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No.2「丘の上の古城で突然の再会」
蝙蝠のホムを入れた鳥籠に黒い布をかけ、明るく陽の光が入る大広間へと向かう。
いつも僕を気遣ってくれる使用人のマチに心配をかけぬよう、できるだけスッキリした表情を装って行くが、すぐに見破られてしまった。
「おはようございます、ナリ王子。まぁ、昨晩も熟睡できませんでしたか?やはり噂通り、亡霊が安眠を妨げに来ているのではないかと、皆、心配していますよ」
「そ、それはないから、安心して。亡霊はホムの吐く炎を見れば、すぐに退散していくよ」
そう言いながら、ホムの鳥籠を定位置の暗がりへと吊るした。
(百年前に亡くなった騎士団長の亡霊に執拗に迫られてる。しかもホムの炎も効かないなんて言ったら、使用人たちはこの古城に寄り付かなくなってしまう……)
一人、大広間のテーブルで朝食を摂りながら、今後どう対応すべきかを考えた。
いや、この三ヶ月間だって、何も試さなかった訳ではない。
歴代城主の寝室だったあの部屋が悪いのではないかと、大広間の長椅子や、書斎で眠ったこともあるが、結果は同じだった。
眠らずに起きていれば騎士団長・ラユは現れないのではないかとも考え、必死に起きていた夜も、いつの間にか彼の姿は僕の上にあった。
結局、寝不足の頭では、いい考えなど思い浮かばない。
朝食を食べ終わった僕は、薔薇園が一望できるバルコニーへ出て、石のベンチでうたた寝を始める。
—
……まただ。
明るい陽射しの中なのに、また、ラユの指が僕の頬に触れている。
あれ?でも、いつもとは何かが違う。
これは夢?
あぁ、夢か。
どおりで金属が錆びた匂いはせず、咲き始めたばかりの薔薇の匂いが僕を包んでいる訳だ。
頬に当たる指先だって、冷たくはない。
血の通った温かさだ。
「ナリ……」
そんな風に僕を呼び捨てで呼ぶのは、ゼフだけだった。
皆の前では「ナリ王子」と呼んでいても、二人きりのときは内緒で「ナリ」と呼んでくれた。
幸せだったな、あの頃は。
僕が、僕が、ゼフの施術を拒絶しなければ、今も一緒に居れたかもしれないのに……。
温かい指は、僕の瞳から零れ落ちた涙を拭ってくれる。
「相変わらず泣き虫だね、ナリは。待たせて悪かった」
あぁ、なんていい夢なんだ。
ショールのようなものが、ふわっと身体に掛けられ、心地よさが増す。
そこからの僕は、春風に吹かれながら久しぶりに熟睡した。
—
石のベンチの上で上半身を起こすと、誰かが掛けてくれたショールが地面に落ちた。
「目覚められましたか?よく眠ってらっしゃいましたね。今、ローズティーをお淹れしますから」
すかさずマチが近づいてきて、ショールを拾いながら声を掛けてくれる。
僕は寝ぼけたまま「うん」とだけ返事をした。
カップに注がれた色鮮やかなローズティーを持ってきてくれたマチは、何か言いたそうにしていた。
僕が半分程飲み終えてから、彼女は口を開く。
「実はナリ王子がお昼寝されていた間に、一人の男が訪ねてきました。男は、今日から使用人として働くと申しているのですが……」
「使用人?」
「やはりご存知ないですよね。男は、ナリ王子は承知済みだと申しているのです。それにしても随分と薄汚れた姿をしておりまして……、とてもじゃないけど、信用できません」
折角、夢見が良かったのに、目覚めた途端に厄介ごとのようだ。
「とにかく会ってみよう」
「お気をつけてくださいね。素性の知れぬ男ですから」
僕はローズティーを飲み干し、マチと一緒に大広間へ向かった。
マチは大広間に入るなり、大きな声を出す。
「まぁ!貴方、その蝙蝠はナリ王子の大切な霊獣ですよ。そんな気安く触ってはいけません!放しなさい」
「このチビの蝙蝠が、俺の代わりに役目を果たしているわけか」
「ホム!気持ちよさそうに撫でられている場合じゃありません!そんな不躾に撫でてくる男には、炎を浴びせてしまいなさい!」
