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死の土地と、タンポポの罠

 宮尾(みやお)の担当エリアには、同業他社から「死の土地」と揶揄される場所がある。  幹線道路に程近い、三百坪を超える広大な空き地。  川を渡ったらすぐ東京であるこの好立地は、本来ならデベロッパー同士が血眼で奪い合う一等地だ。周囲が隙間なく住宅やマンションで埋め尽くされる中、そこだけがぽっかりと、都市の抜け殻のように放置されている。  開発が進まない理由は、あまりにもシンプルだ。  所有者に、誰一人として「会えない」のである。  錚々たる不動産会社の営業マンたちが、登記簿から親族の縁戚まで洗い出し、あらゆる手を尽くしたが、現名義人の姿を捉えた者は一人もいない。「固定資産税を垂れ流して喜ぶ、世捨て人の隠居じじいが持っている」というのが業界での通説だった。  テニスコートを5面並べてもまだお釣りがくる広さの広大な敷地。それを住宅街のど真ん中に更地で持っている異常さを、果たして所有者はどこまで理解しているのか。  宮尾は、元々その地を担当していた上司から、直々に任務を請け負った。 「あの土地のオーナーに会って、売るなり建てるなり話をまとめてこい。――お前なら『落とせる』だろ」  この手の話は宮尾の専売特許であった。宮尾の強みは、どんなに顔を見せない地主にも必ず「会える」ことだ。  入社五年目。全国トップクラスの数字を叩き出してきた宮尾の武器は、スマートな理屈などではない。  「〇〇さんなら、あの家の事情を知っているかも」という曖昧な証言から、「あそこの奥さんならもっと詳しいわよ」という小さな繋がりの連続を、文字通り日が暮れるまで、あるいは何日もかけて地道に辿り続ける。  そんな他者が匙を投げるような泥臭い追跡の果てに、ようやく相手の懐に滑り込む一瞬の「隙」を見つけ出し、こじ開ける。その執念とプロセスこそが、宮尾の揺るぎない自負だった。  調査を開始して早々に、宮尾は一つの確信を得た。謄本上の所有者の住所は例の土地から徒歩三分、風が吹けば飛びそうなボロボロの家屋。散々他社の営業マンが手紙やらチラシやらを放り込んだまま、放置されている。  このあばら屋はダミーだ。ここを当たっても意味はない。  そう判断し、宮尾は近所への聞き込みを始めた。  そして一ヶ月後。宮尾が辿り着いたのは、例の土地から二駅ほど離れた活気あふれる商店街だった。  ブレーメン通りの喧騒を抜け、静かな住宅街の角を曲がると、立派な門構えが見えた。外部からの視線を拒むように鬱蒼と茂った植栽の向こうに、立派な日本家屋の瓦屋根が見える。 (意外と近くにいたな)  宮尾は内心でほっとした。冗談じゃなく、地球の裏まで行く覚悟をしていたからだ。  インターホンを鳴らすが、応答はない。中の様子を伺おうにも、重厚な門塀がそれを邪魔する。  宮尾は待つことに決めた。事前の聞き込みで、ここに男が一人住んでいることは確認できている。そいつをとっ捕まえれば、事態は動き出すと確信していた。  門の前に立ち、道ゆく人を見送る。怪訝な目で見てくる主婦ににこやかに挨拶をし、学校帰りの子供たちに手を振る。周囲の警戒心を解くのは、彼の得意中の得意だ。  そうして日が傾き、空が真っ赤に染まった頃、門扉の隙間からぬるりと何かが忍び出てきた。  それは白地に黒いぶちの猫であった。黒い両耳をピンと立てて、突然目の前に現れた宮尾の姿に動けないでいるようだ。  宮尾は驚かせないように歩み寄り、猫を両脇から抱え上げた。膝の上に抱いて、首筋や耳の裏を掻いてやると、気持ちよさそうに体をくねらせる。 「はは、ちょろい」  よく手入れされた猫を愛でながら、心の中で問う。この家に一体どんな男が住んでいるのか、おまえは知っているか?  その時、前触れもなく門が開いた。顔を上げた宮尾の視界に入ったのは、中から顔を覗かせる一人の男だった。  