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休診
「何をそんな難しい顔してるのさー。今日は午後休診だろう?」
そう、本日は土曜日で午後は休診。明日も日曜日でお休みなのである。
まあ研修とか付き合いとか、勉強会とかあったりするから休まらない休日も多いんだけど、クリニックの公式なお休みであり、俺にとっては脳と身体を休める貴重な時間だ。
とは言っても、ここ最近はシュガクレのライブ映像を見たり、主に暖くんの情報収集に勤しんでいただけで、記憶はないんだけど……。
「そう?そんなことないよ」
「そんなことあるだろう!仮にも最近17歳も年下の恋人が出来たっていうのに!もっと浮かれなよ!!」
「涼!やめろ!誰に聞かれているかわからんだろう!?」
クリニックは職場であり、面倒な噂話は避けたい。職業上、そういった噂話はプラスになることが多くはない。信頼関係を築くのは大変だが、壊すのは一瞬なのである。ましてや最近のクリニック経営は、とにかくクチコミが全てに繋がっていると言っても過言ではない。
「大丈夫だって。もうスタッフはみんな捌けてるんだし。ましてや、別に遊びってわけでもないんだろう?兄さんのことだし。でも、Ω(オメガ)でもないのに付き合えるの?いくら可愛くっても男の子じゃん。身長だって割とあるし、イケメンだけど中性的って程でもないよね、彼」
「……。第二次性のことを話すのは、いくら兄弟だからってデリカシーがないぞ」
「はは、何言ってんの。俺も凍兄さんもゴリゴリのα(アルファ)なんだから、Ωについて敏感になるのは普通だと思うよ?まあ日本に男性Ωって100人切っているって言われているし、そうそう出会えるもんでもないと思うけど」
涼は相変わらずヘラヘラしているが、上品な口調でセンシティブな内容をスラスラと口にする。これでいて女にモテまくっているんだから、普段もヘラヘラしつつも紳士的な振る舞いなのだろう。
そして、俺のセクシャリティについて、うまいこと探ってくるな。
薄々気づいているのだろうか?
別に隠しているわけでもないし、涼に話してもいいんだが、どうもこの男に全てを打ち明けても良いことが無い気がする。
「まあそうだな……けど彼については、芸能人だろう?いっときの気まぐれなんだろ。恋人って言っているけど、一緒に暮らせば火傷の治療について良い資料となるかもしれないし。これも何かの縁だ。もうしばらく付き合ってみるよ」
よし、うまくかわせただろう。大人の男性が若者の人生の一環を一緒に歩み、治療についても一緒に考える風。我ながらうまい言い訳だ。
「で?エッチはしたの?」
「ぶーーーー!!」
俺はドヤ顔で言い放った後に口にしたホットコーヒーを、盛大に仕事用モニターに吐き散らかした。
まさかこいつがここまでデリカシーがないとは。
「……していない」
「ははーん?これはしたね?」
「していない!」
「ちょっとも?」
「……」
「ほんのちょっとも?」
「していない」
「ちょびっとも?」
「していない」
「1ミクロンも?」
「していない」
「兄さんはぜーんぜんする気なくっても、暖くんがグイグイ来てグイグイされている間に、ほほほーんって終わってるとかも?」
「!!??」
俺は涼の発言にいてもたってもいられなくなり、思わず反射的に椅子から立ち上がって涼を睨みつけた。顔が熱い。確かに……グイグイ迫られている間にあっという間に……。
いやいや、なんで知ってるんだ!?
「したね〜こりゃ。限りなくCに近いBってことか〜」
「言うなよ。頼むから特に女性スタッフには」
「わかってるよ〜。相手は芸能人だし、うちのクリニックは凍兄さんの真面目な人柄で持ってるとこもあるしね。その評判で、美容皮膚科もある意味集客につながってる」
患者とスタッフがいなくなった院内は、ひどくしんとしていて暖かみが消えてしまう。まるで放課後の学校の教室のようだ。
特にこのクリニックは祖父と親父が経営していた時代から、定期的にメンテナンスはしつつも基本の内装は変わらない。だから俺たち兄弟にとっては、患者がいない時間は自宅のような存在でもあった。鍵っ子だった俺たちは昔から静かな空間に慣れていて、誰もいないこの場所が妙に落ち着いてしまうのだ。
だから表情筋が緩んでしまったのだろうか。
「で?最後まではしなかったといえど、相手に恋愛としての好意がないから、兄さんはひどく動揺していると」
「涼、やめてくれ……」
名の通り涼しい顔で、俺の心にノックなしで土足でズカズカと入ってくる。
それもその土足を脱ぐ気配は一切ない。
「それでそれで〜、可愛い彼にどんどん積極的に迫られてどうしたら良いのかわからない〜どうしよう〜の眉間のシワだったわけね」
「……降参だ。もう何も言うな。だから揶揄わないでくれ。もう40も近いおっさんなんだ」
「ああはは、ごめんごめん。もう揶揄わないし詮索もしないよ。秘密も守るからさ。だから相談に乗らせてよ、流石におもしろすぎるからさ」
「……本当に真面目に回答しろよ」
俺は一連の流れを涼に打ち明けた。もちろん、俺がゲイであること、sugar☆crepesの暖くんの強火オタだということはうまいこと伏せたが。
「なるほど〜理解理解。けど気をつけないと。αの生殖能力の欲は舐めたらいけないよ。相性が良ければβであってもラット状態になるって科学的データもあるんだから」
「わかってる。あれから毎日抑制剤を飲んで、不安だと感じる場合は注射もしている」
「で、これから暖くんの貴重な時間を使って、まる1.5日デートか」
そうなのだ。昨日暖くんの部屋で一緒に眠りにつき、俺は高まる鼓動を感じながら、最推しである暖くんの寝息を感じて目を覚ました。
そして本日の午後から、暖くんの強い希望で、家の中だがイチャつきデートを行う約束をしている。
こんなに喜ばしいことはないはずだ。
はずなのに。
胸につっかえる小さなモヤつきは少しずつ大きな霧となり、身体中に広がっていく。そしてその霧は白から黒く色を変え、俺の目の前に現れる。
黒く変化した霧は薄く膜を張ると、近くにある眩しすぎて見たくない太陽を隠す、嘘の雲を作り上げるのだ。
「凍さん!お疲れ様です!」
噂をすれば、その太陽はまた俺の前に現れて、懲りる気配もなくキラキラした光を放ちながら、ただただ美しく、寂しくて冷房で冷え切ったクリニックの温度を少し上げた。
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