そんなやり取りを、僕は立ち尽くして見ている。
いや、涙で視界が滲んでいるから、ハッキリとは見えていない……。
「あぁ、ナリ王子。涙が零れていますよ。どうしましょ。貴方のせいです。すぐにホムを鳥籠に戻し、城から出ておいき!」
僕は激しく首を横に振る。
「だ、だめ……、お、追い出さないで、だめだよ、マチ……」
そう言って、マチに縋った。
本当は、男に抱きついてしまいたかったのに……。
変なところで理性が働いてしまう。
(ゼフ。四年前、王都の城から突然姿を消したゼフが、今、僕の目の前にいる。これは夢じゃない)
城仕えらしく身なりも仕草も上品だったゼフは、日に焼けて、髪も髭も伸び、野性味に溢れていた。
「ご無沙汰しております。ナリ王子」
僕の目を見据えた彼が、片膝をつき畏まって挨拶をしたから、気安くその胸に飛び込むことはできなかった。
—
マチは、ゼフが王都の城に仕えていた過去があると知っても、随分と疑り深く彼を問い詰めた。
途中で僕が、ゼフの身元を保証しようと口を開きかけたが、彼はこっそり人差し指を唇にあて、それを制した。
結局は、僕も望む形で決着が付く。
マチたち使用人が帰宅したあと、夜の城を守る役割をゼフが得たのだ。
使用人頭としても、夜間僕を一人にすることに常々、罪悪感があったのだろう。
「ゼフ。夜の城に残ってくれるという勇気を信じ、貴方にこの場を託します。しかし、ナリ王子の書斎や寝室への入室は固く禁じます。いいですね」
夜になると彼女たちはそう言い残し、ゼフを置いて、丘の下の村へ帰っていった。
僕はようやくゼフと二人きりになる。
彼に伝えたいこと、聞きたいことがたくさんあった。
けれど、何から言っていいのか分からず、口ごもってしまう……。
「ナリ、ゆっくり話したいが時間がない。君の身体に、守紋様を描く。左腕を出して」
「え?」
「今日から始めなくては、間に合わなくなるから。さぁ」
ゼフはそう言って、薄汚れた大きな巾着袋から道具を取り出し、大広間のテーブルに並べる。
黒い石で出来た「硯」という名の四角い器のような物に水を垂らし、同じく黒く長細い「墨」という名の物を押し当てて擦っていた。
水は、だんだんと黒くトロリとした液体へ変化する。
更にそこへ、キラキラとした粉のようなものを呪文を唱えながら落とすと、液体は一気に輝きを増した。
「それからこれが筆。この毛先にこの墨をつけて、今からナリの左腕に守紋様を描く」
呪師の息子であるゼフが、東の方から伝わる守紋様に興味を持ったのは、五年前。
僕が十五歳で、彼が二十歳のときだ。
あの頃は、ホムも居らず、眠る前にゼフに簡単な呪文をかけてもらってからベッドに入っていた。
しかし、その効果は万全ではなく、僕はごくたまに真夜中に現れる亡霊に身体をられることがあった。
それを知ったゼフが、書物で守紋様を学び、僕を守ろうとしてくれた。
あの頃は、こんな立派な道具は使っていなかったし、紋様も拙いものだった。
効果だってあまり感じられず……。
いや、そもそも王都での亡霊の出現は、頻繁ではないのだ。
だから僕にとっては、亡霊に身体を触られるより、ゼフに素肌を晒し、紋様を描かれることのほうが、恥ずかしい行為だった……。
今のゼフは、あの時より精悍な顔つきで、足や腕も逞しく、頼もしい。
そんな彼の長い指が握った筆は、滑らかに僕の腕を這っていった。
スーッと肌を撫でる筆先は、まるで騎士団長の亡霊・ラユの淫靡な手付きのようだ。
ラユと違うのは、そこに熱を感じること。
(だけど少しも嫌悪感はない。筆が左腕を這うことはただ気持ちよく、身体の芯が痺れ、うっとりとしてしまう)
「できたぞ」
その言葉で我にかえると、僕の左肩から指の先には、びっちりと蔦の紋様が張り巡らされていた。
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