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第1話 偽りの聖人
昔むかしあるところに、それはそれは美しい男の子がいました。
ルビーのような真紅の瞳、新雪かの如く輝く――真っ白な髪を揺らすその子は、皆に『天使』と呼ばれ愛されていました。
ある日、その噂を聞きつけた第3王子が会いにやってきます。
愛らしい笑顔に一目惚れした王子様は、彼に結婚を申し込みました。
が、見事玉砕。
怒った王子様は、男の子から家も地位も優しい両親も――全てを取り上げてしまったのです。
彼は泣きました。
三日三晩絶望し続け、思いました。
『全部アイツのせいだよなァ……』
そして立ち上がったのです。
『天使? 上等だよ。なら聖人にでもなって金も名誉も手に入れ、奪われた物を全部取り返す。そして同じように、あのゴミ男を王子と云う地位から引き摺り降ろしてやろうじゃないか』
こうして教会の門を叩いた男の子は四苦八苦しながら4年後、見事聖人となり迷える人々を救済しはじめます。
『聖人なんて、要はやりようだろ? ビジネス、これは大金の入るビジネスなんだよ!!』
そんな本性を、隠しながら。
◇◇◇
そして月日は流れ、気付けば5年。
人生は、そう簡単に上手くいくはずもなく。
――俺は、理想と現実の乖離 に悩まされる日々を、送っていた。
「アイラ様……こんな俺を、神は赦してくれるのでしょうか」
息が詰まる程に狭く暗い告解 室の中、鉄格子付きの小窓の向こうで、一人の男が祈りの姿勢のまま俺にそう問う。
「慈しみ深い眼で我らを見守る大天使レイデ様は、罪の赦しの為に聖霊を注がれました――その御名によって、貴方の罪を赦します」
聴くだけで心が浄化される程に澄みわたっている、と定評のある声で、手元のメモをスラスラ読み上げる。
すると忽 ち、向かいの男はガシャンと鉄格子を鳴らしながら泣き崩れた。
「ありがとう……ありがとうございます」
「お行きなさい。貴方はもう赦された身、同じ罪を繰り返してはなりませんよ」
「は、はい!」
男は元気に立ち上がると、暗い小部屋から立ち去った。
外から「ご献金はこちらに」という言葉が聞こえると手元のメモをクシャッと握り潰し、俺も息苦しい部屋の扉を開けた。
「お疲れ様です、アイラ様」
七色に輝くステンドグラスが幻想的な雰囲気を作り上げる室内、真っ白な床に敷かれた長くて真っ赤な絨毯の上で、鎖骨にかかる髪を緩く纏めた男性がこちらに頭を下げていた。
「エイベルもな。で、どうだった? 先程の〇〇 ――迷える仔羊は幾ら置いてったんだ」
長いローブの裾を靡かせながら、彼が差し出す封筒を受け取る。
「ペラペラでございます」
「ペラペラ――で、中は」
黒いネイルの施された指で、一見して何も入っていないようにも見える茶色い封筒の中身を覗く。
途端に俺の口から、思わず小さな舌打ちが漏れた。
「1万ジニくらいでしょうか?」
澄んだ緑色の目をキラキラと輝かせるエイベルが身を屈ませ、俺が差し出した封筒の中身を確認する。そして次の瞬間――表情を酷く歪ませた。
「300ジニ。……ふざけてんのかよ」
「はい、出禁にしましょうね」
エイベルが出禁リストに記入する姿を横目で見ながら、近くの長椅子にドカッと腰掛ける。
「いまのご時世、ビール1杯飲むのにも500ジニは必要だろ。これじゃ今晩の飲み代にもなりやしねぇ……誰だよ、聖人は稼げるって言った奴は――俺だよォォ」
頭を抱え天を仰ぐ俺に、スっとグラスが差し出された。
「とりあえずひと息つきましょうか」
横に立つエイベルが優しい声色と共に、手にした銀のトレーを俺に向けて差し出す。そこに乗った透明なグラスを受け取り、迷いなく口を付けた。
この香り――お手製のハーブ水だろうか――落ち着く。
鼻腔を通り抜けるスッキリとしたフローラルの香りは、逆立った心を段々と丸くする。
程よく冷たいその液体を喉の奥へと流し込み終わると、安堵の息を吐いた。
「……何度も言ってるが、もうこんな事しなくていい。今は従者じゃなくて、同じ神父なんだから」
真紅の瞳を細めて少し困ったように俺が笑うと、彼は頬を赤らめ、嬉しそうに緩めた。
「いえ、私は生涯を貴方様に捧げた身。これからもアイラ様強火オタクとして、尽くし続ける所存でございます」
「……何を言っているのかよくわからないが、まぁ……ありがとう?」
