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第2話
大皿に炊きたての白飯をよそい、文維はビーフカレーの、煜瑾はチキンカレーのパッケージを開いた。
心から楽しそうに目を合わせ、文維と煜瑾はクスクスと笑いながら作業を進めた。
「やっぱり、同じカレーでも、ビーフとチキンでは色が違うのですね」
愛する人と共に有り、食事をすることを、煜瑾は心から満足していた。これこそが絶対の幸せだと煜瑾は信じていた。
煜瑾のために、文維は冷蔵庫の中にあった野菜で簡単なサラダを作り、ゆで卵を添えた。それだけで食卓がぐっと華やいだ気がして、煜瑾は更に笑顔を輝かせる。
「本当に文維はお料理が上手ですね。あっという間にこんなに美味しいサラダを作ってしまうんですから」
嬉しさのあまり、思ったままを口にした煜瑾だったが、野菜を洗って、ゆで卵を添えただけの「料理」を褒められて、文維は困ってしまう。
「煜瑾が喜んでくれるなら、それでいいのですよ」
優しい文維に、煜瑾はますます満たされる。
「私は、文維はと一緒なら、何をいただいても、何をしていても幸せなのです」
あまりにもストレートな煜瑾の言葉に、文維はくすぐったい感情があふれる。このキレイな心しか持たない天使に、かけがえのない愛情を自覚する文維だった。
カレーのパッケージには日本語しか表記されていないが、2人は少し分かる単語を拾ったり、スマホの翻訳機能を使ったりすることで、話題も尽きなかった。
上海には大きな日本食品店も多く、日本製のレトルトのカレーもあふれるほどに陳列されているが、日本での販売価格よりも倍以上はする。母国の味を懐かしがる駐在の日本人か、よほどの日本通でなければ、なかなか購入しないものだ。
親友の羽小敏からのそんな珍しいプレゼントに、煜瑾はずっと、最愛の人と分かち合うことを楽しみにしていた。それがようやく叶ったのが、3日間会えない出張前夜だというのが、少し残念な煜瑾だった。
こうして楽しい夕食後、後片付けも済ませ、2人は少し際どい入浴も済ませ、いつもと変わらず仲良く慣れたキングサイズのベッドに向かった。
しばらくは互いに耳元で何かを囁いては、小さく笑い、視線を絡めて微笑んだ。
明かりを消して、休もうとしたその時、煜瑾が不意に何かを思い出して口を開いた。
「あ!お仕事が終わったら、すぐに文維から電話して下さいね。私から電話して、お仕事の邪魔をすることになってはイヤなのです」
今回、文維が仕事の性格上、北京到着時から任務終了までの間、外部との接触を許されず、個人用のスマホやパソコンなどは任務中の3日間は担当機関に没収されるのだ。その間、声さえ聞けないことが、煜瑾を余計に不安にさせていた。
「1日も早く、文維の声が聞きたいです」
煜瑾がそう言って横になった文維の胸に身を寄せると、文維は黙って口元を緩めた。何もかも分かっている聡明な文維である。
「その時は、必ずビデオ通話でね」
「お顔を見てお話できるのは嬉しいです」
ちょっと恥ずかしそうに、煜瑾がそう言うと、ますます文維がニタリとなる。
「じゃあ、その時に私のお願いを聞いて下さいね」
「お願い?」
純真な煜瑾は、文維の悪企みなど想像もしない。
「約束だけ、して下さい。カメラの向こうで、煜瑾は私の言う通りにするって」
「???」
最愛の人を疑うことを知らない天使は、イケナイことを妄想する文維の思惑など思いも寄らない。
「その前に、今夜は…」
「あ、文維!」
甘い声で囁くと、文維は問い質そうとする煜瑾をそのままベッドに押し倒した。
「あ、文維、ダメです!明日からのお仕事に障ります!」
文維の手が不埒な動きを始め、煜瑾は慌てた。逃げようと身を捩るが、逞しい腕が逃すまいとする。
「大丈夫。少しだけ、煜瑾で癒されたいだけですよ…」
「文維の『少しだけ』は信用できません!」
いつも、上手に誤魔化されてしまう煜瑾だが、なんとか今夜は流されまいとしてささやかな抵抗を試みるが、結局は容易く丸め込まれてしまう。
