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第14話(最終話)
「じゃ、そろそろ行くね。柊一さん」
俺は立ち上がる。…刹那。
「七瀬、ネクタイ曲がってる」
そう言って、柊一さんも立ち上がり、俺のネクタイに手をかける。
またも恋人の距離だ。夕べと同様に俺は心拍数があがる。
「お前、社会人になって五年目だろ?しっかりしろよ」
「う、うん…」
言葉がうまく繋げない。段々顔が火照ってくる。俺は柊一さんのなすがまま棒立ちになっている。出かけなきゃいけないのはわかってるけど、彼の女性のようなしなやかで美しい手が俺のすぐそこにある。この手を俺は確かに夕べ触れたのだ。俺の中で時間の感覚がなくなる。朝という一番時間を気にしなきゃいけない時に。
柊一さんの顔。三年間見てきた端正で華やかな顔だち。目元のほくろが色っぽい。どこか中性的でフェロモンを感じさせる。
綺麗だな、柊一さん。俺に言われても嬉しくないかもだけれど。
「出来た。七瀬、今日もしっかり労働して来いよ」
「う、うん…」
それしか言えない。すると、彼が俺から離れていく。ネクタイが結び終わったから当然の事なんだが。それが妙に淋しく感じる。
ーーだめだ、流されては。
俺は印刷会社のサラリーマン。会社の歯車を回す一人だ。ここで柊一さんの事で頭いっぱいで時間を後回しにしては、一般社会人として失格だ。俺は自分に言い聞かせ、浮足立ってる心を落ち着かせる。
俺は持ってきたバックを持ち、リビングを出て、廊下を歩いていく。
「じゃ、行ってきます、また来週ね、柊一さん」
俺は玄関まで来て、鍵のロックを解除する。
「待て、七瀬ハンカチ忘れてる」
柊一さんが廊下から声をかけ、近づいてくる。
俺、ハンカチなんて忘れたかな…俺はジャケットやズボンのポケットの中を探す。
「これ。七瀬新しいのがいいだろ?俺のやるから」
いつの間にか柊一さんが俺の前に来ていて、俺の前にレノマとブランドの入ったハンカチを差し出している。
「ありがとう、柊一さん」
俺は素直にその好意を受け取ろうと手を伸ばす。その刹那、柊一さんがその手をぎゅっと力強く握り込む。
突然のことに頭が追い付かない俺は、変な声を出し、目を丸くし飛び上がる。夕べは俺の手を拒んだのに、今日は柊一さん自ら手を握ってくるなんて想像もしてなかった。
「そんなに驚くか?昨日の夜は七瀬から手を出してきた癖に」
「そ、そうだけど…えっと…えっと…」
どんどん顔がチリソース色に染まっていく。昨晩は突き放してきたのに、何故今、彼は俺の手を握っているのだ。理解ができない。理解が追い付かない…。柊一さんは無言で意地悪そうに笑っている。
「えっとの後は?」
そう言って、柊一さんは昨夜触れた手をそっと引き寄せる。俺は反射的にビクッと肩を震わせる。
「………!!」
俺の手を引き寄せた後、柊一さんは俺の手の甲にそっとちゅっと音を立てて唇を落とす。頭の中でハレーションを起こす。顔はさらに朱く染まり、頭は真っ白になる。
「そんな顔されたら、仕事に行かせたくなくなる」
「え、え、ええええ…でも、えっと、俺は…ええと…」
言葉にならない。考えたくても頭が真っ白すぎて何も浮かばない。
「ほら、早く行かないと遅刻するぞ、七瀬。……その手、会社に着くまで洗うなよ」
俺は頭を何度か縦に振るだけでいっぱいいっぱいになり、体を反転させドアの方を向く。柊一さんの視線を背中で浴びながら、呼吸を整えようとするが上手く機能しない。
「ええと、ぜ、絶対洗わない……! い、行ってきます…!」
俺はドアを開けると、逃げるようにそのまま真っ赤な顔で部屋を飛び出していく。
あんな柊一さんは初めてだ。
三年何もなかったのに、急に、だ。
一気に距離を詰められて、俺はパニックを起こし、顔はまだ赤いまま。俺はキスをされた手を何度も触りながら、彼のぬくもりを確かめる。
俺だって帰りたくない。ずっと柊一さんの傍に居たい。居たいけど、社会人としての俺がそれを許さない。
ねえ、柊一さん。
俺の想いは一方通行じゃなかったって思ってもいいよね?いつかは俺もあのキングベッドに眠れる日が来ると思って期待しててもいいよね?…って朝から何考えてるンだ、俺は!このマンションを出たら、俺は一介のサラリーマンに戻る。…戻れるかな。
俺の想いを乗せたまま風は軽く彼の方へ流れていく。
俺はここにいる。
三年間ずっと脳内に染みついている、俺の心に身体に刻み込まれた人を想い、今もここにいる。
Fin.
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