決意を秘めた彼の細い目には、苦笑いする俺の顔が写っていた。
◇◇◇
雪が舞う曇天の中、意を決して教会の門を叩いたあの日。
それまで従者であったエイベルは、我がサディアス伯爵家が大解散を行った後、『両親と離れ単独で教会入りをする』と決めた俺の傍を離れなかった。
最初は『お前は自分の人生を送れ』と断ったが――それでも彼は首を縦には振らず。
『いいえ。アイラ様は唯一で絶対の主、何があっても私は貴方のお世話をすると決めていますから』
『エイベル……』
正直、彼が居たおかげで何度も折れかけた心が救われ……いつしか、無くてはならない大切なひと となっていた。
◇◇◇
「どうしますか? アイラ様。あともう少しで、次の告解予定ですが……休憩を挟みますか?」
俺はまだ、諦めた訳じゃない。
家族で暮らす、あの日々を。
残りのハーブ水をグッと飲み干し、エイベルが持つトレーへと勢いよく戻す。
そうだ、折れてる場合じゃねぇ。
この教会に入ってから、既に5年の月日を消費している。
親父たちがいま、どんな生活を送っているのかすらわからない。一刻も早く、俺が家を立て直して……また皆で集まって暮らすんだ。
あの、笑いの絶えない幸せな家庭 を、この手で――
『アイラ! 今日はなんと、お母さんがクッキーを焼いたそうなんだ!! 楽しみだな、早く食べよう』
『えー、今度こそ焦げてないだろうな』
『料理人の方に見てもらいながらだから、きっと大丈夫よ! マリーナも呼んで皆でお茶にしましょう』
ふと、切り取られた暖かな記憶の断片が、脳裏に蘇る。
グラスの水滴で少しばかり湿り気を帯びた手を、俺は勢いよくギュッと握り込んだ。
「よし、やるぞッエイベル!! 目標は家の復興1000万ジニ……気合い入れて行くぞッ!!」
己の頬をパンッと叩き、奥に立つ大きな像へと視線を向ける。
『大天使レイデ様』
この聖マリナス教会が崇める『天使教』における最高神。
大きな4枚の羽根を携えた彼女は、今日も穏やかな微笑みを浮かべ、俺たちを見守っていた。
◇◇◇
そんなこんなで本日の職務が終わり、夕刻を報せる鐘が聞こえる中。
控え室に置かれた古いソファーの上で、俺は文字通り倒れ込んでいた。
「疲れた。もう俺疲れた。本日の告解者38人。皆、懺悔しすぎだろ、どんだけだよ」
確かに、やる気はあるよ。けれど――さすがに疲労が隠せない。毎日毎日、人の悩みを聞き続けるのは……俺の何かがゴリゴリと削られていく。
「現代人は悩みが多いですねぇ」
「あーーーこんな時、恋人でも居れば……帰って癒されるのになぁ」
仰向けに倒れていた俺は、顔の前に自分の手を掲げる。
『今日も頑張ったね、お疲れ様』なんて、暖かい手でギュッと包み込んで欲しい。
生まれてこの方、それが叶わぬこの手は――今だ冷たいまま。
「今日も今日とて、赤ちゃんですねぇ」
クスクスと笑いながら聞こえるエイベルの声で、ハッと意識を戻る。
まるで心の中を読まれたような笑いに、俺は顔を真っ赤にしながらその手をパッと下ろした。
「……うるせぇ」
重い腰を上げ、フラフラとクローゼットに向かう後ろ姿を、エイベルは「ご準備しますから」と俺の肩を掴み、再びソファーへと座らせた。
「最近、恋人欲しい発言 増えましたねぇ。本日だけで……もう7回目」
「……馬鹿みたいに甘やかされたい年頃なんだよ……」
エイベルから白いセーターを受け取りながら、俺は大きなため息を吐いた。
間違いなく、仕事は順調。
『サディアス家の復興』を掲げた目標金額にはまだまだ足りないが、それなりの稼ぎも出しているし、知名度も上がった。
そんな俺に足りないもの――それは、愛される事。
「なんでしたっけ『恋人に、よしよしされたい』でしたっけ?」
「……口に出されると、羞恥心で消えたくなるな」
「年齢イコール、恋人居ない歴のアイラ様の事は、取り敢えず私がヨシヨシしましょうね~」
「う、うるせぇぇやめろォォ……!! 虚しさが増す」
わしゃわしゃと白い髪を撫で回すエイベルの手を、どうにか引っぺがそうと抵抗する。
「いやぁ、アイラ様は撫でやすいサイズ感をしてらっしゃる」
「くっ……お前の背が高すぎるんだよ」
身長165センチ を指摘され、恨めしくエイベルを睨みつけていると、ふと彼の動きがピタリ留まった。
視線の先にある顔は、意味ありげな表情を浮かべていた。