「あ、ダメ…」
せめて煜瑾が望む通りに、と、寝室の明るい照明を薄暗いベッドサイドの間接照明に切り替えた「優しい」文維だった。
***
朝になり、少し疲れた様子の煜瑾はゆるゆるとベッドから身を起こした。
すでにバスルームからシャワーの音が聞こえる。
着々と出掛ける支度を進める恋人に、また寂しさを思い出し、煜瑾は俯いてしまう。
「おはよう、煜瑾」
ハッと煜瑾が顔を上げると、明るく、元気そうな恋人の優しい笑顔があった。それが嬉しくて、煜瑾もまた無邪気な笑みを浮かべる。
「まだ眠いなら、今朝は無理しなくてもいいですよ」
腰にバスタオルを巻いただけのセクシーな姿で近付いてきた恋人に、煜瑾は恥ずかしそうにしながらも腕を伸ばした。ギュッと抱き締め合い、煜瑾はその温もりを確かめた。
「今日は、おかあさまと小敏と一緒にランチに行きます。文維も、くれぐれも気を付けて行って下さいね」
「2人とも、煜瑾が寂しくないように配慮してくれているのですね。私からもお礼を言っておきますね」
優しい文維の言葉に、離れがたく思いながらも、ゆっくりと煜瑾は身を引いた。
「私も、浦東空港までお見送りに行きますね。おかあさまと小敏とは、浦東のホテルで待ち合わせなのです」
肌も露わにベッドから抜け出した煜瑾に、文維は慣れた様子で恋人のお気に入りのバスローブを肩に掛ける。はにかみながらも、お気に入りのヒヨコ色のバスローブに手を通し、文維の手を借りながら煜瑾はベッドから降り立った。
「私が寝ている間に、荷造りも終えたのですね?」
寝室のドアの傍にシルバーのスーツケースを見つけて、煜瑾はまた気持ちが沈む。
「ええ。昨夜はたっぷり煜瑾をチャージしましたからね。元気が有り余っているので、ササっと準備出来ましたよ」
茶目っ気たっぷりに文維が言うと、煜瑾は恥ずかしそうにしながらも、自分が恋人の役に立ったことが素直に嬉しくて、ふんわりと微笑んだ。
「1人が寂しいなら、宝山の唐家や小敏の家に泊まりに行きますか?」
どこか心細い目をしている愛しい人が急に心配になり、文維は思わずそんなアドバイスをしてしまう。
寂しいながらも、文維の心遣いが嬉しくて、煜瑾は元気な顔を見せることにした。
「文維がいなくて寂しいのは本当ですけれど、私も、もう大人ですよ。子供のようにお世話してくれる人など必要ありません」
「そうですね。誰かが煜瑾の傍に居るとなれば、それはそれで私も嫉妬してしまいますからね」
文維はそう言って、煜瑾の額にチュッと音を立てて口付けた。
「もう…、文維ったら…」
頬を赤くしながら煜瑾が抗議すると、文維は声を上げて、幸せそうに笑った。
「さあ、煜瑾。当分は2人での朝食はできませんからね。今朝はゆっくりいただきましょう」
「はい」
朝からごきげんな煜瑾は、文維の誘いに、跳ねるようにバスルームに向かい、身支度を急いだ。
小走りで煜瑾がキッチンに向かうと、すでに文維がお得意のパンケーキを焼き上げたところだった。
「わあ~、今朝はパンケーキなのですね。文維の焼いたパンケーキ、私は大好きなのです」
「知っていますよ。煜瑾に喜んで欲しくて焼いたのですからね」
ふと文維は、かつて煜瑾が言っていたことを思い出した。
(こんなに美味しいパンケーキを…、文維はこれまでどれほどの人に焼いてあげたのですか?)
他人に対する妬みや嫉みというような、悪い心を知らずに育った煜瑾だった。けれど、文維を好きになってからの煜瑾は、嫉妬という感情を知ってしまった。
そんな煜瑾の小さな嫉妬心を、文維は愛らしいと思い、嬉しくさえ思った。けれど煜瑾は慣れない感情に戸惑い、思い悩み、そんな天使を可哀想に思った文維が、最愛の人に約束したのだ。
「これから、煜瑾以外の誰かのために、私がパンケーキを焼くことはありませんよ」
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