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第4話 恋人、とは
俺の人生、本当に波乱万丈を極めていると常々思う。
「すごいじゃないですか! 既に150万ジニを貢がれ、更に毎月50万……破格の契約ですよ、それ」
「はは……ははは……」
もう聖職者のやる事ではないんよ。
翌日、夕刻。
いつも通りの業務を終え、控え室でソファーに横たわる俺。
その頬はげっそりと痩せ、『天使』とは程遠いものとなっていた。
「ジルレスター様の従者に連れて行かれた時はどうなる事かと思いましたが――まさか恋人になって帰ってくるなんて、ねぇ?」
「……どこが心配した顔なんだよ……ってか、恋人じゃない、偽物だって言ってんだろッ!!」
頬を冷たい革に擦り付けながら、ニコニコとどこか胡散臭い笑みを浮かべたエイベルをジトっと睨みつける。
「しかし、今日の告解は祝福の嵐でしたねぇ」
ふわっと、気持ちの良い夕風が俺の頬を撫でた。
きっとエイベルが、換気にとでも窓を開けたのだろう。
遠くからは、子供たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。近くの公園で遊んでいるのだろうか。
無邪気な声――今日、教会に来てくれた皆も、あんな澄んだ声で嬉しそうに祝福してくれて……
『おめでとう、アイラ様。素敵なお相手で――ほんとうによかったねぇ。私まで嬉しくなるよ』
俺と同い年くらいの孫を事故で亡くしたニナばあちゃん。
『あの子と話してるみたいで嬉しいんだ』なんて、よく俺を訪ねて来てくれていた。
今日は見たことないくらい、目を輝かせて――
くしゃっとした笑顔を思い出すたびに、胸がズキっと痛む。
「俺は罪悪感でひしゃげそうだった……」
『これはただの契約で。お金もらって恋人のふりしてるだけなんですよ』なんて、当たり前だけど、聖人がそんなこと……口が裂けても言えるはずがない。
――でも俺には……金が必要なんだ。
グッと唇を噛んだまま、ソファーに額を擦り付ける。するとその後頭部を、暖かなものがふわっと触れた。
「ならば本当の恋人になってしまえば宜しいのでは? アイラ様ちょうど、執拗いくらいに恋人欲しいって嘆いてたじゃないですか」
「それはァ……そうだけど、やっぱ違うだろ!! 恋人ってこう、心から愛し合った2人が……」
「まずは出逢わなければ、そんな未来はやって来ませんよ?」
それ以上返す言葉が見当たらず……うぐっと唸り口をつぐむ。
『ヨシヨシ』と頭を撫でられながら、今日のことを思い返していたとき――俺は、あることに気が付いてしまった。
あれ……そもそもさ、どうして皆……その事 知ってるんだよォォ⁉
「街中その噂で持ち切りですよ? 遂にあのジルレスター様に恋人が――って」
「はぁぁぁ!?」
がばっと起き上がり、まるで俺の心を読んだかのようなセリフを吐くエイベルへ、真っ青な顔を向ける。
え、何。本当に皆知ってるって事?
開いた口が塞がらない。
「なんなら見習い含めて神父全員知ってますよ。――近所の商店のおばちゃんまでね」
「なッ……誰がそんな話を……」
この事を知ってる人間は限られてる。
エイベルは今朝、俺がこの口で告げたし、そもそも彼の口がそんなに軽い筈ない。
と、すれば――犯人は1人しか居ない。
愉悦の笑いを浮かべる、黒髪美丈夫の顔が脳裏に過ぎる。
やられたッ……外堀どころか、全方位埋められたッ――!!