「まぁ、でも――もしかしたら……頑張っているアイラ様に、我らの父であり母である大天使レイデ様は、ご褒美をくれるかもしれませんねぇ」
ニヤリと口元を歪めるエイベルに「どういう意味だ?」と首を傾げる。
「なんだよその意味深発言」
「もしも、の話ですよ。人生何が起こるか分かりませんし。……それより、今日も飲みに出掛けるので? 最近多くないですか」
その意味を汲み取ることを諦めた俺は、重苦しいキャソックを脱ぎ捨てセーター姿 へと転身し始める。
「当然。恋人が居ないなら、俺を癒してくれるのは酒しかないだろ」
恋人に甘えたい所だが、そう都合の良い人間が居る訳でもなく――結局、行き着く先は酒だったのだ。
酒は、俺を裏切らない。俺は酒しか信じない。
エイベルがため息混じりに見守る中、俺は鏡を覗き込みながら、セーターの乱れを正す。
白のハイネックの上から、金色の細長いネックレスを掛け「よし」と満足気に微笑むと、くるりと身体を反転させる。
そこには腕を組み、今だ不服そうなエイベルの姿。
「くどい様ですが、くれぐれも聖人である事を悟られませぬよう――」
「いつものバーだから平気だろ。俺が行く時間は貸切にしてくれる。それに何かあっても、あの屈強なマスターが握り潰してくれるし……」
「そもそも俺は男なんだが。まぁ、貧弱だけどな……」なんて、シャツの下に隠れた薄っぺらい腹を撫でる。少しだけ捲った袖から覗く白い腕が、筋肉質になる日は来るのだろうか。
「それなら良いですが。……アイラ様はお忘れかもしれませんが、明日は大事な式典があります。深酒されぬようお気を付けください」
心配そうな顔でそう告げるエイベルは「一応」と、大きなフードの付いた黒いローブを俺に差し出す。
「大丈夫、問題ねぇよ!」と元気にそれを受け取り、マジックアワーの広がる外へと飛び出した。
◇◇◇
街灯が途切れた町外れ。
既に営業を取り止め、風化が始まった伽藍 とした廃墟街の一角で、ひっそりと営業を続けるバーがある。
黒いドアを空けると、カウンター席が5つほど置かれた狭い店内。その席の真ん中に、俺はドカッと座っていた。
「ってかさぁ、意味わかんなくね? M男性癖に嫌気のさした彼女が逃げてしまったんだけれど『やっぱりあの子に嬲られるのが忘れられないから戻って来て欲しい』って」
「そんなの、アタシの所に来なさいよォ。今すぐ忘れさせてあげるわッ」
「それはそれで、トラウマ植え付けられそうだが……」
壁一面に置かれた酒瓶の前でグラスを拭くマスターに向かい、今日も俺はカクテルグラスを片手にクダを巻いていた。
「んな事言って、置いていった金は300ジニ。もう、二度と来るなよ!! って感じ」
「まー、それはちょっと困ったちゃんねぇ」
グイッと可愛らしいピンク色の液体を飲み干し、テーブルに突っ伏していると、カランッと綺麗なドアベルの音が鳴る。
「ごめんなさい、今は貸切で――」
表には『CLOSE』の看板が掛けられているはず。
曲がりなりにも「聖人」である俺が酒に溺れる姿を人には見せられない、とマスターの計らいなのだ。
だからどれだけ常連客が来ようとも、問答無用で追い返してくれるはず。
だが、何故か今日は――いつまで経っても「悪いけど、また後で来てねぇ」という言葉が聞こえてこない。
なんでだよマスター!! 「アンタの事はアタシが守ってあげるわ」って、いつも言ってくれるじゃん。
顔を見られぬ様にと机に伏したまま、慌ててローブのフードをパッと被る。
チラッと視線だけ上に上げるもマスターは入口の方を向き固まったまま。
「何かやばい事でもあったのか」と不安に思い顔を上げようとすると、そこにスっと人の影が重なった。
「隣、いいか?」
「え、あ……」
若い男、か? それにしても低音のいい声だな。
いや、それよりまずいだろ……俺の存在が知れたら。
「どうすればいい!?」とマスターに視線で助けを求めるも、彼は「大丈夫」とただウインクを返すだけ。
どういう事か、理解が出来ぬまま――ギッと椅子を引く音を聞きながら一旦、黒いフードを深く被った。
「アンタッ……いつ帰ってきたのよ! 聞いてないわよォ~!!」
「一昨日な。諸用で遅れたが――真っ先に此処に顔を出すと、約束したろ?」
「んもォッ! そんなイイ男になっちゃって……」
「相変わらず口が上手いな。とりあえずウイスキーくれるか」
知り合い、か?
