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プロローグ:日常の朝
燈がヨーグルトを用意してくれている横から声を張り上げると、賢太郎と大和が席を立つ。悠優はブラック、大和もブラック、賢太郎は……と、各々に合わせたアイテムをソーサーに乗せて差し出すと勝手に持っていく。
「悠優、コーヒー」
「うん、ありがとう。良い香りだね、豆変えた?」
「先週どっかから届いた」
「えーどこだろ……賢太郎わかる?」
「はい、お礼済みです」
「おおー、さすが賢太郎くん」
大和が即座に賛辞を送ると、賢太郎は珍しく戸惑ったように視線をうろうろとさ迷わせて、チラリと主人を一瞥して…そして微かに会釈した。
――賢太郎、悠優に褒められたかったんだな。
痛いほどわかるその気持ちをぐっと飲み込んで、フライパンの中のベーコンエッグを取り出した。
「よし、できたぞー」
拓海のその言葉を合図に、皆が腰を浮かせて完成した朝ごはんを取りに来る。拓海は視界の端に悠優を捉えた。同じように手伝おうと腰を浮かせた悠優を、大和が制したところだった。
――悠優が食器を取りに来ることはない。いつだってああして大和が「座ってて」と諌めてしまう。そして、最愛の夫の目の前に手作りの朝食を「さぁどうぞ召し上がれ」を差し出す役目を、大和は毎食毎時間、この家で温かいごはんを作っている拓海に与えてくれる。
「悠優、……はい」
一番綺麗な位置に黄身が来た、美味しそうに見えるベーコンエッグを悠優の前に差し出す。悠優は緩く微笑みながらそれを受け取った。
「ありがとう。……皆、いただこうか」
そして悠優は拓海の腰に手を添えて、拓海の定位置に座らせるのだ。
「拓海、今朝もありがとう。……いただきます。」
悠優の号令に皆が声を合わせると、各々食べ始めた。燈の「美味しいー!」という無邪気な声を聞きながら、拓海は悠優の柔らかな視線に耐えきれなくてそっと一番不格好な自分のベーコンエッグに箸をつけ、ふつりと黄身を割り、流れ出す卵黄を塞き止めるというなんとも子供っぽい動作で悠優から目を逸らした。
――次のニュースです。衆議院議員の○○氏が先日第16配偶者との離婚が判明した問題で、元妻の○○さん本人からのコメントがSNSを通して発表されました。曰く「結婚5年近くになるにも関わらず顔を会わせたのは片手で足りるという事態に耐えられなかった」とのこと、これを受けて議会では――――――
「16配偶者……やべーな、何人いたんだ」
「確か22だったかな」
「悠優、知ってる人?」
「先日お会いしたばかりだ。新しい妻は女性のオメガ23歳って声高に自慢してたよ。ねぇ賢太郎」
「はい...ちょっと、いやかなり周囲から浮いていましたね」
「げええ、このおじさんいくつ?」
「55歳みたいだね」
「その23歳もなんでまた…金に目が眩んだのかな……」
「そうかもな」
金には一切興味がない男性オメガの25歳である燈は分かりやすく渋い不細工な顔で「あり得ない」と吐き捨てて、目の前の食事にかぶりついた。
かくいう拓海も、金には一切興味がない26歳の男性オメガだが…やはり「ありえねぇ」と心の中にだけ吐き捨てて、ちらりと悠優をみやった。
男性アルファにしては柔和な顔立ち。今は隙なく整えられた髪は意外と毛量が多くて、すぐに寝癖がつくんだと苦笑いしていたのは出会った頃だったか。その髪に初めて触れたのは何時だったか…とそこまで考えて、拓海はズクリと肚の奥にこの爽やかな朝に相応しくない感触を覚えて慌てて白米をかきこんだ。
――――――――――
朝食を終え、食器を片付ける拓海の背後で、家の空気が「仕事」のそれに切り替わっていく。
大和が悠優の傍に歩み寄り、その胸元に手を添えた。大和が選んだ生地だという明るいネイビーのスーツ。その襟元に美しい光沢を纏ったシルバーグレーを手慣れた様子で締めていくその様は、拓海にとっては何年経っても、毎朝見ていても、溜め息が出るほど美しく神聖な光景だった。
「うん、よし。……今日も良い男だ」
「ありがとう、大和」
悠優は満足そうに微笑んだ最初の妻をそっと抱き寄せて額に口付けを1つ落とす。それをくすぐったそうに受け取った大和は、代わりに拓海の作った弁当の入ったビジネスバッグを差し出した。
「じゃあ、いってきます」
悠優は燈に、拓海に、そして大和に。
一人一人順番にしっかりと目を合わせて告げた。
「いってらっしゃい悠優くん、賢太郎くん!気を付けてね!」
元気の良い燈の声に、早朝から情事の痕跡を洗い流していた余韻はない。誰よりも身を乗り出して主人に声をかけるその瞳には嫉妬の欠片もなく、ただ純粋な「推し」への賛美だけが煌々と輝いていた。
悠優は賢太郎が開けたドアからするりと出ていく。そして、賢太郎はそれから一歩遅れて、「神凪悠優の秘書」の顔をして、共に出ていった。そこに、食事中に見せた「悠優に褒めてほしかったいじらしい妻」は感じられない。彼のその強靭な理性に、拓海はいつも拍手の代わりにキャンディチーズを彼だけに捩じ込むのだ。
「あーあ、行っちゃった。早く帰ってこないかな」
10秒前に出ていったばかりの夫を早くも恋しがる燈は、玄関に飾られた花瓶を回収してリビングに戻っていく。きっと新しい花を活けるつもりなんだろう。
「……さて。僕も仕事しようかな」
大和のその言葉に、拓海はリビングの片付けを始める。
世界で一番自分を大切にしてくれる悠優が築いたこの箱庭を、世界で一番心地よい場所に保つために。
――神凪家の日常が、今日もまた、静かに動き出した。
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