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第79話 恋というお薬
こんな格好するんだ、って思った。
家でも、今にも外に出かけられそうな服装をしていたから。よく、お客様が突然やってくるというか、家と仕事の境目がないウチだったから。父も、さすがにスーツは着ていなかったけれど、どこにいても、誰に見られても、いつだって恥ずかしくないように、と思っていた人だったから。
その考えを丸ごとコピーして頭の中にびっしりと貼り付けているような姉がジーンズにTシャツ姿。キャップを被って、なんて、藤野さんに「不審者」がいると指摘されるまで気がつかなかった。もしもすれ違っても、 絶対に姉だとは思いもしなかった。
「あ、の」
「一応、心配してるのよっ」
どうかしたの? と訊こうとした。
それを遮るように、姉が声をひっくり返しながら、そう言った。
「ほ、ほら、なんか、あの、柴壱都って人、本当に恋人なんでしょう?」
「……」
「貴方、自分はゲイ……って、言っておきながら、ずっと特定の人を作らなかったじゃない。あの、宇野の後、ずっと」
「……」
「最低の男でしょう。だから、その、きっとよっぽど傷ついたんだと思ったのよ。だから言ってるの。やめなさいって。そうちゃんとしている男なんていないのよ。お父さんのように真面目に働いて、仕事、会社と家族を大事に、そんな男ばかりじゃない。お父さんが稀なの。だから言ってるのに、貴方はちっとも聞かない。男運、ないんだわと思ったわ。だから、心配して興信所に調べさせて、そしたら、やっぱりそうだった。大体の男と一緒よ。女好きって。最低じゃない。そんなの絶対に騙されてるんだわって思ったの。ほぼ絶縁状態というか、貴方、本当に自立してるから、うちの会社で働いてるわけでもないし、ただの薬局の薬剤師なんて、給料、たかが知れてるわ。でも、家が家だから、財産狙われたりとかしてるんでしょう? 家に戻れば楽をさせてあげられるのに。苦労なんてしなくて済むのに」
僕は、少し驚いた。
「っふふ」
「! 何笑ってるの。私は貴方のことを心配してるのよ」
だって、姉さんがそんなことを思っていたなんて、これっぽっちも知らなかったから。僕はずっと、ゲイである僕があの家で異質と思っていた。家族の中の異物って思ってた。
「あの、ありがとう。姉さん」
「!」
「大丈夫、です」
けれど、僕は胸の内を姉さん、父さん、母さんに話したことはなかった。
「壱都くんは本当に優しいよ。大事にしてくれてます」
「……」
僕は、男の人が好きなんですと、自棄になったりせずに、ちゃんと丁寧に言葉にしたことはなかった。丁寧に、真摯に伝えてないのだから。
「確かに、女性が恋愛対象の人だったけど、でも、すごく、僕のことを想ってくれてます」
「……」
「ありがとう」
ちゃんと伝わるわけがない。ちゃんと、わかってもらえるわけが。
「心配してくれて。でも大丈夫。あの、この髪型、素敵じゃない?」
「髪型? まぁ、そうね貴方の癖っ毛がちょうどいい感じに……」
「壱都くんが切ってくれたんだ。素敵でしょう?」
「……」
なかったんだ。
そっか。
そうなんだぁ。
「あ! 帰ってきた! 葉山さんっ、葉山さんっ、どうでした? 大丈夫でした? 変質者でした?」
そうだったんだぁって、すごく気持ちが柔らかくなった。
「通報しますっ?」
「あ、平気っ、あの、ふふ、平気だよ」
「?」
藤野さんが不思議そうな顔をしてる。
「大丈夫。その、なんていうか、大丈夫だから」
「…………そうなんですぅ?」
「うん」
「葉山さんのストーカー、とかじゃないですぅ?」
「えぇ?」
「葉山さん、素敵なんで」
「は、はい?」
「だって今日、ストーカーされそうなスタッフって言ったら、葉山さんくらいですよ」
それは、あの、他のスタッフに怒られるよ。
「美人でー」
美人? 僕が?
「優しくてー」
優しく……でも、うん、優しい人ではいたいけれど。
「お客さんを虜にしちゃうような人でー」
「え?」
何それ。
「アッシュグレーの髪色の人、葉山さんのファンで、今、恋人に昇格したじゃないですか」
「! え? えぇ? あの、えっと」
ちょ。え? それ、なんで。
「いやいや、知ってますよ。人間観察は接客業の基本ですからっ。恋人ですよね?」
「!」
「って、やばい! そろそろ、品出ししてきますっ」
え、えぇ。
「…………バレて」
え、えぇぇぇ。
「へぇ、よかった。認知されてた」
「に、認知って」
何を呑気に。あの、僕、隠すというか、知られてるだなんて思ってなかったのに。けれど、壱都くんは飄々と、というかご機嫌な笑顔で、藤野さんに知られていることを大歓迎、してる。
「にしても、よかったね」
「?」
良くは、ないでしょう? それに、「にしても」なんて簡単に話を別に持っていかないで。重大なことなのに。
「お姉さん、心配してくれてただけで」
「ぁ」
それは……。
「うん」
よかった。というか。
「あの、嬉しかった」
家族にそう思われていたなんて。
「にしてもやっぱ、真咲に似てるねー」
「?」
「不器用」
「……」
そうかもしれない。ちゃんと、丁寧に教えてくれたら、色々違っていたかもしれない。でも――。
「でも、いいんだ」
「? 真咲」
「確かに、色々間違えてたけど」
もっとちゃんと話して自活していれば、色々違っていただろうけれど。
「こうして壱都くんに出会えたから」
苦しかったり、迷ったり、溜息が出てしまうこともたくさんあったけれど、。
「だから、全部、これでよかった」
君に出会うことができたから、僕は、これで、よかったよ。
「ちょ……ねぇ、あのさー」
「?」
「可愛いすぎじゃない?」
「は、はい?」
「ほんと」
そう言って、笑って。
「……」
君が僕にキスをしてくれる。
「ふふ」
ただそれだけで、元気になる。
君は、僕の、一番の薬なんだ。僕を元気にしてくれる。
「ふふ」
一番の特効薬、なんだ。
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