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第1話 キスマーク

 食べたいなぁって思うけれど、何を食べてもこれじゃない感がある時がある。  そういう時って、みんなどうしているのだろう。  これ、っていうのが見つかるまでなんでも食べ続ける?  諦める?  僕は、一度も、その食べたいものを食べられたことがないんだ。  ずっと、今も――。 「いらっしゃいませ」  顔を上げて、あ、ってなった。  平日の日中の薬局ほどのどかな場所はないと思う。人もほとんど来なくて、とくに今日みたいに日差しがたっぷりあるような青天は、もう桜も散ってしまったけれど、ピクニックしたいなって思うくらい。  だから、そんな時間帯によく来る人って、顔を覚えてしまう。  向こうは僕のことなんてこれっぽっちも覚えてないし知らないだろうけれど。案外覚えてしまうんだ。お店にいると、常連さんの顔って。食料品も売ってる薬局だからさ。  毎回同じパンを買う学生。  毎回ここでビールとサラミを買っていくサラリーマン。  それから――。 「レジ袋はつけますか?」 「あ、お願いします」  毎回、整髪料を買っていくアッシュグレーの髪色が、薬局ではとても目立つこの人も。  あ、来たって思った。  今日は半袖なんだって。  毎日、ではないけれど、けっこう頻繁に来るかな。二週間に一回くらい。  すごいイケメン。商品棚から少しだけ、そのアッシュグレーの頭が見えるくらいの長身。無骨な指輪をいつもしていて。服もすごくオシャレ。  そして、何をしてる人なのかちっとも想像がつかない。だいたいわかるでしょ? スーツ着ればサラリーマンだし、作業着着てれば、近くでやってる水道管の工事の人だし、なんとなくわかるけれど。彼はちっとも想像がつかない。高そうな服を着てる、もちろん指輪も。けれど、夜の仕事って感じはしない。にしては平日の昼間によく現われる。 「ありがとうございました」  謎の人。その彼はいつもヘアワックスとか、を買っていく。けっこうな頻度で。  そこもとても謎な人。  美容師? って思ったけど、美容師が市販のワックス買うものなのかな。 「こんにちは」  その謎の人が店を出ていくところを目で追っていたら、常連のおばあちゃんがカウンターにやってきた。 「お願いしてもいいからしら」 「はい」  処方箋を受け取って、レジカウンターを離れ、調剤室へと向かう。  もう覚えちゃってるけど、彼女が処方されてる薬を確かめてから、手際良くそれらを揃えていく。 「やっぱり病院のお薬はよく効くのよねぇ」  七十くらい、かな。歳は伺ったことはないけれど、よくここの薬局を使ってくれるから近所なんだろうおばあちゃんがにっこりと笑った。 「そうですね。でも少しでも薬なしで過ごせるように、普段から運動も心がけないと」 「わかってるんだけどねぇ。でも、ここに来たら、サキちゃんとおしゃべりできるから、つい、ね?」  彼女は柔らかく笑ってから、ゆっくり、ゆっくり、カウンターに手を置いた。 「サキちゃんとおしゃべりできると元気になるのよ。美形って徳ねぇ」 「おばあちゃん、眼科も診てもらった方がいいかもしれないですよ?」 「ふふふ、謙遜しなくていいの」  僕は当たり障りのないように笑顔で頷きながら、他愛のないおしゃべりを少しだけする。平日の昼間はそんなに混んでないから。  彼女はとても楽しそうに、たまに遊びに来てくれる孫のこと、昨日食べた魚の煮付けがとても美味しかったことを話していた。ほんのちょっとだけだけれど、彼女の話に耳を傾けると、満足そうにしている。  そして、話がひと段落したところで、腰痛の痛み止めの注意点を伝え、薬を袋へ入れて手渡した。 「お大事にしてくださいね」  お辞儀をして。 「っ」  少しだけ小さく痛んだ腰に、こっちも痛み止め、処方してもらいたいかも。なんてことを、内心、思いながら。 「あ、葉山(はやま)さーん、そこの伝票もらえるかな?」 「あ、はい」  けれど、さっき、彼女が言っていたように、僕も「つい、ね」なんて言い分けをして、腰を少し庇いながら、カウンターに置いてあった伝票を奥の調剤室へと持って行った。  腰、痛かったんじゃなかったっけ? 自分。 「あっ、アッんっ」  一昨日の相手はなんだか、アクロバットな人だった。サーカスでお仕事でもしているんだろうかってくらい。  したこともない体位ばかりで。プラス体力すごくてヘトヘトになったし、一回が長くて、激しすぎて、腰が痛くなった。  それで僕も懲りれば良いのに。  どうして、こうまた、しちゃうんだろう。 「あ、イクイクっ、そこ、だめっ、イッちゃうっ」 「っっ、っ」  バックで激しくされながら甘い甘い声を上げる。  今夜の相手が喉奥で息を詰まらせたのを背後で感じた瞬間、グンって奥を突かれて仰け反った。ぎゅっときつく、この人がたまらないってなるくらいに、ぎゅっとそこを締めると、手を後ろに伸ばした。 「あ、いいっ」  その瞬間、相手がグンってもっと腰を突き入れてくれた。 「アッ、ンっ」  気持ちいい。 「あっっっっっ」  そして、そのまま――。  明日、早番なのに。  帰ったらすぐに寝ないと。  セックス後、カラカラになった喉をミネラルウオーターで潤してから、シャワールームへ向かった。 「はぁ……」  さっきまで熱っていた身体がようやく落ち着いて来た。今日の人、けっこう上手だったなぁ。  あそこのバー、お酒も美味しかった。 「え……」  なんて思ったけど、やっぱ、なし、だ。  気持ち良かったけど。 「……」  今夜の人はダメだった。  服を着れば見えないところだけど、でも、そういう問題じゃないんだ。  キスマークをつけるとか。  ルール、なんてないけど、セックスの注意事項です、なんて話してないけど、でも、好きじゃない。  キスマークは、好きじゃない。 「あ、もう、シャワー終わっちゃった? 泊まるだろ?」  だってこれ、いらないもの。  だから途端に、「泊まるだろ?」なんて、言われても、嫌な気分にしかならなくなる。まだ普通にシャワーを浴びてるところなのに、こんな一人分しかないようなユニットバスに割り込んでこられるのも、嫌な気持ちになる。 「泊まらない」 「そ? じゃあ、連絡先。また会おうよ。こんなにイカされたの初めてだった」  好きじゃない。 「あそこの店、偶然来たんだっけ? 住んでるとこ近い? 今度さ」  脱いだ時とはまるで逆の気持ちで、ソファに投げた服を鷲掴みにするように拾って、着た。  少し、シャワーの湯気にクセが出てきた髪も気に食わなくて、眉間に皺を寄せながら。 「ホテル代、置いてく」 「は?」  ホテルの一室を、まるで放り出すように外に出た。  外はまだタクシーがこれから稼ごうと元気にハザードランプを点滅させてる。こんな時間に明日の仕事は大丈夫なんだろうか、と心配になるくらい、スーツ姿のサラリーマンも、大学生らしき団体も楽しそうにフラフラしていた。  そのうちの一人が、「さー、もう一軒行くぞー」なんて叫んでる。  まだ飲み足りない、なんて、千鳥足で言っている。  それを横目で見ながら通り過ぎて、周りの誰もが楽しそうに酔っ払ってる中、酔いも醒めちゃった僕だけ、急足で駅へと向かった。

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