でもあった。 「高嶺?」  どうしたの? と首を傾げる朝日を見て、羨ましくなる。きちんとした家庭に生まれ、しかも金持ちだ。どこかの建設会社の社長令息で、顔も可愛くて性格は優しい。とてもモテるのを知っている。同じ高校のアルファの上級生や下級生から絶大な人気だ。けれど告白には全て「僕、運命を待っているんで」というよくわからない言葉で断っていた。 「朝日は、可愛いなあ」 「え!? ちょ、本当にどうしたの!? 具合悪いなら、カフェは今度にしよ?」 「具合は悪くない。それから多分明日から休みになる」 「え? あ……らわかった。えっと、その、高嶺。もし良かったら、僕が行ってるクリニックに行ってみない? そこは……」  朝日もオレのヒートが一ヶ月に一度くることを知っている。だから幼い頃から診て貰っていた、園と提携しているかかりつけ医に不信感を持っているみたいだった。でも聖母園は国が支援しているオメガ専用養護施設だし、そこのかかりつけ医なら腕も確かだろうと思う。 「病院はちゃんと通ってるんだ。これは、オレの……体質だって」 「でも……っ!」  それをなんとかするのが病院であり、医者だと朝日は言いたいのだろう。 「サンキュ、朝日」  そう言うと、朝日はしぶしぶ頷いて、でも何かあったら絶対相談してねとオレの手を握ってきた。可愛らしくて温かい朝日の手に慰められると同時に妬んでしまう自分が嫌だった。でもそれより、朝日を拒否するなんて絶対に出来なかった。朝日はオレの大切な友達だ。  オレは朝日みたいに可愛くないし、毒舌で性格が悪く、顔だってたいして良くない。真っ黒な黒髪は自分で切っているのでいつも不揃いだし、少しツリ目な目は大きくて頬のこけた顔で目立つし、意地悪そうに見える。目の下の泣きぼくろなんて引き剥がしたいくらい嫌いだ。ガリガリの体は、月に一度のヒートの所為で食欲が出ず、食事量が減り続けているからだ。 「高嶺、このごろまた痩せたよ」  だから朝日はそんなオレに気づいて声をかけてくれたのだろう。本当に優しいクラスメイト……いや、友達だ。 「そうか?」 「そうだよ」 「今日行くカフェのこの飲み物を飲めば、かなりのカロリーになるな」  朝日が開いたままにしているスマホの画面を指していえば、嬉しそうに笑顔を見せてくれる。自分なんかと一緒に出かけることに、こんなに喜びを表してくれる朝日は本当に優しい。 「か、カロリーじゃなくて、いや、カロリーも大事だけど、それより高嶺が美味しいって言う方が大事で……いや、でもカロリーも大事だよね」  考えていることが全部表情に出ていて、思わず温かい気持ちになって笑ってしまった。 「高嶺、笑うなんて酷い! 僕は真剣に……!」 「あはは、悪い悪い。朝日を笑ったわけじゃないんだ。ただ可愛いなっ思って」  素直で優しくて可愛くて、オレが羨むような育ちをしている朝日に出会えて本当に嬉しい。 「高嶺は僕なんかより、ずっとずっと綺麗だよ! 入学式で初めて高嶺を見た時、僕こんな綺麗な人が世の中にいるんだって衝撃だった! 風になびく艶やかな黒髪が光を弾いてキラキラしてたし、桜の花びらが散っていく中を歩いてる高嶺が攫われそうって焦っちゃったし、潤んだ黒目がちな瞳で見つめられたら心臓が止まっちゃうくらいドキドキした。蜜を垂らしたみたいな唇に、毛穴なんて一個もない滑らかな肌は真っ白で、溶けちゃいそうだったよ! でも、そこに左の目の下の泣きぼくろ、もう最高! 同じオメガクラスだってわかった時は、絶対化粧水何使ってるのか聞こうと思ったんだ!」 「化粧水?」  そんな物は使ってないし、朝日に聞かれた覚えもない。 「緊張して、あの日は高嶺の名前を聞くだけで精一杯だったよ……」 「そうか」 「だから! 高嶺の髪も肌もボロボロになってる今の状態が許せない!」 「あー……悪いな。ちょっと今あんまり食えなくて……」  オレのヒートはほとんど高校入学と同時に始まった。少し遅めだったらしいが、初めての時はちゃんと抑制剤が効いていたように思う。アルファと過ごさなくても、抑制剤を服用していれば平気だったからだ。けれど、二回目のヒートの時から様子が変わった。  抑制剤は全く効かず、熱くて苦しくて辛かった。そして聖母園の園長が「適切な相手」として、アルファを呼んだのだ。最低で最悪で死にたくなるような日々の始まりで、血と精液と涙に塗れたヒートの始まりでもあった。  あの日からオレにとっての地獄は、ずっと続いている。そんなことを考えていたからだろうか、朝日がとんでもないことを言い始める。 