確かに声は良いが、マスターのはしゃぎっぷりが尋常じゃない。
そんなにいい男なのか?
少しだけ――隣へ座った男に興味を持ち、伏したままの身体をゆっくりと起こす。
すると、スっと横から1杯のグラスが現れた。
「随分と出来上がってる様だな」
綺麗な円形の氷がカランッと音を立てる先には、1人の男が座っていた。
黒いジャケットに、光沢のある黒いシャツ――それらは一目見て上等な誂 えだとわかる。
――どこか名家の人間か? 庶民御用達のバーに、珍しいな。
「えっと……?」
顔を上げ、飴色の液体とその男に視線を左右させる。
「まぁ、1杯飲めよ」
同じロックグラスを片手に持ったその男は、黒曜石のように輝く髪を揺らし「ニヤッ」と薄い唇の片口角を上げた。
――かっ、顔がーッ!! 良い。
本日4杯目のカクテルで、既にホワホワと出来上がってるいた俺の脳が、一気に覚醒する。
真ん中で分けられた長い前髪の隙間から覗く、金色の瞳。キリッとした2つの眼 の真ん中をスっと通る美しい鼻筋。
このラキシア王国でこんなにも顔面の配置が完璧 な人間、見たことがない――そりゃマスターもはしゃぐわな。
男に興味無い俺でもつい見惚れてしまう……イケメンの破壊力ってすげーな。
この世の者と思えない男の登場に、固まってしまった俺に向かい、彼は笑いかけた。
「何だ、ウイスキーは飲めないお子様か?」
その意地の悪い言葉を発する声は、甘いムスクのよう。
いつもなら「は? 喧嘩売ってんの?」なんて言い返すところだが、この圧倒的ヴィジュアルの前でそんな言葉――頭の片隅にも浮かんでこない。
「ののの、飲みます飲めます美味しくいただきたいところですが……さすがに初めましてで突然ご馳走になるのは……」
半分程注がれた酒が「早く飲めよ」と俺を誘う。
いやしかし……よく分からぬ他人からいきなり、というのも気が引ける。かといってこの1杯を『俺に付けといてくれ』なんて経済力はない。この酒絶対高いって、俺知ってる。
出しかけた手を、どうしたものかと彷徨わせていると、隣で再び「ふっ」と笑う声が聞こえた。
「長らく他国に居てな、7年ぶりに帰ってきたんだ。まぁ、帰国祝いだと思って――付き合ってくれないか。ひとりで飲むのも侘しいし、な?」
「う、うぐ……」
そう言われると、断りづらくなってしまう。
「せっかくよ、皆でパーッと飲みましょ、パーッと!!」
「マスターまで……」
2人の顔を交互に見るも、そこには「はよ飲め」の4文字があるのみ。
はぁ――もう断れない空気感じゃん! てかなんでマスターはこの男を店に入れたんだよぉ……
そう目で訴えるも、返ってくる言葉は無し。
……このまま足掻いても、空気悪くなるか。それに……7年ぶりの帰国って言ったよな? ならまぁ、俺の事 も知らないだろう。そもそも教会に入ったのが5年前だし。
暫く宙を彷徨っていた手で「ヨシッ」を気合いを入れた。そして水滴の滲むグラスを勢いよく掴む。
もう……どうにでもなれやッ!
置かれたグラスをグイッと一気に飲み干すと、隣から「おー」と感嘆の声が上がる。
「ぷはッ」と甘い果実香を振り撒く息を吐き、空になったグラスを、ドンッとコースターへと戻した。
さすが、超が付く最高級ウイスキー――なんだこれ美味すぎるッ!!
