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第1話「言葉の戦場」
最初から、全く乗り気ではなかった。
普段は歌って踊って、CMやバラエティ番組にも出ている現役ソロアイドル。それが湊(みなと)の職業だ。
自分で言うのも何だが、活動は順調だ。来月には大きなライブも控えている。
しかし今回オファーが来たのは、自分には無縁だと思っていた討論番組。偉い肩書きの男達がああでもないこうでもないと語り合う、そんな面白みのない番組なのだろう。今回は討論バラエティという括りらしいが、いまいちよく分からなかった。
しかも今回のテーマは『子供の反抗期について』。23歳独身、彼女なし。どう考えても自分にはどうしようもない。
とりあえず、仕事がないよりはましだと思うことにする。
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収録前、スタジオに入り決められた席につく。他の出演者は大学教授や作家、ベテラン芸人など様々な肩書きを持っていた。
そんな中、離れた席に座っているひとりの男が目に入った。
目立つわけではないが、知性という言葉がしっくり来る雰囲気の持ち主だった。伸びた背筋、わずかな着崩れもないスーツ姿。眼鏡の奥の涼やかな目が、手元の資料を抜かりなく確認している。
相沢という心理学者だ。全く面識のない相手だが、何故か気になってここに来る前に検索して調べていた。大学院卒の33歳、湊より10歳も年上。大学で講義をしたり、カウンセラーとしても活動しているらしい。
少なくとも自分よりは、この番組にふさわしい人間だと湊は思った。
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収録が始まった。
大きな画面に「子供の反抗期について」というテーマが映し出される。
早速、待っていたとばかりに口を開いたのは、年配の主婦タレントだった。
「うちは一人娘ですけど、小さい頃から親に反抗することなんか一度もありませんでしたよ。私の期待に応えてくれる、本当に優しい自慢の娘なんです」
そして続ける。
「だって……反抗期って、不良がやることじゃないですか。私は大切な娘をそんな親不孝者に育てたくないから、しっかり教育してきました」
今時こんな親が存在している事実に、湊は驚いた。自覚がないのか、主婦タレントは得意気な表情だ。
「……ひとつ、質問よろしいでしょうか」
落ち着いた声で問いかけたのは、相沢だった。
「具体的には、どのような教育を」
「私が選んだ服を着せて、将来のためになる習い事をさせて、悪い影響を与えそうなお友達との付き合いは禁止。ゲームや漫画は勉強の邪魔になるから禁止」
驚きを通り越して、寒気がするような話だった。
相沢は黙って最後まで聞いた後、眼鏡の中心を中指で押し上げる仕草をした。
「反抗期というのは、子供が親から精神的に自立して、成長するための必要な過程です。不良への入口ではありません。自分の意見を口に出して、相手に伝える。それを受け止めるのが親の役目です」
主婦タレントは信じられないという表情で聞いている。
「それに、子供への過度な押し付けは、教育ではありません。支配です」
「相沢先生……結婚も子育ても経験ないのに、勝手な想像で偉そうに。それでも本当に心理学者なんですか?」
「想像ではなく、事実です」
相沢が断言すると、今まで黙っていた女性作家が手を上げた。
「私は結婚も子育ても経験ありますが、うちの子の反抗期は普通にありましたよ。反抗期がないと、将来自分の意見を口に出せずに苦労するんじゃないですか」
「押さえつけすぎると、主張することを諦めてしまうでしょうね」
白髪混じりの大学教授もそう言った。
完全に面子を潰された主婦タレントは、顔を真っ赤にして握り締めた手を震わせている。
やはり、だめだ。自分が何かを言える状況ではない。
結婚や子育ての経験もなければ、相沢のように知識で戦うこともできない。言葉で戦えないなら、この場においては死んだも同然だ。
そんな時、離れた位置に座っていた相沢と目が合った。
「湊さん、あなたは昔どんな子供でしたか」
突然話を振られ、湊は間の抜けた声を出してしまう。
「幼い頃の親との関係は、子供の将来に大きな影響を与えます。今回のテーマとも無関係ではないので、聞かせていただけますか」
先ほどの主婦タレントに向けた厳しさとは違う、穏やかな口調と表情だった。
相沢は、湊が話に入りにくいと察して、自然な流れで導いてくれたのだ。
「えっと、俺は昔、勉強が大嫌いで。テストの点が悪くて、親にゲーム機を窓から投げ捨てられたのがものすごく腹が立ったから、俺も親の仕事用の鞄を窓から投げてやったら、めちゃくちゃ大喧嘩になりました」
スタジオのあちこちから笑いが起きた。相沢も笑みを浮かべている。
議論としてはまだ成り立っていない。絶望的な状況の中、相沢のサポートに乗って昔話を語っただけだ。
ただ、それだけでは足りないと思った。
相沢が与えてくれたチャンスを、もう少し生かしたい。
湊は少し間を置いてから、続けた。
「……でも、その喧嘩があったから、それからは親とちゃんと話せるようになりました。やっぱり真正面からぶつかるって、大切なことだったと今は思っています」
湊の語りを聞いた主婦タレントの表情から、怒りが消えていた。気まずそうに俯いている。
「伊藤さん、今の湊さんのお話を聞いてどう思いましたか?」
司会者に問いかけられた主婦タレントは、しばらくためらってから口を開いた。
「……娘は、確かに私にとっての『良い子』でした。でも、本音でぶつかってきたことも、自分のやりたいことを語ってくれたことも、一度もなかった。ここで皆さんのお話を聞いて、ようやく気付きました。もう遅いかもしれませんが……」
「遅くはありません。人は対話することで認め合い、時には衝突します。親子でも他人でも、それは同じです。話し合える環境を整えるのも、親の役目ですよ」
相沢の言葉に、主婦タレントは素直に頷いた。
その後、時間いっぱいまで議論は続いた。
今、湊はようやくこの場所に馴染めた気がした。
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「相沢さん、ありがとうございました」
収録が終わった後、湊は控え室に戻ろうとする相沢に駆け寄った。
「私は議論が良い方向に進むようにしただけですよ」
「難しいテーマで、ずっと不安でした」
「昔は私も、上手く話せなくて悩みました」
「そうなんですか、意外です」
「最初から大勢の前で堂々と話せる人の方が稀ですよ」
スタジオで椅子に座っていた姿では分からなかったが、相沢はシンプルなスーツがよく似合っている。背が高く、足も長いからだろう。
「次の共演、楽しみにしています」
相沢は微笑むと、軽く頭を下げて控え室に入っていった。
あの時、自分は相沢と同じ舞台に立っていた。助けてもらいながらも、自分の言葉で語ることができた。
最初は、全く乗り気ではなかった。
しかし今は、『次の機会』を待ち望んでいる自分がいた。
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