2 / 3

第2話 再会

「……さま、……イラさま……」  ハッと目を覚まし、一番に飛び込んで来たのは見慣れた茶色の天井。  次に心配そうに眉を下げたエイベルの顔が、俺の視界に映る。 「エイベル……? お、れ……」  ゆっくりと身体を起こすと、ズキッと頭に電流が走ったかのような痛みが走る。 「中々宿舎へお戻りにならないので心配しておりました」  頭を抑え、眉を(しか)める俺の顔を、エイベルが心配そうに覗き込む。  この頭がかち割れそうな痛みは二日酔い、か? 昨日そんなに飲んだのか……記憶が無い。  焦げ茶色のソファー――お世辞にも座り心地の良いとは言えない――使い古されたクローゼット・質素な室内とくれば、間違いなく、教会内にある控え室で間違いないだろう。  酔っ払って、教会宿舎ではなくここに帰ってきてしまったのだろうか。 「少しばかり飲み過ぎたか……」  エイベルが差し出したグラスを受け取り、有難くそれを口に含む。  ほんのり甘い果実の味――林檎ジュースか。  エイベルは俺が深酒をした翌朝、決まってこの飲み物を出してくれていた。 「このままお休み頂きたい所ですが、流石に今日の式典はキャンセルが難しく……」 「一体なんの式典だ?」  首を傾げながらグラスに残ったジュースを飲み干す俺に、1枚の紙が差し出された。 「つい先日、留学先のベルデ王国から帰国され即、騎士団長に就かれた、ジルレスター・ダレン・ネイサン様が就任のご挨拶に参られます」  彼から受け取った紙には、そのジルレスターなる人物の輝かしい経歴が書かれている。 「なる、ほど……さすがにそれは聖人として対応するしか無いか」  書かれた文字の羅列に目を通すと、過去に受けた『ラキシア王国について』の教育で――とりわけ有名貴族として度々名を馳せていたネイサン家の事が、記憶の片隅から掘り起こされる。   たしか有名公爵家であるネイサン家には、剣の鬼才と呼ばれた子息が居たとか。  その才能の塊が、このノワール大陸で1番の軍事力を誇る国へと武術留学に赴いている、と。  今年で22になる俺と歳は変わらない……それで騎士団長に指名されるとは、天賦の才人と言っても過言ではないだろう。 「ジルレスター様は、騎士団の花形とも言える第1騎士団長就任と同時に、我が国の第1王子ディラン様、直属の護衛騎士にも指名されました。――今後、教会との関わりも密になるかと」 「……たしかに、それは這ってでも行かないといけない案件か」  腐っても聖人という立場の俺は、国王や王子からの要請で騎士団と共に任務へ赴くこともある。  中でも第1王子であるディラン・アーネス・マクシミリアン様は、何故か俺ご指名で仕事をくれる。  しかも、その報酬は破格。  ディラン様と密な関係にある、そのジルレスターとやらが『俺の挨拶を蹴るような聖職者と仕事なんて出来ない』なんて言ってしまえば一環の終わり。  ――こんな事(たかが二日酔い)で、王族(太客)の信頼を損なう訳にはいかないのだ。   「支度をする。着替えをくれるか」 「もちろん、直ぐに」 相も変わらずエイベルは、教科書のようなお辞儀をしクローゼットへと向かう。  ズキズキと痛む頭にムチ打ち、ソファーから起き上がると、身体からヒラリと1枚の黒い布が床へと落ちた。 「それ……アイラ様の身体に掛けられていたのです。誰の物でしょうか?」  この黒いジャケット――覚えがある……?  それまで真っ白だった頭の中で、昨夜の出来事が一気に蘇る。  そうだ、俺、謎のイケメンから酒を注がれて、調子に乗って飲みすぎて―― 『アンタさぁ、かっこいいって、いわれるだろー……』 『じゃぁ今宵は、その天使様を堕天使に変えてやろうか』 『えー? 俺まだ乙女なのにぃ』  鮮烈な記憶が、鮮明に蘇る。 「やって、しまったァァァ!!!!」  思わず勢いよく立ち上がり、間髪入れず襲い来る激痛でその場に蹲ってしまう。 