79 / 79

第79話 恋というお薬

 こんな格好するんだ、って思った。  家でも、今にも外に出かけられそうな服装をしていたから。よく、お客様が突然やってくるというか、家と仕事の境目がないウチだったから。父も、さすがにスーツは着ていなかったけれど、どこにいても、誰に見られても、いつだって恥ずかしくないように、と思っていた人だったから。  その考えを丸ごとコピーして頭の中にびっしりと貼り付けているような姉がジーンズにTシャツ姿。キャップを被って、なんて、藤野さんに「不審者」がいると指摘されるまで気がつかなかった。もしもすれ違っても、 絶対に姉だとは思いもしなかった。 「あ、の」 「一応、心配してるのよっ」  どうかしたの? と訊こうとした。  それを遮るように、姉が声をひっくり返しながら、そう言った。 「ほ、ほら、なんか、あの、柴壱都って人、本当に恋人なんでしょう?」 「……」 「貴方、自分はゲイ……って、言っておきながら、ずっと特定の人を作らなかったじゃない。あの、宇野の後、ずっと」 「……」 「最低の男でしょう。だから、その、きっとよっぽど傷ついたんだと思ったのよ。だから言ってるの。やめなさいって。そうちゃんとしている男なんていないのよ。お父さんのように真面目に働いて、仕事、会社と家族を大事に、そんな男ばかりじゃない。お父さんが稀なの。だから言ってるのに、貴方はちっとも聞かない。男運、ないんだわと思ったわ。だから、心配して興信所に調べさせて、そしたら、やっぱりそうだった。大体の男と一緒よ。女好きって。最低じゃない。そんなの絶対に騙されてるんだわって思ったの。ほぼ絶縁状態というか、貴方、本当に自立してるから、うちの会社で働いてるわけでもないし、ただの薬局の薬剤師なんて、給料、たかが知れてるわ。でも、家が家だから、財産狙われたりとかしてるんでしょう? 家に戻れば楽をさせてあげられるのに。苦労なんてしなくて済むのに」  僕は、少し驚いた。 「っふふ」 「! 何笑ってるの。私は貴方のことを心配してるのよ」  だって、姉さんがそんなことを思っていたなんて、これっぽっちも知らなかったから。僕はずっと、ゲイである僕があの家で異質と思っていた。家族の中の異物って思ってた。 「あの、ありがとう。姉さん」 「!」 「大丈夫、です」  けれど、僕は胸の内を姉さん、父さん、母さんに話したことはなかった。 「壱都くんは本当に優しいよ。大事にしてくれてます」 「……」  僕は、男の人が好きなんですと、自棄になったりせずに、ちゃんと丁寧に言葉にしたことはなかった。丁寧に、真摯に伝えてないのだから。 「確かに、女性が恋愛対象の人だったけど、でも、すごく、僕のことを想ってくれてます」 「……」 「ありがとう」  ちゃんと伝わるわけがない。ちゃんと、わかってもらえるわけが。 「心配してくれて。でも大丈夫。あの、この髪型、素敵じゃない?」 「髪型? まぁ、そうね貴方の癖っ毛がちょうどいい感じに……」 「壱都くんが切ってくれたんだ。素敵でしょう?」 「……」  なかったんだ。  そっか。  そうなんだぁ。 「あ! 帰ってきた! 葉山さんっ、葉山さんっ、どうでした? 大丈夫でした? 変質者でした?」  そうだったんだぁって、すごく気持ちが柔らかくなった。 「通報しますっ?」 「あ、平気っ、あの、ふふ、平気だよ」 「?」  藤野さんが不思議そうな顔をしてる。 「大丈夫。その、なんていうか、大丈夫だから」 「…………そうなんですぅ?」 「うん」 「葉山さんのストーカー、とかじゃないですぅ?」 「えぇ?」 「葉山さん、素敵なんで」 「は、はい?」 「だって今日、ストーカーされそうなスタッフって言ったら、葉山さんくらいですよ」  それは、あの、他のスタッフに怒られるよ。 「美人でー」  美人? 僕が? 「優しくてー」  優しく……でも、うん、優しい人ではいたいけれど。 「お客さんを虜にしちゃうような人でー」 「え?」  何それ。 「アッシュグレーの髪色の人、葉山さんのファンで、今、恋人に昇格したじゃないですか」 「! え? えぇ? あの、えっと」  ちょ。え? それ、なんで。 「いやいや、知ってますよ。人間観察は接客業の基本ですからっ。恋人ですよね?」 「!」 「って、やばい! そろそろ、品出ししてきますっ」  え、えぇ。 「…………バレて」  え、えぇぇぇ。 「へぇ、よかった。認知されてた」 「に、認知って」  何を呑気に。あの、僕、隠すというか、知られてるだなんて思ってなかったのに。けれど、壱都くんは飄々と、というかご機嫌な笑顔で、藤野さんに知られていることを大歓迎、してる。 「にしても、よかったね」 「?」  良くは、ないでしょう? それに、「にしても」なんて簡単に話を別に持っていかないで。重大なことなのに。 「お姉さん、心配してくれてただけで」 「ぁ」  それは……。 「うん」  よかった。というか。 「あの、嬉しかった」  家族にそう思われていたなんて。 「にしてもやっぱ、真咲に似てるねー」 「?」 「不器用」 「……」  そうかもしれない。ちゃんと、丁寧に教えてくれたら、色々違っていたかもしれない。でも――。 「でも、いいんだ」 「? 真咲」 「確かに、色々間違えてたけど」  もっとちゃんと話して自活していれば、色々違っていただろうけれど。 「こうして壱都くんに出会えたから」  苦しかったり、迷ったり、溜息が出てしまうこともたくさんあったけれど、。 「だから、全部、これでよかった」  君に出会うことができたから、僕は、これで、よかったよ。 「ちょ……ねぇ、あのさー」 「?」 「可愛いすぎじゃない?」 「は、はい?」 「ほんと」  そう言って、笑って。 「……」  君が僕にキスをしてくれる。 「ふふ」  ただそれだけで、元気になる。  君は、僕の、一番の薬なんだ。僕を元気にしてくれる。 「ふふ」  一番の特効薬、なんだ。

ともだちにシェアしよう!