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三百坪の空白に咲く

 宮尾の自宅は、例の土地から歩いて数分のところにある、駅前のレジデンスだった。高級感漂う共用部を足早に通り抜け、玄関扉を潜り抜ける。扉が閉まると同時に、二人の唇は重なった。  余裕なく互いの口内をまさぐり、荒い息が玄関の温い空気に溶けていく。舌先を絡ませながら、吉永がシャツ一枚の距離を惜しむように服の中に手を突っ込んできた。開発され尽くした宮尾の胸元へ指が伸びたとき、熱い手がそれを止める。 「待って、……ベッドがいい」  吉永は震える息を吐き出すと、無言で宮尾の肩を抱き、奥の寝室へと引きずった。  倒れ込んだベッドの上、吉永の手つきは性急だった。もどかしそうにボタンを外す間も、二人の唇は離れない。宮尾も自らスラックスを蹴り脱ぎ、目の前の男を剥きにかかった。露わになったのは、広い肩と逞しい筋肉。元水泳部は伊達ではないらしい。宮尾は、男の体にときめく自分に戸惑いながらも、これから自分を貪るであろうその肉体から目が離せなかった。  吉永が、硬く尖った胸の先に舌を寄せながら、宮尾のすでに熱を帯びた性器を握る。上下を同時に責められる快感は、吉永に教え込まれた中毒の味だ。宮尾はあられもなく嬌声を上げ、あっという間に一度目の絶頂へ突き落とされた。  呆然と意識を飛ばしていると、足の間に冷たい感触が走った。吉永がサイドボードからローションを指に取り、宮尾の隘路へ塗り広げている。 「……ごめん、余裕ないんだ」  節が立った指が一本、二本と潜り込んでくる。宮尾は必死に呼吸をしながら、男を受け入れるために全身の力を抜いた。  やがて指が三本入った時には、宮尾は息も絶え絶えになっていた。はじめは違和感しか感じなかった粘膜は、執拗にすりつぶされるうちに、磨きこまれた珠のように敏感な部分を覗かせた。今ではどこを触られても気持ちがよくて、言うことを聞かない身体が跳ねる。  宮尾は我慢がきかない子供のように叫んだ。 「もう、いれて……お願い、っ……あ!?」  熱い杭が打ち込まれる衝撃。吉永の長大な性器が、宮尾の奥底を割り広げていく。宮尾ははくはくと浅い呼吸を繰り返しながら、必死に男の肩に縋り付いた。  やがて吉永が最奥に達して、深く息を吐いた。額から汗を流しながら、気遣うようなキスを落とす。 「大丈夫?いたくない?」  宮尾は浅い呼吸を繰り返しながら、必死に首を振った。初めて受け入れる本物の熱は、どくどくと脈打って自分を内側から塗り替えていく。宮尾は、腹の中を支配される圧迫感の奥に、どうしようもない疼きが芽生えていることに気が付いていた。 「ねえ、動いて。……中、擦ってよ」  あまりに素直な誘いに、吉永の理性は決壊した。宮尾の足を抱え、容赦なく腰を動かす。熱塊が敏感な粘膜を執拗にえぐり取るたび、電撃のような快感が身体を走って、宮尾はなすすべもなく声を上げ続けた。  吉永の手が宮尾の性器を握り、ぐしぐしと上下に動かす。神経が尖り切った場所を同時に責め立てられて、宮尾は汗ばんだ体を震わせながら泣き喚いた。その声は吉永の唇に遮られ、悲鳴も呼吸もすべて飲み込まれる。全身で繋がっている歓びと、暴力的なまでの快楽。その濁流に流されながら、宮尾は真っ白な視界の中で二度目の白濁を撒き散らした。  微かな紙の擦れる音で、吉永は目を覚ました。ベッドから離れた椅子に座り、宮尾が一心不乱に鉛筆を動かしている。その眼差しは鋭く、吉永の身体と紙の上を往復していた。  吉永は半分寝ぼけながら言った。 「また描いてるの?」  吉永の掠れた声に、宮尾は飛び上がってクロッキー帳を背後に隠す。 「起きてたなら言ってくださいよ」 「続けてていいのに」  宮尾は斜めの方向を向いて、適当にはぐらかそうとする。 「……何の話ですか」 「絵、今も描いてるんだね」  吉永が嬉しそうな声色で言うので、宮尾は目を見開いて呆然とした。 「知ってたんですか」 「うん、知ってたよ。美術部の宮尾くん」  十代の宮尾は、絵という魔物に憑りつかれていた。高校では美術部に入り、授業中も放課後も途切れることなく描き続けていた。学校のいたる場所でデッサンをしていたので、校内では変人として有名だった。 「宮尾くん、水泳部に勝手に侵入して、絵を描いていたことがあったでしょう。その時に俺、君に描いてもらったことがある」  高校時代の吉永は、複雑で悲惨な家庭環境ゆえに厭世的な少年だった。打開できない状況を憂いていたある日、水泳部に突然やってきて「ヌードを描かせてくれ」と言った少年の目は、どこまでもひたむきで真っ直ぐだった。  他の部員が全力で拒否する中、吉永は少年の申し出を快諾した。