「……大丈夫です? アイラ様?」 「大丈夫だ、問題ないこっち見んな」  ご様子のおかしい俺に、慌てて駆け寄るエイベルを手で遮り、ヨロヨロと元いたソファーへ腰掛ける。 「凄いイケメン、だったな」  神の造形も然る事ながら――あの、宝石みたいな神秘的な輝きの――魅惑的な彼の瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。 「イケメンがどうかしたのですか?」 「なッ……何でもない。本当に気にするな忘れてくれ」  呟いたつもりはなかったのだが。思わず零れた言葉に、再びクローゼットに向かったエイベルが当然の如く反応をする。俺は、少し赤くなった顔を隠すようブンブンと首を横に振った。 「……? 御意」  エイベルはそんな俺を不思議そうに眺めていたが、直ぐにまたクローゼットの中を模索し始めた。  物凄い美形にに会ったと言うことは伝えたい。  だがそれに浮かれて、記憶が無くなるまで飲んで醜態を晒した、なんて……言えるはずがないもんな。 「まぁ、もう会うことはないだろ。なら忘れるのが1番」  そう呟き、手元のジャケットをくしゃっと丸めると、少し乱暴にソファーの隅へと置いた。 ◇◇◇  ラキシア王国の中心地には、まるで白亜のお城のような――それはそれは巨大な大聖堂が存在している。  天を突き抜けるような三角錐の屋根、壁に施された見事としか言いようの無い繊細な彫刻は、見る者の心を掴んで離さない。  女神と見まごう程の美しい2体の天使像が対に置かれた茶色いアーチ状の大きなドアを開いた先――。そこに広がる赤い絨毯の敷かれた礼拝堂で、私を先頭に何人ものシスターが並び頭を下げ、つい今しがた到着した華やかなオーラを撒き散らすを出迎えていた。 「ようこそお越しくださいました、ジルレスター様。(わたくし)(サイ)マリナス教会所属のアイラ・カイ・サディアスと申します」  いつもは黒くてタイトなキャソックを着ているが――本日の服は眩しい程の白。  そんな純白の正装で丁寧な礼をしたまま、俺はそう挨拶する。  相手の姿を確認した訳では無いけれど――足音やステンドグラスが映し出す影からして数十人の大所帯なのだろう。 「これはこれは、お噂はかねがね。わざわざお出迎えいただき光栄です。自分はラキシア王国軍所属、第1騎士団長――ジルレスター・ダレン・ネイサンと申します。以後お見知り置きを」  頭上から、低音の甘いけれど何処か色気のある――例えるなら官能的な花のような声が聞こえてくる。  ――あ、れ……このイイ声、何処かで聞いた事が……  不思議そうに顔を上げた、次の瞬間――  目の前で礼をする煌びやかな相手と視線が交われば、それまで取り繕っていた表情が、突如として起こった大雪崩のように崩れていく。  凛とした夜を彷彿とさせる漆黒の髪、そこに浮かぶ月光のような金色の瞳、極め付けは……まるで絵に描いたかのような端正な顔付き。  180センチを超える長身ながら、細身でスタイルの良い男。黒紫色の軍服を身に纏い、肩から金の装飾の施された白いコートを羽織る姿が様になりすぎているこの男を――俺は知っている。  忘れようもない。こんな唯一無二の美しい顔……例え酔っ払っていようが、記憶から消える訳がない。いやでも、忘れていたかったわッ……!!  どうやらそれは、相手方も同じようで――  「世界中の人間を虜にする」という評判の顔面は、見事に崩壊していた。 「「あ゙……!?」」  目が合った瞬間、互いが蛙に踏み潰されたような声が広い聖堂内に響き渡る。 「アイラ様……?」 「どうされました、ジルレスター様」  直ぐ後ろで頭を下げていたエイベルが、驚きを隠せない声でそう問い掛けながら、長いローブの後ろをクイッと引っ張る。  当然、向こうも同様で――彼の隣に立つ金髪の青年が、心配そうに見つめていた。 