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第15話 魔法

 なんだかまた急展開だ。  柴くんといると、普通、なんて言葉はこの世にないのかもしれないと思えてくる。それと同時にどんなものも自由なんだと言われている気がする。 「久しぶりだから、ミスったらごめんね」 「え?」 「っぷ、あはは、そんなに狼狽えないでよ。そこまで大きくバッサリ切っちゃったりはしない、はず」 「は……ず……」  また笑って、柴くんがハサミを二つ、バスルームの浴槽の蓋の上に置いた。  前に、美容師さんの使うハサミはとても高いと聞いたことがある。それこそ、ただのハサミとは雲泥の違いなのだろう。目玉が飛び出るほど高かったような記憶がある。 「……普段は切らない?」 「あー……うん」  そっか。ヘアスタイリストだもの、そうかもしれない。メイクと、ヘアアレンジをするイメージだ。 「ここ座って」 「はい」  なるほど。浴槽の椅子に座ると、中途半端に低いと思った。浴槽の縁に腰をかけるように僕が座ると、柴くんの腰元と僕の頭の高さが同じくらいの位置になる。 「ちょっと低いけど」  あ、そうなんだ。これでもちょっと低いのか。  それならと背筋をピンといっぱいに伸ばしてみたら柴くんの希望している高さになるのだろうかとやってみると、、背後で柴くんがクスッと笑って、ありがとうと呟いてくれた。 「じゃあ、切り始めるね」 「はい。お願いします」  ふぅ、と柴くんが息を大きく吐いた。 「……」  不思議だ。 「? 少し心配?」 「ううん。全然」  ちっとも心配なんかしてない。 「楽しみ、です」 「あは。ありがとー、じゃあ、頑張らないと」  そう言って柴くんが穏やかに笑った。  心配はしてなくて、ただ、不思議なんだ。  普段、髪を切ってもらう時は鏡が目の前にある。どんなふうに切ってもらっているのか、僕は逐一見ていることができる。  けれど、今、僕の目の前には淡いブルーグレーのタイルがあるだけ。浴槽に腰掛けているから。何も、自分が今どんなふうにカットしてもらっているのか、その様子を窺い知るすべがない。  シャキ、シャキ、って、ハサミが髪を切っていく度に、耳に心地良い音がする。  それから、柴くんの指が僕の髪をすいてくれるのも、心地良い。 「葉山さんの髪ってさ、柔らかくて綺麗だよね」 「え? そんなの初めて言われた」 「そ?」  そうだよ。コンプレックスでこそあったけれど。  くせっ毛が学生の頃は嫌で嫌で。ストレートでサラサラな人を見ると羨ましくて仕方なかった。  彼も、そうだった。  僕がストレートにした時、さらさらでいい感じって褒めてた。  嬉しくなったのを覚えてる。彼が髪に触れる度、指で髪をすいてくれる度にすごく、嬉しくて。 「くせっ毛って、艶出にくいんだ。うねってる分光がストレートの人みたいに当たらないから、艶があってもわかりにくい」 「……」 「だから、サラサラストレートの人の方が髪綺麗って勘違いする人多いけど、そんなことなくて、実際に葉山さんの髪、すごい綺麗だし。矯正してたから毛先は傷んでるけど。あ、その部分切るね」  シャキリ、シャキリ。  耳が気持ちいい。 「見た目の長さはあんまり変わらないよ」 「……うん」  ちょっと心地良過ぎて眠くなるくらい。 「カットの仕方でさ、クセはどうにでも調節できる。葉山さんはあんまりクセがきつく出るの好きじゃないんだよね?」 「ぁ、うん」 「じゃあ、ゆるーくくせが出るくらいにしとく」  そんなことができるの? 不思議に思ってると、僕の髪の毛から、考えてることが伝わったのだろうか。 「できるよ。技術があればね」 「すごい」 「ありがと」  シャキ、シャキ。  髪の重さはどのくらいあるのだろう。柴くんのハサミがカットしていく音が聞こえる度に、気持ちが軽くなって、ふわふわと良い気分になってくる。  なんというか。  ドキドキ、する。  だって、なんだか。  鏡もなく、今の自分の様子を見ることもできなくて。  まるで、それは全てを柴くんに委ねているみたいだ。なんだかとても今、僕は無防備で、君に丸ごと預けてしまっているようで。 「素髪だと、ゆるーく癖が出る感じ。アレンジ材使ったら、もう少しクセが出て、パーマっぽくなるよ」 「そんなことも?」  全部委ねて、全部君に預けてる。  けれどすごくすごく安心感があって、眠くなってしまいそうなくらいに心地いい。なのに、眠くなんてなっていられないほどドキドキする。 「いくらでも自由にアレンジできるよ。カットで。もう少しで終わるからね」  え、もう?  そう思ってしまった。 「細いところに座ってて、お尻痛いでしょ」 「……ううん」  そんなこと、ちっともない。それどころか、僕は。 「……大丈夫」  もう少しこうしていたい、なんて思ったんだ。もう少し、柴くんにこうして髪に触っていて欲しいって。 「……はい。おっけー。このまま髪流すでしょ?」 「あ、うん」 「待ってね。確認だけさせて」 「?」  わ。顔が、近い。  ドキドキして、思わず俯いてしまった。背筋を伸ばして、柴くんが切りやすいようにと真っ直ぐ前だけを見ていたからちっとも下を見ていなかった。パラパラと髪が散らばっていて、こんなにたくさん切ったのかと驚くほど。すごくあっという間だった。 「……うん。大丈夫。めっちゃいい感じに切れた。上出来。さすが、俺」 「っぷ、ふふ、ベタ褒め」 「ねー、自画自賛」  軽い軽い。ふわふわだ。 「じゃあ、俺、出るね」 「あ、うんっ、あのっ、ありがとうっ!」  きっとこれはとてもすごいことなのだろう。プロの、しかも、多分、とても腕の良いプロの人に切ってもらうだなんて。 「……こちらこそ、ありがと。切らせてくれて」  とんでもないよ。全然、お礼なんて、けれど、ドキドキがすごくて言葉が出なかった。  柴くんが、深呼吸をして、満足そうに笑ってたから。僕の髪を、ずっと嫌いだった、イヤだったくせっ毛を見て、たくさん嬉しそうに笑ってくれたから。  ドキドキして、言葉が出てこなかった。 「わ……すごい」  これ、僕? 「わぁ……」  すごい。  すごいすごい。 「あ、あのっ、柴くん!」 「? あ、出た? どう?」 「なんか、すごい!」  かっこいいんだ  くせっ毛が素敵なんだ。 「っぷ、あははは、ありがと」  まるで自分じゃないみたいだ。  けれど、確かにこのくせっ毛は生まれつきでイヤでイヤで仕方なかった、僕の、髪。 「こちらこそっ! ありがとう!」  イヤでイヤで仕方なかったはずなのに、今、ちょっと自分のくせっ毛が好きになったんだ。

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