俺の顔がみるみるうちに絶望へと染まってゆく。
「気分転換でもしてくる」
特大の溜息と共に、ヨレヨレと着替えを掛けたクローゼットへ向かう。
なんだかなあ……ここ数日で溜息の回数が一気に増えた気がする。
「いつものバーですか? 飲み過ぎ注意ですよ」
「分かってる。この前痛い目見たんだし……今日は程々にする」
それでも酒 でも飲まないと、やってられっか。
黒い修道服から、白いシャツへと袖を通す。
『どうやってジルレスター様を射止めたんだい?』
祝福の中、散々と言われた台詞が頭の中に蘇り、思わず乱暴に前のボタンを締める。
「知らねぇよ……そもそも偽物、だって言ってんだろ」
小さくそう呟くと、身なりを整える為にドレッサーの前へと足を運ぶ。
カーテンが開いたままになった窓辺から目を細める程の夕日が差し込み、ジッと鏡を見つめる俺を包んだ。
ふと――橙の光に染まった頬を、そっと撫でてみる。
昨日、頬 に彼の唇が、触れた。
その瞬間、トクッ、と微かに鼓動が高なった気がして――思わず首を大きく横に振る。
「俺の事、別に好きでも無い癖に」
そう、小さく吐き捨てながら鏡に背を向け、部屋を後にした。
◇◇◇
「いらっしゃいアイラ! おめでとう、遂に恋人が出来たんだって!?」
「こんな……ところでも……」
馴染みのバーの扉を開けた瞬間、ニコニコ顔のマスターに掛けられた言葉に、思わずその場に崩れ落ちた。
「なんで知ってんだよ、マスターまで」
「えー? 寧ろこのラキシア王国で知らない人のがいなんじゃないの?」
黒いカウンターに着くやいなや、天を仰ぎ「はぁ」と大きく息を吐く。
「――左様でございますか」
今日はどこに行ってもその話題――本当に逃げ場が無い。
年季の入ったテーブルに項垂れる俺へ、スっと麦酒の注がれたグラスが差し出された。
――黄金比率の泡が誘っているッ!
両目をカッと見開き、光の速さで体勢を立て直した俺は、遠慮なく喉を鳴らし目の前の麦酒を一気に体内へと流し込む。
脳まで突き抜ける爽快感――クッとくるキレと苦味をクリーミーな泡の優しさが包み解してくれる。
はぁッ……最っ高。この瞬間の為だけに生きてるんだよなぁ。
「しかもあのジルと。ンもぉ、羨ましいわねっ」
「マスター……今日は一段と乙女に磨きがかかってないか?」
半分程減ったグラスをドンッとテーブルに置き、目の前で長い紫髪を揺らす人物に目を向ける。
ベストからはち切れんばかりの胸板、白シャツは悲鳴が聞こえて来そうな程に縫い目が伸びている。
人1人、余裕で捻りつぶせそうな太い腕でかなり厚めの化粧が施された頬を撫で、逞しいお姉様は紫色の吐息を吐いた。
「だって、楽しいじゃない? 恋バナってさぁ」
「当事者になると、こんなにも疲れるものになるなんて思わなかったわ」
真っ赤に塗られた唇が、ルンッなんて弾むのを見ながら、残った麦酒に口を付ける。
そりゃ愛し合う2人、超絶ラブラブ期なの俺の惚気を聞けーッ!! 状態なら楽しいだろう。
でも俺たちはそうではない――あくまで、金の関係。
ゴクッと喉を鳴らし、麦酒を奥へと流し込む。
「相変わらず豪快な飲みっぷりだな」
突如として背後から、ここ数日で何度も 聞いたあの色っぽい低音声が聞こえれば、それ迄気持ちよく喉を通過していた麦酒が、急に方向を変える。
「……ッ!? っ、ゲホッ、ごホッ……」
「いらっしゃい時の人」
口を覆い、嘔吐 くかの如く噎 せる俺の背中を撫でながら、ジル はすぐ隣のイスへと腰掛けた。
「時? なんだそれは。まぁいいサツキ、ウイスキーを頼む。そしてお前は大丈夫か」
尚も背中を摩り続ける彼に「大丈夫」を伝えようと片手を挙げる。
涙が滲む顔を起こし、聞いた事のない「サツキ」なる人物が誰なのかと周囲を見回してみるも、シーリングファンが回り、シンプルなウォールライトの灯りだけの薄暗い店内に居るのは3人だけ。
――じゃぁサツキって、まさか?