「いえ、何でもありません」 「問題ない、気にするな」  直ぐに取り繕ってはいるけれど。何故だろう、アチラの心の声が手に取るように分かる。 『『なんでお前がぁぁぁあ!?』』  だってほら、再び合わせた顔は、ヒクヒクと口角が引き攣っている。お互い様だけどなッ……!  嘘だろォ!? 昨日酒で失敗した相手が、こんな高職な人間だなんて聞いてない。  そもそもなんであんな廃れた小汚いバーに、公爵家のご子息が来てんだよォォ!!  落ち着け、俺。落ち着いて再びきちんと挨拶をしろ。  ほら、後ろでエイベルや司教のイアン様――他の神父達も見ているんだから。  俺は深く息を吸い、痙攣する顔面をどうにか動かして150点の笑顔を作り上げた。 「きょ、今日も相変わらず世界を獲れる国宝のご尊顔で……」 「お、お前こそ全人類が嫉妬する抜群の可愛らしさだな……」  分かっている。互いにおかしな事を言っている事くらいは。なんならもう、何言ってるのか理解出来ない。  でも今はこれが精一杯なんだよ、察してくれ。 「よッ、宜しければ館内を案内させてくださいませッ」  上擦った声で式典の流れ通りにそう告げる俺へ、目の前の顔面国宝がそれはそれは一点の曇りもない、お手本のような綺麗な笑顔を魅せた。 「よろしく頼みます。お忙しい聖人様のお手を煩わせて申し訳ありません」  ここで俺の中に違和感が生じる。  ――こんな爽やかな笑顔をする奴だったか?  色気のある|厭《いや》らしい笑いしか印象にないんだが。  そんな事を考えていた為か動き出そうとした右足が、引き摺る程に長いローブの裾を踏んでしまう。  こ、転げる……! これは床と口付け確定演出ッ‼  次に来る痛みに備え、ギュッと目を閉じた時だった。 「――ッッ!!」  俺の身体は冷たい石の床ではなく――靱やかな硬さの、何か暖かい物に包まれたのだ。  恐る恐る目を開けると、|躓《つまず》いた身体を、まさかのジルレスター様が抱き留めてくれていた。  昨日感じた何処か雄を感じる妖艶な香りが、翻したマントの共にフワッと身体を包み込むと、思わず心の奥底がトクンと高鳴る。 「――っと。申し訳ございませんッ……自分のような凡俗が、高潔な聖人様に触れるなど」  爽やかな声色でそんな事を言ってのけた男が、慌てて俺から身体を離す。  いや、誰。お前誰だよ。  アンタ昨日、天使を堕天使に変えてやろうとか何とか言ってベタベタ俺の頬撫でまくってたよなぁ?  あれ、もしかして別人の可能性――いやでもさっきコイツも変な声出てたし、匂いだって同じ。  訝しげな目をしている事に気がついたジルレスター様はシャラッと長いピアスを揺らしながら首を傾け――薄らと空いた唇の口角をニヤリと上げた。  それは先程から一転――まるで悪魔のような笑みだった。 「ちょっ……」 「どうしました、アイラ様? 何処か痛むのですか」  俺が声を上げると、彼はすぐ元の――聖人純度100パーセントの綺麗な顔に戻ったのだ。 「い、いえ……ナンデモゴザイマセン」  これ、完全俺で遊んでるのでは? 「ならば良かった。貴方様の傷ひとつでも付いたならば、自分の行いを悔いて夜も眠れなくなる所でした」  悲しそうな顔でを眉を下げて――いまほくそ笑んだのを見逃さなかったが!?    とんでもない悪魔じゃないじゃねーか!!   「こ、こちらへどうぞ」  皆の前、取り敢えず荒ぶる感情を押さえ込み、痙攣の止まない口角を上げ大聖堂内の案内を始めた。  ◇◇◇ 「つっかれた」  ジルレスター御一行が帰った後、消えそうな声と共に聖具室に置かれた焦げ茶色のソファーへと沈み込んだ。  本当に疲れた――主に精神面。  要所要所でちょっかいを掛けてくるジルレスター様を影でいなし、張り付いた笑顔をどうにか崩さず彼らの帰る馬車を見送った。 「お疲れ様です、アイラ様。