女好きしそうな優男だ。目尻は垂れ、柔和な雰囲気を醸し出している。薄茶のふわふわした髪を見て、たんぽぽみたいだな、と年甲斐もないことを思った。  男が宮尾の手元に視線をやりながら、低く、どこか透き通った声で言う。 「それ、うちの猫です。ありがとう」  猫を回収しながら、男は次いで宮尾を真っ直ぐに見据えた。 「あなた、朝からずっとここにいますよね。うちに何の用?」  宮尾は冷静に微笑みを浮かべながら、懐から名刺を差し出した。男は名刺を受け取り、意外そうに目を見開くと、「話は中で」と言って宮尾を招き入れた。  その誘いが、蜘蛛の巣への招待だとも知らず。  宮尾は「最初の隙」を掴んだ勝利を確信しながら、男の後に続いて、薄暗い玄関へと足を踏み入れた。  ◇  宮尾は立派な客間に通された。  室内をじっくり見渡すと、美しい漆喰壁には汚れ一つなく、木部は飴色につやつやと輝いている。大切に手入れされた家だ、と宮尾は直感した。同時に、あのダミー住所にあった、風が吹けば飛びそうなあばら屋を思い浮かべる。  襖が開き、男――吉永(よしなが)が茶を持って現れた。  彼は宮尾を見て、にこりと人好きのする笑みを浮かべると、向かいに腰掛けてざっくばらんに問うた。 「あの空き地のことですよね?」  話が早い。無駄な前置きを省く合理主義は、宮尾にとっては歓迎すべき状況だった。宮尾の表情を見て是と取ったのか、吉永が続ける。 「この家に不動産屋さんが来るの、初めてなんですよ。どうやってここがわかったの?」 「あの空き家の近隣への聞き込みから辿ってきました。突然の訪問で驚かせてしまったかと思いますが」  謝罪を口にしつつも、堂々とした笑みは崩さない。宮尾の営業方針は「誠実な自信家」だ。飛び込み営業に卑屈さは不要。おべっかを使って下手に出れば、地主は即座に心を閉ざす。  予想通り、あっけらかんとした宮尾の物言いに、吉永がふっと表情を和らげた。 「それはすごい執念だ。驚きました」  吉永は、遠回しな探り合いを好まない質らしい。彼は少し眉を下げると、本題に切り込んだ。 「ただ、あの土地を売るつもりはないんです。だから、宮尾さんには申し訳ないけれど、これ以上頑張ってもらっても無駄だと思う」  優しく、しかし残酷に退路を断つ言葉。だが、これくらいで宮尾の心は折れない。ここまで全て想定内だ。第一、初対面で印鑑をつく地主などこの世にほぼいない。そもそも吉永は「売らない」と言っただけで「何もしない」とは言っていないのだ。  宮尾の営業方針その二は、「粘り強く、懐に入る」こと。  宮尾はしおらしく「左様でございますか」と一度引き下がった。そうして、せっかくですからと差し出された茶を啜り、会話の主導権を世間話へとスライドさせる。  吉永は宮尾の二歳年上で、在宅のシステムエンジニア。この広い家は母方の祖父母の家で、今は一人きりで住んでいる。 (結論ファーストで論理的。だけど、共通点を見つけられれば一気に距離が縮まるかも……)  そんな宮尾の分析が的中したのか、二人の出身高校が同じだと判明した瞬間、室内の空気は一気に沸いた。 「てことは、俺が三年の時に宮尾くんが一年か!びっくりだなあ」  校歌を歌えるかと振られ、宮尾が営業スマイルと共に軽快な歌声を返すと、吉永は弾けるように笑った。 「俺、水泳部だったんだよね。宮尾くんは?」 「私は……帰宅部です」  学生時代の共通の思い出話や「地元あるある」に花を咲かせる時間は、どこか穏やかだった。宮尾は一瞬、自分が仕事で来ていることを忘れ、目の前の男との対話そのものを楽しんでしまった。  ふと、室内に沈黙が流れた。  目線を上げると、吉永がこちらをじっと見つめていた。その瞳は、先ほどまでの温かさとは違う、じっとりとした湿度を孕んでいるように見えた。 「宮尾くんて、彼女いるの?」  一瞬、思考が止まる。しかし、宮尾は反射的にプロの笑顔を貼り付けた。 