「ウイスキーね。しかし、ジルが酒を飲める日が来るなんてねぇ。あーんな小さくて毛も生え無いような子供だったのに……」
「アンタの中の俺は、一体幾つで止まってるんだ」
カウンター越しにロックグラスを受け取る彼と、「サツキ」と呼ばれた人物を交互に目で追う。
「げほっ、けほ……あの、2人って、知り合いなのか?」
どうにか呼吸を整えそう尋ねると「本当に平気か?」とそれまで背中を摩っていた大きな手が上へと動き、ふわっとした髪を優しく撫でる。
「あ? あぁ、サツキは俺の師匠だよ」
「実はネイサン家お抱えの武術講師だったのよ、ア・タ・シ」
「バーを始めたという話は聞いていた。帰国したらいの一番に来るよう言われていたからな――だから式典の前日にここへ来たんだ」
バーに通って早4年――まさかの新発見に空いた口が塞がらない。
確かに、マスターの身体付きは素晴らしい。退役軍人と言われても納得しかない程に――ただその浮くほどの厚化粧が全てを台無しにしているのだが。
パッとマスターと目が合うと、自まつ毛がカチカチになるほどマスカラをベッタリと塗ったつぶらな瞳が「そんなに見ると照れるじゃない」なんて言いたげにパチパチとウインクをしている。
ジルとマスターが知り合い――なら、初めて彼に会った日の違和感の謎が解ける。
「なるほど」と声を上げ、俺は胸の前で両手をパンッと合わせた。
「だからジルはあの日ここへ飲みに来てたのか!? 知る人ぞ知るこんな裏路地の薄汚れた庶民バーに公爵家の子息が来るなんておかしいと思ったんだよなぁ」
「アンタ、さり気なく失礼ね」
「忌憚のない意見です、是非ご参考に」
カウンター越しに言い合う俺たちの横で、「ぷッ」と吹き出す声が聞こえる。
「なに笑ってんだよ」
ジトっとそちらを睨むと、彼は俺の肩に腕を回しながら「くっくっく」と息を殺して笑っていた。
「いや、相変わらず面白いなと思ってな」
「バカにしてる?」
「してないしてない。本当、見ていて飽きないな」
その瞬間、俺の心臓がドキッと音を鳴らす。
だって、そんな事を言う彼の顔が――見た事ないほど優しくて、綺麗な微笑みだったから。
「……ッ」
「可愛いらしくて面白いなんて、最高だろ」
それまで優しく頭を撫でていた指が、スルッと髪を梳く――そんな些細な動きを感じた肌が、ビクッと大きく揺れる。
顔が熱い……アルコールが回ったか。いやまだ1杯しか飲んでないのにそんな訳。
チラッと、横目で彼の様子を伺うと、まだそこには285点満点の美しい笑顔。
思わずバッと目線を逸らし、白シャツの裾をクシャッと握る。
丁度、左胸へと触れた手に――バクバクと恐ろしい程に鼓動が脈打つのが伝わる。
か、顔がいいんだ仕方ないだろ?
「……ッッ、み、ミアちゃんだっけ? に会えない寂しさを俺で埋めようとしてないか?」
「それは……ノーコメントだな」
相も変わらずご機嫌に笑う彼は、今度はツンツンと俺の頬を撫でて遊んでいる。
「せめて否定しろよ」
赤い顔でそうツッこむ俺の耳に、今度は生暖かい息が触れる。
気付けば彼のご尊顔が――その唇が、今にも触れてしまいそうな程の至近距離にある。
「冗談だ。お前が可愛くて仕方ないから、つい触れてしまうんだよ」
止めろぉ、甘い低音ボイスで囁くなぁ。
なんで態々 耳元で言うんだぉ。
「あーら……檸檬切らしちゃったみたーい。ちょっとお2人お留守番していてねぇ? 一応人来ないように、鍵も掛けておくわぁ」
察しのいいマスターはそれはそれは軽い足取りで外へと出掛けてしまった。
パタン、と黒い扉が閉じ、静かなこの空間には俺と稀代の色男 ――2人だけが残された。
隣では、カランッと氷で音色を奏でながら静かに飴色の液体を飲む彼の姿。
「今日も仕事、忙しかったのか?」
「あ、あぁ……まぁ、それなりに」
つられてまだ少し残っていた麦酒に、口をつける。
あんなに美味しかったはずなのに――何故かなんの味も感じない。
ジジっと鳴る間接照明の音が、やけに大きく聞こえる。
「今日もがんばったお前に、ご褒美をやろうか」
静寂を切り裂いたのは、彼の――砂糖みたいに甘い声だった。
「ご褒美?」と顔を彼の方に向けた瞬間――俺の頬に、彼のひんやりとした指先が触れた。
その指が、ツゥっと熱い肌を這い――いつの間にか、ぽってりとした下唇をフニっと押す。
目の前のピアスが大きく揺れたかと思えば、冷たい唇が俺の呼吸を奪った。
――こ、れ……
重なり合う唇が、じんわりとした熱を帯びる。
――キス、してる?