「僕、力が欲しい。どうして僕はまだ十七歳なんだろ? 高嶺の力になりたいのに、何も出来ない。大学を卒業して、社会人で一人暮らしとかしてて、自分で生活が出来てたら、高嶺を絶対引き取って、お腹いっぱいご飯食べさせるのに!」  小さくて可愛い手を握りしめ、拳を作って呟く朝日にまた吹き出してしまう。 「ぷっ! いや、あはは、ありがとな。その気持ちだけで十分だ」  大学に進学することや、社会人になることが、オメガには難しいことを朝日は知らない。甘ちゃんで、社会の厳しさを何も知らないからこそ、朝日は優しいのだろう。でも良い。そのままでいて欲しいと思う。 「もう、高嶺ったら、真剣に聞いて!」 「わかったわかった。ほら、もうすぐ授業が始まる。席に着け」  壁の時計を見れば、昼休みが終わる時間だ。朝日は慌てて席に着いてから振り返り、放課後は約束だよ、と囁いた。 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎  制服のまま街を歩くことに、全く慣れていない。というか、街を歩くことにオレは慣れていなかった。  街中の光景が珍しくキョロキョロと周囲を伺ってしまう。  駅前のオシャレな建物の中の一階にそのカフェは入っていて、夕方の時間もあってそこそこ人が入っていた。店内はオシャレな洋楽が静かに流れ、コーヒーの仄かな香りが漂っている。 「高嶺、あのね。僕、高嶺と一緒に来られてすっごく嬉しい!」  朝日と出会ってから一年と半年、一緒に出かけたことはなかった。児童養護施設ではスマートフォンは持たせて貰えなかったし、小遣いもない。出掛けた時になにかあってヒートが始まるかわからなかったので、高校に入学してからろくに外出もしていなかった。それは聖母園の他のオメガも同じだ。  だから、オレもこう答えた。 「オレも、嬉しい」  それを聞いた途端、朝日は目を見開き、ぎゅっと抱きついてくる。 「僕、高嶺の隣にいても、恥ずかしくない人間になるね!」 「何言ってんだ?」 「えへへ……、あ、席を先に取ろう!」  二人は店内を歩いてちょうど二人席が空いたのを見つけた。朝日がハンカチを出してテーブルに置き、席をキープすると、二人でカウンターに向かった。並んでいるとすぐに順番が来て、置かれていたメニューに視線を落とす。  色鮮やかで煌びやかな写真に、目移りしてしまう。 「僕は、アメリカンチョコレートフラペチーノ、エスプレッソショット追加、ブロンドエスプレッソに、ライトアイスでお願いします」  朝日が注文するのを、なにか呪文みたいなものを唱えているのかと不思議に思いながら聞いていたら、店員は素早く朝日の注文を処理して、会計を済ませた。  ぼんやりとその動きを見ていると、二人の視線が俺に向いている。 「高嶺はなんにする? やっぱりここは季節限定でしょ!」 「あ、ああ……えっと」  視線を下に落としてメニューを見ても、朝日がさっき頼んだものがどれなのかわからない。 「朝日、オレも朝日と同じものを飲んでもいいか?」  ぱああぁ――っと顔を輝かせ、朝日は素早く頷くと、「僕と同じものをもう一つ。あ、でも、高嶺は甘いものが好きだから、そうだ! もう一つはホワイトモカシロップとマシュマロ追加、フォーム多めでお願いします。高嶺は甘いのが好きなんです!」  と言って注文してくれた。注文してくれてありがたいが、やっぱり何を言っているかさっぱりわからない。幸運があってもう一度来ることが出来ても、同じものは頼めないだろうなと思う。 「高嶺、楽しみだね。濃いめのチョコとマシュマロの贅沢フラペ!」 「あ、ああ……」  支払いをして、手の中には小銭だけが残ったが後悔はない。初めての経験に、胸がドキドキして楽しい気分になってきた。  カウンターの向こうでは自分たちの注文した飲み物がノンストップで作られているのが見えて、目が釘付けだ。手早く入れられたフラペチーノは、キラキラ輝いているように見えた。 「お待たせいたしました!」  手渡された透明なカップを覗き込むと自然と笑顔になる。 「ありがとうございます」  礼を言って受け取り、オレと朝日は見つめあって笑った。キープしていたテーブルに戻り、カップを置いて椅子に腰かける。大きな窓があって、陽の光がそこから降り注ぎ、テーブルごと輝いていた。大きな窓から外を見れば、季節を感じるように綺麗に少し色付いた樹木に心が高揚する。  オレたちは小さなテーブルを挟んで座り、朝日が嬉しそうにカップを掲げてから、一口ストローを啜った。 