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第3話 恋人契約

 金髪の青年――ヴィクターと名乗る男に連れてこられた先は、まさかの騎士団本部だった。  石造りの、重厚感ある大きな建物――その最上階である5階の一室、漆黒に金の細工が施されたドアの向こうで、(くだん)の男が俺を待ち構えていた。 「まぁ座れよ」  偉そうに背もたれに寄りかかっていた彼は立ち上がり、未だ入口で立ち止まっていた俺を「どうぞ」と中へ誘った。  ニッコリとの笑顔を見るや、忽ち俺の眉毛と口角はピクピクと痙攣を始める。 「あ、アンタ、騎士団長だったのかよぉぉぉ!?」 「俗物まみれのお前が、まさか――国の宝とされる聖人だったとはなァ」    崩れた顔面をそのままに、促されるまま黒い革張りのソファーに腰掛けて辺りを見回す。広い部屋の中は綺麗に整頓されており、清潔感すら漂っていた。  壁に掛けたれた幾つもの派手な剣や、その横に置かれた青光りする程の白い豪華な鎧は、彼が組織の権力者である事を示している様だった。  式典があったばかりだし、疑いようなんてないんだけど。それでも心のどこかで、間違いであって欲しいと思ったんだよ……  室内を横目で観察していると、ヴィクターが1杯の温かい紅茶を用意してくれていた。  熟した果実のようなエレガントな香りが立つ、目の前のティーカップに早速口を付けると、座り心地のよいソファーのが深く沈みこんだ。 「何か……御用でしょうか?」 「何って? 昨日の続きをしようかと」  まさかの、隣に腰掛けたジルレスターの長い腕が俺の腰へと回っている。  「ふっ、ふざけんなッ……恋人でも無いくせにそんなベタベタベタと」  彼の胸を押し、距離を取ろうとすれば腰に回された手にグッと力が入る。 「なら恋人になれよ、アイラ」  耳元に押し当てられた彼の唇が、まるで煮詰めた砂糖のような――それはそれは甘ったるい声でそう囁いた。 「――は? 何を言っておられるのでしょうか、ジルレスター様」  コイツは、何を言ってる?  正直空いた口が塞がらない。  出会って数刻で、恋人……だと??  脳を溶かすような激甘な声から逃げるよう顔を離し、ジトッと隣の顔を見上げる。  すると彼はフフンッと俺を見下ろしながら鼻で笑った。 「ジルでいい。散々そう呼んで甘えてきたろ」 「な、な、なんの話ですかねぇぇぇ!!?」  心当たりがありすぎて何も返せねぇわァァ!!  あぁ、本当にもう消してしまいたいあの日の記憶。黒歴史。 「ってか、いきなり恋人って」  うん、揶揄(からか)っているんだな?  「信用ならん」と書いた頬を、彼の大きな手が優しく撫でる。 「お前が俺好みで可愛いからだ」 「まぁ、それはそうだろうけどよ」 「否定しないのかよ」  当然の事を言われ、腕を組んで当然のように頷くと、頭上から「ふはっ」と吹き出す声が聞こえる。  「そんな事ないですわ」なんて、そこら辺の令嬢みたいな謙遜はしない。  何故なら俺も、俺の顔は可愛い天使だと思っているからだ。 「いやでも流石に……」  俺が可愛いという世界の共通認識は置いておいて――いきなり恋人になれって言われて「はい喜んでー」なんて言える訳ないだろ!!  幾ら相手がこの世の宝ほどの顔をお持ちであってもよ。  俺はそこまでチョロくない。  そんな俺の様子をじっと見ていた彼が「ふーん」と小さく唸る。そして耳のピアスがチャリッと音を立てると同時に、瞬く間に綺麗な顔面があの悪魔仕様の笑いへと変化していったのだ。   「……皆に敬愛される聖人様が、夜な夜な潰れかけのバーで酒に溺れながらクダ巻いてるって話、国民は知っているのか?」  片口角の上がった口許から吐き出された言葉に、意気込んでいた俺の肩がピクっと揺れる。 「そ、ソレハ……」 「献金が少ないだなんだと、愚痴を言う姿は?」 「ナンノハナシダロウナ」  宙を見つめ、とぼけ続ける俺に対する彼の口撃は止まる様子を見せない。  これは、不味い相手に弱みを握られてしまったのではなかろうか。  タラっと背中に一筋の汗が流れる。 「見ず知らずの男に注がれた酒をガブガブと飲み、酔い潰れ抱き着いて甘えるなんて事を人々が知ったら……」  ごめんなさい、お父様お母様エイベル。俺はこの悪魔を撃退する方法を知らない。  何故なら俺はナンチャッテ聖人なんだから。  いや、でも落ち着けよ俺。だからチョロくないってさっき言ったばかりだろう。  「ここで屈してはならない」と、余裕綽々な笑いが止まらない男を、じっと睨みつけた。  「まぁ、固く考えるなよ。そうだな……契約上くらいに思ってくれてもいい。俺としては恋人がいると言うテイが欲しいんだ」  そんな彼の言葉に少しだけ表情を緩めた俺は、不思議そうに首を傾げた。 