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No.1「毎夜訪れる亡霊たち」

ガランとした大広間の片隅に置かれた長椅子で、百年前の大戦について書かれた本を読んでいた僕に「ナリ王子」と、声がかかる。 顔を上げると、にこやかな女性が銀のお盆を持って立っていた。 「またこんな場所でお過ごしになられて。城主なんですから書斎をお使いになったらいいのに」 そう言いながらも、仮初めの城主である僕を思って、長椅子にベルベットのクッションや毛皮を配置してくれたのも、使用人たちだ。 「さぁどうぞ。シナモン多めのホットワインですよ。春になったとはいえ、夜はまだ冷えますからね。身体を温めれば、今夜こそはぐっすり眠れるかもしれません。冷めないうちにお飲みになってくださいな」 僕はゴブレットを受け取り、すぐに口をつける。 「美味しい……」 「それでは、ナリ王子。私たちはこれにて失礼いたします。明日の朝、また参りますからね」 使用人頭として、彼女は僕に挨拶をした。 僕の母である王妃より年上で、ふくよかなこの女性・マチが、十人の使用人を取りまとめてくれている。 「ありがとう。今夜は新月で外は暗いから、気をつけて帰って」 「えぇ、そうします。ホム、ナリ王子をしっかりと守ってちょうだい!」 マチは小机に置かれた鳥籠の中にいる蝙蝠にも、声をかけた。 ホムは「もちろん」とでも言いたげに、小さく赤い炎を吐く。 使用人たちは古城内の火の始末と施錠を確認し、夜が更ける前に家へ辿り着くよう、丘の下に広がる村へと帰っていった。 本来なら住み込みで働くことができる環境の者ばかりだったが、誰もがこの城に寝泊まりすることを拒むのだ。 (施錠だって何の意味もなさないんだ。亡霊は壁をすり抜けて現れるんだから) 僕はホットワインを飲み終えゴブレットを盆に戻し、ホムの鳥籠と、燭台を持って大広間を出た。 そして、冷たく暗い廊下を真っ直ぐに進む。 階段を上がった先にある城主専用の寝室に入るとすぐ、相棒であるホムを鳥籠から放ち、好きにさせた。 蝙蝠はパタパタと羽ばたき、天井の古びた火の灯っていないシャンデリアへ、逆さまにぶら下がる。 「ホム、亡霊たちが来たら追い払ってね。お願いだよ」 そう伝え、僕はベッドへと腰掛けた。 窓からは丘を下り帰ってゆく使用人たちのランプの光が、点々と見えている。 「あぁ、そうだ。寝る前に母上にもらった手紙の返事を書かなきゃ……」 面倒に思いながらも、まずは昨日届いた王妃からの手紙を燭台の明かりで、読み返した。 『私の可愛い第七王子・ナリ。元気にしていますか?王と第一王子が、よりによって霊媒体質の貴方を辺境の曰く付き古城へと送り出したことを、母は心配に思っています。こんな時、せめて貴方が懐いていた呪師の息子・ゼフが傍にいてくれたら、安心できたのですが……。近況を知らせてください。母より』 僕は末っ子で、王妃である母に甘やかされて育った。 王である父と、継承者となる第一王子は、そんな僕を鍛えようとしたのか、二十歳になった冬の終わりに、単身この城へ城主代理として住まうことを命じたのだ。 百年前の大戦で亡くなった多数の亡霊が住みついていると噂の、地元の人も忌み嫌う古城へ。 この城に来てから、僕は熟睡できない日々を送っている。 王都にも亡霊はいた。 でも、ここに現れるその数は、王都の比ではない。 「はぁ……」 小さくため息をつき、書き物机を引き寄せて、羽ペンにインクをつけた。 『愛する母上。ナリは元気に過ごしております。仕えてくれる皆も親切で、この城は思いの外、快適です。また、僕の傍には蝙蝠のホムがいますので、ご心配には及びません。ご存知の通り、ホムの炎は霊を遠ざけますから。庭に咲き始めた薔薇の蕾を、手紙と一緒に届けさせます。到着する頃には見事に咲いているでしょう。ナリより』 (母はこの手紙を受け取り、疑うこともなく安堵してくれるだろう) 手紙を封筒に入れ、燭台の火で蝋を溶かし朱色の封蝋を押す。 明日、マチに配達の手配をしてもらおう。 「そろそろ僕は寝るよ、ホム。あの親玉みたいな亡霊が出たら、盛大に炎を吹いていいんだからね。頼んだよ、おやすみ」 ホムにとっても重荷かもしれないが、発破をかけずにはいられない。 僕は今日こそは安眠したいと祈りながら、燭台の火を消し、ベッドへ横になった。 — ウトウトと眠りに入っていく中、ホムが「ボフッ」と火を吹いたのが分かる。 「ギッ」と小物の亡霊が消えていく音も聞こえた。 でも、これらの音は霊媒体質の僕にとって聞き慣れた雑音だ。 この古城に来る前、王都の自室でも時折繰り広げられていた光景だから。 ……暗闇に沈み込むように、やがて僕は深い眠りへと落ちてゆく。 毎晩のそれは、夢なのか現実なのか分からない曖昧な始まり方をする。 金属が錆びたような匂いが鼻を掠めると、僕の身体は金縛りに遭ったように、指一本動かせない。 何者かの冷たい手が僕の頬をやさしく撫で、耳元で低く響く声を出す。 「城主、私と契りを交わしましょう。そしたら全ての亡霊から、私が貴方をお守りいたします」 そう言って、僕の全身を慈しむように愛撫するのだ。 「や、やめ、て……」 掠れた小さな声を絞り出して抵抗しても、その艶めかしい指の動きは止まない。 「どうか「はい」と仰ってください、城主」 亡霊はただただ、そう繰り返すばかりだ。 この古城へ来て三ヶ月。 最初は全く姿が見えなかった錆びた匂いの冷たい手の持ち主は、居場所を見つけたかのように、徐々に形を成していった。 今は、男が騎士団の軍服を纏っているのが分かる。 胸元には騎士団長のものであろう豪奢な紋章の刺繍も、彫りが深く鋭い眼光も見て取れた。 ただし、その姿は背景が透けて見える半透明だ。 寝室に来る前に読んでいた本に、彼のことが書かれていた。 百年前の大戦で、騎士団を率いていた男、ラユ。 城主を守り切れず、冷たい冬の日に敵の剣で命を落としたらしい。 本にあった記述や挿絵と、今僕に馬乗りになっている男は、一致する。 つまりこの亡霊は、騎士団長・ラユなのだ。 ラユの透き通った身体の向こうで、今夜も瘴気に当てられ硬直し、動けずにいるホムの姿が見える。 ホムの炎は、通常の亡霊には効くが、騎士団長には太刀打ちできないようだ。 僕はギュッと目を閉じて、心の中で幼馴染の名を呼ぶ。 「ゼフ。お願いだよ、ゼフ、助けに来て……」 四年前、僕が拒絶したことで、城を出ていったゼフ。 今さら彼に助けを求めるのは、間違いかもしれない。 けれど、騎士団長の亡霊の手つきが淫靡であればあるほど、僕はゼフのことを思い出してしまうのだ。 彼の手は決して淫靡ではなかったのに。 (もしもこの全身を撫でる手がゼフのものだったら、僕は「はい」と返事をしてしまっただろう……) この錆の匂いがする亡霊の親玉が姿を消すのは、夜明けの鐘が鳴る少し前。 僕はそれまで、ひたすらに耐え続けた。

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