いやぁ、噂に違わぬかっこよ良さでしたねぇ」  目の前のテーブルに1杯の紅茶が置かれるのを横目に見守っていると、仰向けの俺を覗き込むエイベルがツヤツヤした顔で「イケメンに潤いましたね」と満足そうに微笑んでいた。 「はは……いや、どうだかな……」 「言ったでしょう? 大天使レイデ様は、そろそろご褒美をお与えくださるのでは……って」 「……まさかこの事かよぉ……!!」  ニッコリと笑う彼とは対称的な、げっそりと|窶《やつ》れた顔でエイベルに手を借りてゆっくり起き上がり、柑橘の香りが漂うカップに口を付ける。 「ジルレスター様とアイラ様が並ぶお姿はもう、美しい絵画の様でしたよ」  俺が紅茶を飲む横でエイベルは、先程の光景を思い返しているのか「うんうん」とひとりで大きく頷いている。 「止めてくれ。思い出したくない黒歴史がひとつ増えた」 「どうしてです? とても本当にお似合いでしたよ」 「やめろ。これはもう、俺の中で無かった記憶にするんだ」  本当にこの世のものとは思えない、絶世の美丈夫ではあった。  ――所々覗く、悪魔的部分を覗けば。  ニヤつく彼の口許を思い出し悪寒の走る身体を、暖かい紅茶でどうにか沈める。 「いいじゃないですか。……このまま良い関係となり、しっかりと貢いでもらえれば――目標金額に大きく近づくのでは?」 「お前、言ってる事が最低だって分かってるか?」  エイベルよ……お前までいつから悪魔に成り下がったんだ。  目の前の悪魔二号は変わらず爽やかな笑顔のまま、毒を吐き続ける。 「……まぁ、目の前に、が現れたのは間違いありません――とだけ言っておきましょうかね」  そんな彼につい「ははは」と乾いた笑いを返す。  世の中そんな、都合よく行くはずがない。  その時、ガチャッと聖具室のドアが開き、紅茶に口を付けたまま目線だけそちらに送る。  向こうからスラッとした男性が顔を覗かせると、慌ててカップをソーサーへと戻し、慌てて立ち上がり頭を下げた。 「お疲れ様、アイラ。本日の式典、君に任せて正解だったよ。大成功だ」  清潔感の溢れる出で立ちの男性が「まぁ、楽に」と言うと、俺とエイベルはそこで漸く頭を上げた。 「お疲れ様です、イアン様。いえ、このような大役を任せてくださって……ありがとうございました」  清廉潔白を絵に書いたようなこの男性――イアン様は、5年前、何の肩書きを持たずして教会の門を叩いた俺を受け入れた。そして今日まで父、時には母のように良くしてくれる司教様だ。  聖職者という言葉はこの方の為にある――国の最上位聖職者という立場に誰もが納得する彼は、上品な笑顔を俺達にみせた。 「しかしお似合いだったな。ジルレスター様とアイラは」  なんの悪意も感じられない微笑で告げられた言葉に、思わずガクッと肩を落とす。 「……イアン様までそんな事言うんですか……」 「どうした? どこか気に入らないとこがあったか?」  予想とは違う反応に、イアン様は不思議そうに首を傾げている。  そんな痛い視線を浴びながら「そう言う訳じゃないんですけど」と半べそをかいている時、先程彼が入ってきた扉がバァンっ! と大きな音を立て開かれた。  何事かと入口を見る3人の視線の先には、見習い神父の1人がハァハァと息を切らしている。 「どうしたのですリツ。そのような荒い行い、天使様は良しとしません」 「御無礼をお許しください。あ、あの――あのジルレスター様の……」  息も絶え絶えにそう告げる彼の後ろから、ひとつの影が私達の前に姿を現した。 「アイラ・カイ・サディアス様」  黒い軍服をカッチリと着込み、輝く金髪を揺らす然程背の大きくない男が俺の名前を呼び、丁寧に頭を下げる。 「確か先程の……」  確か彼は、ジルレスターの真横に居た男ではなかったろうか。終始彼の傍を付いて歩く――側近かのような立ち振る舞いを思い出す。 「我が主、ジルレスター様が貴方をお呼びです。一緒に来て貰いますよ」  思いもよらない呼び出しに、思わず3人で顔を見合わせた。  

ともだちにシェアしよう!