「……偽恋人ってことか? なんでまた……ジャガイモ女にでも言い寄られているとか?」  全くもって理解が出来ないというのを察したのか、「……ジャガイモ?」と一人呟きながら彼は立ち上がり先程まで居た執務机に行ったかと思えば、大量の紙束を持ち帰った。 「こういう事だ」  紅茶カップの横に、これまでの人生で拝んだことがない程の紙束がドンッと置かれた。  どうにかバランスを保ってはいるが、少しでも振動を加えればすぐさま崩れ落ちてしまいそうな――そんな山積みの書類が俺の前に|聳《そび》え立つ。  「なにこれ。なにかの資料か? 凄い数だな……」  まじまじとそれを見つめる俺に、数枚の紙が差し出される 「俺が帰国し、即寄せられた各方面からの茶会の誘いだ」 「はぁ!? う、嘘だろ……」 「そう思うなら見てみろよ」  驚き震える手を伸ばし、その紙束の数枚を受け取り目を落とす。  てっきり書類だと思っていたそれは、綺麗に伸ばされた手紙だった。 「なになに……これめちゃくちゃ大富豪貴族のご令嬢じゃないか!? こっちは絶世の美女と有名な侯爵家のご令嬢――」  どれもこれも、聞いた事がある名前ばかり。  その全てから、あわよくばジルとどうにかなろうという下心が滲み出ている。  唖然としながらすっかりその手紙たちに見入っていると、パッと彼の手でそれらは取り上げられてしまった。  「あっ」と不満そうな声を上げる俺を横目に、ジルは本当に興味が無いのか、ポイッとテーブルの上にそれらを投げてしまった。 「正直、こんな物に行く程俺は暇じゃないし興味もない。そもそも女は好きじゃない。だからいっそ、恋人が居るという事にすれば手っ取り早いかと思ってな」  とんでもないひと言が途中で聞こえた気がしたが、俺は敢えて聞こえなかった事にした。 「モテ男も大変だな……」  手持ち無沙汰になった私は、再び香り高い紅茶を手に取る。  口を付け「はー」とひと息付いたのを見計らったのか隣に腰掛けたジルが、長い指を俺の顎に掛けクイッと自分の方へと向けた。 「さて、どうする?」  不味い、話題が戻ってきた。  別に簡単な話だ、5年前と同じようにNOを突きつければ良いだけのこと。  けれど今回――まさかの弱みを握られている。  あぁ……エイベルの忠告通り、大人しくしておけば良かったッ……!! 「大丈夫」だと高を括った俺が憎いッ!  ん……エイベル? 『……まぁ、目の前に、が現れたのは間違いありません……とだけ言っておきましょうかね』  唐突に、あの悪魔の言葉が脳裏に蘇る。  グッと唇を噛んだままの口が開いたかと思うと――俺は咄嗟にを口にした。    「ごっ、50でどうだ?」 「50?」  ぷるぷると震える拳を膝の上でギュッと握ったまま、ジルにそう告げる。  すると、目の前で悪魔の笑いを浮かべていた彼はふと、首を傾げた。 「ひと月50万ジニ。偽恋人として振舞った報酬としてくれるなら考えてやる」 「いいだろう。ついでに契約金として100万今日、この場で渡そうか」  いや、悩めよーー! 間髪入れずに返してくんなよーッ!! 「さも当然です」みたいな顔してんじゃないよォォ!  ジルはヴィクターに「用意しろ」と命じているが、当のヴィクターは開いた口が塞がらない様子。  そうだよな!? それが正常な反応だよなぁ!?  「は……? は、まじ……かよ」  どうしてか、言い出した張本人()がポカンと口を開けている。  対してジルは、と言うと――ヴィクターから受け取った札束を、なんの躊躇いもなくポンッと俺の膝の上へと置いた。  にっこりと、それはそれは嬉しそうな笑顔を添えて。 「は、はは……」と乾いた笑いを上げながら、完全にひよった手で置かれた札束を握る。  ほ、本当に150万ジニ……!!  パラパラと片手で捲ってみるも、確実にホンモノ。  それまでの震えはどこへやら。完全に俺の目は輝きで満ち溢れ始めた。 「受け取ったからには、途中解約は無しだ」  いつの間にか肩を抱かれていた俺は、甘い声でそう囁かれハッと意識を元に戻す。 「……ちなみに、それは月額契約更新とかで?」 「年間契約に決まってるだろう」 「――ッッ!!?? バカだろーーッ」  手の中の札をギュッと握り、反射的に声を上げた。 「なんなら永久契約にしてやろうか」  真顔でッ……この男はッ……何を言ってる……!? 「ふ、ふざけんなよ……誰がアンタとなんか……」   「というか、近い」と彼の胸を押すも、隆々とした胸板はビクともしない。  ぐぬぬ……と唇を噛む俺の前に、スっと長い指を携えた手が出された。 「お前が言い出した事だろ。嫌なら返せ」  「いや、そ……それは……」  唸る俺の目は泳ぐ。  確かに……言い出しっぺは俺だよ。俺が出した条件だ。  そしてこの札束を、俺の手が離そうとしないのも事実。  困ったように眉を下げ、視線を上げると――そこには大満足と顔に書いた男が、いた。  