そうして二人きりの美術室で、宮尾は吉永を描いた。宮尾が吉永を見つめる目には、物質を捉える冷徹さと、奥底に潜む狂気的な情熱が同居していた。たったの一週間程度だったが、吉永にとっては決して忘れられない時間だった。  宮尾が唇を震わせる。 「……最初からわかってたんですか?」  全身を羞恥で赤くしている宮尾が可愛らしくて、吉永は宮尾を手招いた。存外素直に傍にやってくる熱い体を膝の上に乗せて、至近距離で囁く。 「あの日、君がうちの門の前に立っていた時、内心で狂喜乱舞したよ。ずっと欲しかった物が自ら手の内に入ってきたってね」  宮尾の背筋を、怖気と歓喜が同時に走る。自分は自ら、獣の住処に飛び込んでしまったのか。  吉永は宮尾の首筋に顔をうずめる。 「最近、嬉しいことしか起こってなくて怖いな。俺を天国にも地獄にも連れていけるのは、宮尾くんだけだ」  それは事実だ。宮尾はやろうと思えば吉永を経済的に破綻させて何もかもを奪うことができるだろう。  そう思うと、この男をどうにでもしてやれるという歪んだ気持ちと、絶対に幸せにしてやるというエゴにも似た気持ちが湧き上がってきた。  宮尾は吉永の耳元で囁いた。 「地獄になんて堕としません。あんたに最高の利回りと、幸せを齎すのが俺のやりたいことだから」  不遜ともいえる宮尾の言葉に、吉永が思わず吹き出す。その笑顔は夏の空のように晴れやかだ。  月光の薄明かりの中、二人は顔を寄せ合った。触れ合った唇は、互いへの支配欲と情愛に満ち満ちていた。  ◇  頬を撫でる風はまだ冷たいが、見上げる空はどこまでも高く、吸い込まれるような青が広がっている。冬の終わりと春の訪れが静かに交差する、二月の末の昼下がり。  宮尾と吉永が出会ってから、もうすぐで二年の月日が経とうとしていた。  今、二人の目の前には、白亜の壁が陽光を反射する立派なマンションが聳え立っている。オーナーである吉永のこだわりで、猫や犬との暮らしを楽しめるそのマンションには、引越しのトラックが続々と荷物を運び入れていた。新しい生活への期待が溢れているその光景に、吉永の胸が震える。 「……本当に建ったな」  吉永が思わず本音を漏らすと、隣に立つ宮尾が楽しそうに笑った。 「建つに決まってるじゃないですか。この俺が関わった案件ですよ。頓挫なんてありえない」  そのいつでも自信に満ちた言葉が、この一年間、何度吉永を救っただろう。  二人はエントランスを抜け、敷地の南側に移動する。そこには、このマンションの一番の売りである「畑」が広がっていた。 「シェア畑なんて、よく考えたよなあ」  吉永の感心したような言葉に、宮尾は誇らしげに胸を張る。入居者や近隣住民が家庭菜園を楽しめるこの場所は、運用開始前から問い合わせが殺到し、すでに全ての区画が埋まっていた。 「畑の賃料はさほど取れませんが、金が全てじゃないですからね」  宮尾が、畑の真ん中に小さな人影を見つけ、声をかける。 「和子さーん!お疲れ様です」  小さな老婆――管理人の和子は、その体に見合わない大きな鍬を振るっていた。かつてこの土地に執着した親類とは違う、この地を慈しむ新しい住人。吉永の祖父の「あばら家」を改装した家で、彼女は第二の人生を謳歌していた。 「和子さん、暮らしていて不便はありませんか」  吉永が問うと、和子はにこにこと笑って顔を上げた。 「なーんにも、問題ないわよ。まさかこんな都会で畑仕事ができると思っていなかったから、嬉しいわ」  そこへ、道路の端から数人の子供たちがこちらを窺っているのに気づき、和子が手招きする。おずおずと近寄ってきた少年が、和子に促されて鍬を握った。 「わあ、重い!」 「ねえ、オレもやりたい!」 「ここで野菜作るの?できたら食べられる?」  少年の瞳が輝き、周囲に子供たちの笑い声が弾ける。  吉永はその賑やかな光景を見つめながら、万感の思いに浸っていた。一年前の自分にこの景色を見せたら、ひっくり返って驚くのではないだろうか。  宮尾が隣に寄り添い、小さな声で囁く。 「言ったでしょ? 不動産には無限の可能性があるんだって。……数十年後が楽しみですね」  かつて「死の土地」と呼ばれたその場所が、暗闇に閉ざされることはもうない。  人が暮らし、育み、生きるこの地には、これから幾千もの明るい思い出が重なっていくのだ。  吉永は呆れたように、けれど愛おしそうに笑った。 「宮尾くんといると、知らない世界がたくさん見えるな」    三百坪の空白だった場所に、今、色とりどりの幸福が芽吹き始めている。  澄み渡る初春の空の下、二人はコートのポケットの中で小さく指先を絡ませ、未来へと続く笑みを交わし合った。

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