「ん、美味しい! ほら、高嶺も飲んでみて!」  促されて少し大きめのストローに口をつける。吸い上げると冷たくて甘い飲み物が喉を通っていき、その感触と味に目を見開いた。 「……うん。悪くない」  美味しいと素直に言えない自分に、朝日は気にした風もなく「こっちも味見してみない?」と聞いてきた。いつもなら人が飲んだものなんて断るが、朝日なら良いかと頷きかけたその時だった。 「失礼、君たちはオメガか?」  不意に声をかけられ、反射的に顔を上げれば、そこには目がくらみそうな美形が立っていて、思わず本物だろうかと目を瞬かせる。  整った顔の背の高い、見目麗しい、多分アルファの青年だ。グレーのスーツの着こなしは完璧で、表情のない顔はどこか近寄りがたい気配をまとっていた。だが、その瞳だけは違って、少したれ目なのにその視線の奥には鋭い光があった。 「あなた、本当に失礼ですね!」  何も答えられないでいると、珍しく朝日が声を荒げた。朝日は立ち上がって、オレを庇うように前に立つ。 「初対面でいきなり第二性を聞くなんて、マナー違反です!」  オメガか? と聞いてきたアルファは静かに眉を寄せ、自分の無作法を自覚したのか口元に手を当てた。その変化に目が離せない。体の中から何かが湧き上がってくるような気がした。 「気に障ったなら謝る。ただ……そちらの少年、強い誘発剤を使っているように見える」  低くよく通る声でそう言われた途端、オレの中でなにかが爆発した。 「……え?」  ドクン、と心臓がひとつ鳴った。  頭の中が痺れ、腹の奥が焼けるように熱い。  まさか――明日じゃ、なかったのか。 「か、帰る……」  立ち上がった瞬間、くらりと視界が歪む。何かに掴まりたくて闇雲に手を伸ばしたからか、飲みかけのカップを倒してしまった。甘い液体がテーブルに広がり、テーブルの端から滴り落ちる。でもオレはそれを止めることも出来ずに、苦しげに息を吐き出すしか出来ない。  なんだこれ、こんな風になった事はない。苦しさと恐怖に、ますます胸が締めつけられる。 「く、ぁ……っ」 「おい、大丈夫か?」 「はな、して……」  苦しくて両手で胸を押えていると、支えるためにか体ごと抱きしめられた。でもこの人がアルファなら、ヒートを起こしたオメガに近づくなんて危険な行為だ。オメガのヒートに引きずられたアルファがラットを起こし、悲惨な事故が起こるかもしれない。  そんなことはオレだって望んでいないし、きっとこの見知らぬアルファも同じだろう。 「いいから、これを飲め。アルファ用の抑制剤だが、少しはマシになるはずだ」  オレを抱え込んだアルファは、そう言って口の中に錠剤を押し込んできた。危ない薬かもしれない。自分の中の冷静な部分で吐き出そうとするが、耳元で柔らかい声が響く。 「飲んでくれ。苦しんでいる姿なんて、見たくない……」  いつものオレなら、そんなことを言われても吐き出してしまったかもしれない。でもこの時のオレはその声に従ってしまった。ごくん、と飲み込み、ぎゅっと目を閉じる。  自分の中が全部心臓になってしまったみたいに、ドキドキと鼓動が煩い。 「大丈夫か?」  固く閉じていた瞼を開くと、近すぎる距離にアルファがいた。 「っ……」  アルファの腕の中で、息を乱した自分がいることに、ある記憶が呼び起こされる。そして瞳が合った瞬間、体の奥でまた何かが弾けた。 「……目を閉じていて良い」  あとは心配するな、と呟かれ、オレはその言葉に従うようにすべてを委ねて目を閉じた。  だって、その声には、驚くほどの安心感があった。初めて聞いた声なのに、いつも耳にしていたみたいに心地よくて安心できて、固く閉じていた心の奥底にある扉がゆっくり開くみたいだった。  世界が遠のく中、彼の香りだけが鮮明に残る。  ――これが、オレこと、乃花高嶺とアイツこと怜の出会いだった。 「高嶺っ!」  一緒に来ていた朝日の声がする。ああ、朝日に心配をかけてしまった。せっかくの楽しいカフェだったのに、オレが全部台無しにしてしまった。 「ごめ……、ん……あさ……」  舌が痺れて重くて、言葉が出ない。 「大丈夫だよ、高嶺! 僕がついてるからね! 大丈夫だから!」  うん、朝日はいつもオレに手を差し伸べてくれる。オレがそれを素直に受け取れないだけで、いつだってオレなんかを大切にしてくれる。たった一人の友達だ。  温かい気持ちになりながら、オレの意識は闇に沈んでしまった。

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