「交渉成立、だな」 「くッ……」  くそう……俺のバカ! バカッ……何受けてんだよぉ……  それ程までに金が欲しいか――欲しいよ。  乱れた心を落ち着けようと、テーブルに置かれたカップを手に取り、少し乱暴にグッと飲む。   『でもこんなチャンス、二度とないかもしれない』  そうだよな――バカ正直に聖人の仕事を続けたとて、得られる金はたかが知れてる。それは俺の5年間が身をもって証明してる、悲しいけど。  大きく溜息を吐きながら、手にした札束(大金)をギュッと抱き締めた。  そんな俺の寸劇を見ていたジルが「ふっ」とその男らしくて整った顔が、柔和な表情に変わる。  その優しげな瞳と視線が交われば――ドキッと俺の鼓動が高鳴った。  意地が悪そうで、性格終わってそうだけど……まぁ、本当の悪人って訳じゃないし、身元も保証されてる。それも最高峰の。  男だけど、驚くほどに綺麗だし――悪い話では無いのかもしれない。  俺がじっと見返している事に気が付いたジルは、ふわっと表情を緩める。  そして、あの暖かくて大きな手で、俺の頬を優しく撫でた。  ジルの手……この仕草、は……嫌いじゃないんだよな。  思わずのように擦り寄ると、彼の薄い唇から感嘆の吐息が零れた。 「本当に可愛らしい――ミアそっくりだ」  それまで高鳴っていた鼓動が、そのひと言で一瞬にしてスンっと遥か彼方へと消え去り――代わりに(こめかみ)がヒクヒクと痙攣を始める。 「は? ……誰だよそれ。想い人が居るなら尚更、偽の恋人なんて俺にも相手にも失礼だろうよ。ってか、さっさと想い伝えろよ、どうせ上手くいくだろその顔面なら」  不機嫌そうに顎に置かれたままの手を振り払うと、「あぁ」と小さく頷いた彼が、黒い軍服の内ポケットから1枚の写真を取り出し、俺に見せた。 「実家にいる愛猫のミアだ。どうだ、このクリっとした大きなルビー色の目、雪のような真っ白の毛並み、機嫌良く鳴いた時にグッと上がる口角がまた可愛らしい。肉球も綺麗なピンク色――それにミアは猫ではあるが非常の人懐っこくて……」  そこには上品の2文字がそれはそれは良く似合う長毛の猫が、ベッドの上で寛ぐ姿が写し出されていた。   彼が言うのと相違なく、大きなきゅるんきゅるんの目が特徴の非常に可愛らしい猫。 「ね、こ……」  思ってもいない単語に、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走る。 「目に入れても痛くない――とにかく俺はミアを、世界で一番愛している」  うっとりと写真を見つめるジルのご尊顔は、見た事無いほどにデレッデレに蕩けていた。  写真の中の頭をよしよしと撫でる姿は、多少引くものすらある。 「……アンタ、絶対今まで恋人居なかっただろ」  少し異常にも見えるその愛し方に、思わず心の声が漏れた。 「さぁな? 俺はミアがずっと恋人だ。なぁ、ミア」  また写真に向かって話し掛けてる――  こんなにもイケメンなのに、こんなにも拗らしてるなんて……一周まわって可哀想。 「頭が痛くなってきた」  文字通りその場で頭を抱えると、その様子をジルはクスクスと声を上げながら見つめている。 「お前だってミアと同じくらいに可愛いぞ、アイラ。俺の恋人になったからには全身全霊、全力で愛してやる」 「は、はぁ? 何だよいきなり。いいよ俺の事は」  いや比較対象――猫って。  いや、そりゃ猫は可愛いし俺も好きだけれども。  それ迄、大切そうに握っていた写真を胸ポケットに収めたジルが「うーん」と唸り声を上げる俺の頭をポンポンっと撫でた。 「愛してるぞ、アイラ」  その言葉と共に、俺の身体はエキゾチックな香りに包まれる。  背中に回った逞しい腕、密着した身体――それらの何と暖かい事か。  まって、成り行きで今しがた恋人契約結んだばかりだろ、俺たち!?  距離の詰め方おかしい――というか、気持ち入るの早すぎないか? テイが欲しいだけって言ってたよな?? 「ま、待てよ。俺、別にジルのこと、本当に好きって訳じゃないんだから、そんなの言われても……」  慌てて首を大きく横に振り、おずおずと彼の顔を見上げる。  そこにあるのは、相も変わらずの甘ったるい顔。  アワアワと目を白黒させている俺の背中を撫でたジルの身体が(ようや)く、離れたかと思えば――熱を持った頬に、何か生暖かい物が触れ、それが「ちゅ」と音を立てる。 「よろしくな、愛しいアイラよ」 「はぁぁッッ!? ふ、ふざけるなぁぁぁあ!!!」  キスされた頬を手で押えながら、沸騰した顔で彼を睨みつけると、彼は「ハハハッ」と声を上げて笑っている。  もしかしなくても俺は……とんでもない契約を結んでしまったのではなかろうか!!??

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