「……いませんが」  今は、だ。先週、独占欲の重さに耐えかねて別れたばかりだった。 「そうなんだ。モテそうなのに」  吉永が立ち上がり、宮尾の隣へと移動してきた。 「猫の毛がついてるよ」  そう言って、肩や胸元に触れてくる。その手つきが、男が男にするものではなく、もっと淫靡な――まるで女を愛撫するような粘り気を感じさせ、宮尾の背筋に冷たい粟が立った。 (――待て。なんか、まずい)  吉永の手が、太ももの付け根へと滑り落ちる。  限界を感じて身を引こうとした瞬間、ぐ、と強い力で膝を押さえつけられた。  視線を上げると、吉永が笑っていた。だがその瞳の奥には、隠しようのない「雄」の欲が渦巻いている。 「……っ!?」  抗う間もなく頭を引き寄せられ、強引に唇が重なった。  背中が畳に叩きつけられる。宮尾は全身を使って抵抗しようとしたが、思いのほか体格の良い吉永に組み伏せられ、身動きが取れない。  顎を固定され、口内に熱く厚い舌が侵入してくる。初めて経験する「男とのキス」は、先ほどまで飲んでいた香りのよい茶の風味がした。  吉永の舌は、宮尾の口内を我が物顔で蹂躙した。上顎を撫で上げ、舌先を絡めとられるたびに、脳が痺れる。 (……嘘だろ、こいつ、めちゃくちゃ上手い)  いつも自分が女に施しているそれよりも、数段上のテクニック。屈辱を感じる余裕すら奪われ、思考が混濁していく。  もしこれが客でなければ、とっくに殴り飛ばしていただろう。だが、宮尾にはそれができなかった。  『襲われたので殴りました。億の案件はパーです』なんて、会社に報告できるわけがない。  仕事のためだ。そう、これは商談の一部だ。そう自分に言い聞かせる宮尾の隙を逃さず、吉永の指がスラックスの隙間へと滑り込んできた。  節の立った、大きな手。それが自分の固くなった部分を包み込んだ瞬間、脳内に快楽物質が強烈に分泌される。裏筋をなぞり、先端を執拗にいじめる絶妙な指使い。男に扱われる背徳感と、湧き上がる生理的な快感に、宮尾は抗えなかった。  そのまま、人生で最も浅ましく、最も速い絶頂へと突き落とされる。 「はぁ、っ、は……」  消え入りたいほどの羞恥の中で荒い息をついていると、今度はうつ伏せにひっくり返された。  腰を掴み上げられ、振り返った視線の先に、吉永の蕩けるような、それでいて獲物を逃さない獣の笑みがあった。 「大丈夫。……いれるのは、また今度ね」  ――今度。あるのか、今度が。  宮尾が混乱する間もなく、太ももの間に熱塊が差し込まれた。力強く前後に揺すぶられるたび、部屋に二人の荒い呼吸が反響する。女のような扱いを受けながら、前を扱かれ、後ろの孔を指で弄られ——宮尾は前後不覚のまま、二度目の高みへと引きずり上げられた。  乱れた衣服を整えながら、宮尾は必死に現実逃避を試みていた。 (上司に、なんて報告しようか)  重要だが、今は考えたくもない問題だ。  ふと顔を上げると、吉永が甲斐甲斐しく、それでいて満足げに宮尾の体を拭っていた。  いったい何がどうなってこうなったのか。宮尾は全ての思考を「保留」にすることに決めた。  すっくと立ちあがり、吉永をひと睨みして部屋を後にしようとする。すると背後から、どこまでも暢気な声が追いかけてきた。 「宮尾くん、また来てね」  宮尾はこめかみに青筋を立てながらも、長年の修行で培った「100点満点の営業スマイル」を顔面に貼り付け、威勢よく返した。 「はい、また伺います!」  すっかり日が落ちたブレーメン通りを、宮尾は地面を蹴るようにずかずかと歩く。 (……見てろよ、あのクソ野郎)  吉永に勝つための戦法を頭の中で練りまくる。  この屈辱を、必ず「成約」という形で突き返してやる。そう誓った宮尾の瞳には、かつてないほどの闘志が宿っていた。

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