目を見開く俺は、その場から微動だに出来ない。
柔らかくて、弾力のある暖かい何かが唇に触れる感触、驚くほど間近に迫った彼の長い睫毛、触れ合う肌。
「ちゅっ」と音を立て、熱源が離れ――そこに残るのはただ呆然とする俺の顔。
驚き揺れる紅い瞳が次に捉えたのは、ペロッと舌先で己の唇を舐める、色濃いムスクが漂う彼の姿。
「……ッッ!! ちょ、ちょっとなにしてッ!」
全身が火照る。
何故って、これは紛うことなきファーストキス。
ドクドクドクと凄まじい心音が鼓膜まで届き、心が驚きの悲鳴を上げる。
触れるだけで火傷しそうな程に発熱した俺の顔を、同じくらい熱い彼の指がゆっくりと触れた。
「恋人とキス――なんて、普通の事なんだろう?」
「お、俺たちは偽物……‼」
目を白黒させパクパクと口を動かすも、彼は悪びれる様子なんて一つも見せない。
それどころか、いまだ色っぽく笑ったまま。
「もっともっと、甘やかしてやろうか?」
「へ……?」
カラカラに乾いた口内で、どうにか言葉を返す。
頭の中はもう、真っ白で――彼が言っていることを理解は出来ていない。
「お前が蕩けて、どうしようも無くなるほどに」
ギラッと、目の前の碧眼が、欲を帯びた物へと変わる。
「いったい何、を……」
首を傾げる俺の顔に再び、妖艶でこの世の全ての美を煮詰めたような顔が迫ってくる。
同時に――既に分かりやすくカタチを変えた下腹部を、彼の大きな手がスルリと撫でた。
「……場所を変えような。せっかく恋人になったんだ。互いに天にも昇る気持ちになろうか」
「偽物だって――!! ……あっ、ッ……ま、さ、か……?」
彼の長い指は、ゆるりと下腹部を撫で続けている。
恋愛弱者の俺にでもわかる。この行為は……ま、さ、か。
「……既に今月分の50万ジニ合わせて150万、受け取ったよな?」
「はッ! な、なら……えっとこれは別料金になりますッ!!」
耳元でそんなことを言われ、反射でそんな言葉を返す。
ば、ばか俺ッ……何言ってんだよ……こんなこと言ってないで拒否しないと……
「いいだろう。言い値を出してやる」
ほらぁ……即答されるに決まってる。
言葉と共に彼の吐息が耳に掛かると、ビクッと大きく肩が揺れる。
どうしよう、どうしてこんなに心臓はち切れそうなんだよ。顔もあっつい……
そもそもなんで俺のアレはこんな事になってるんだ!?
チラッと視線を下に落とした後に、真横にある男へと目線を向ける。
全部ジルの……この目のせい……
獣が、獲物を捉えて逃さない、みたいな。そんな強い金の瞳が、俺を見てる。
その思えば思うほど、ズクっと下腹部に熱が集約されていくのがわかる。
あてられてしまった。この男が纏う、淫欲の空気に。
「俺と一緒に堕ちよう……なぁ、天使」
そうして重なる熱い唇を――拒絶する事なんて、出来なかった。
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