「いい飲みっぷりじゃないか。俺はジルだ、宜しくな」
その男は気を良くしたのか、自分の隣に置かれた瓶からドボドボと景気よく空いたグラスに酒を注ぐ。
「ジルさん……ですね。ええ、もう酒は命の源ですからね!!」
「はは、違いない。じゃぁ、もう一度乾杯といくか」
いつの間にか自分のグラスにも酒を注いだ彼が、ロックグラスを俺に傾ける。
「最高じゃんッ……かんぱーい!」
カンッと互いのグラスが綺麗な音を鳴らしたところで、半分程注がれた酒を、また一気に飲み干した。
◇◇◇
「ほう。アイラは教会で働いているのか」
深く被っていたフードはいつの間にか消え、俺は桃色に染まった頬を露にしていた。
「そー!! みんな自分勝手な懺悔ばっかしてさぁ……置いてく献金はスズメの涙程。稼げるビッグビジネスだと思って始めたのに……増えるのは金じゃなくてストレスばっかり……」
こんなこと、ペラペラ喋っていいはずない。けれど――溜め込まれたストレスは、一度解き放たれると崩壊したダムのように溢れかえってくる。
「そうか……毎日がんばって、えらいな」
甘い声と共に、スっと彼の長い指が、俺の頭に優しく触れた。
その感触が――あまりにも気持ちよくて、無意識にその手に擦り寄ってしまう。
エイベルもたまに頭を撫でてくれるけど……それとは違って、凄く気持ちいい。どうしてだろう。
「んー……もっと撫でて。お金も欲しいけど、それより今は癒しが欲しい……」
「ははッ! アイラは正直で可愛いな」
あれ、ていうか俺……名乗ったっけ?
――まぁ、いっか!! きっとどっかでうっかり言ったんだろ。
考えることを放棄した俺は、開き直って彼の手に擦り寄る。すると彼の手もそれに応えるようにゆるりと動く。
目の前のクリスタルボトルはいつの間にか倒れ、最後の数滴がポトリポトリ、テーブルへと注がれていった。
「ジルさぁ、かっこよすぎるって、いわれるだろー……」
「さぁ……どうだかな。お前こそ、美しい上に可愛らしい。実に俺好みだよ、アイラ」
ゴツっとした大きな手で彼は先程かもち肌と称賛される頬を撫で回している。
その手が動く度フワッと俺の鼻腔を刺激し続ける、エキゾチックな甘い香り。
おっきい手――暖かくて、気持ちいい。あれ、俺、男相手になにやってんだ? いやでも、離れたくないな……
うっとりと目を細めながら、ほんのりと桃色に染まる頬を緩ませた。
「天使ってよく言われるからなぁ……」
彼をじっと見上げ、その滑らかな手のひらに自ら擦り寄ると、気を良くしたのかジルは、大きな手をスっと俺の肩へと回した。
「ほう……じゃぁ今宵は、その天使様を堕天使に変えてやろうか」
悪魔じみた月 と視線が交わると、桃の実だった頬はすっかり熟れてしまい、ドクッと鼓動が高鳴る。
「えー? 俺まだ乙女なのにぃ、ジルのえっちぃ」
「いや乙女ってなんだよ」と己にツッコミを入れるが、もはやどうでもいい。
もう抱かれてもいい、いやもう抱いてくれ。そして甘やかしてくれ。
………………いや、ダメだろ。
ここで最後の理性が、男としての尊厳を守ろうとどうにか俺を引き留める。
――危なかった……酒と色気と疲れでおかしくなるところだった。俺は男、お前も男。ステイ、冷静になれ。
「一旦、離れて落ち着こう」と、ボヤけた視界でも分かる彼の強い視線から逃れるように、身体を起こして顔を背ける。
だが彼は逃さないとばかりに、俺の顎に指を掛けクイッと自分の方へと向けた。
色気が滲む目元から、目を離すことが出来ない。
更にどういう訳か、身体の下――芯の方が、ズクッと疼きを覚える。
「ふーん? 純粋無垢な天使を俺の手で穢してやる、なんて……最高に唆 るな」
ギラ付いた目で、ペロリと舌舐りをする雄の所作が視界に入れば、全身にパァァっと熱が一気に駆け巡った。
「あ、れ……なんか、ふあふあしてきた」
すっかり沸騰した脳に、アルコールの力が加わり、ふわりと天に昇り始める。
「アイラ? 大丈夫か?」
「んー、平気……へい、き……」
愉悦に歪む美しい顔が、霞む視線の先で揺らめく。
ふらっと後ろに傾いた身体が、何か暖かい物に抱き留められた。
なんだこれ――暖かくて気持ちいい。
その心地良さから、俺はそのまま意識を手放した。
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