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No.3「見違えたその姿」

夜明けの鐘の音が、丘の上にあるこの古城へも届く。 僕の上に乗っていた騎士団長・ラユの亡霊は、鐘の鳴る少し前にスーッと姿を消した。 昨晩も、いつものようにラユは現れ、いつものように僕の身体をイヤらしい手つきで弄った。 その感触は、おそらく勘違いではなく、日を追うごとに濃厚になってきている。 ただ、確かな希望ができた。 僕の左腕だ。 再会を果たしたゼフによって、蔦の紋様がびっしりと描き込まれた箇所に、ラユは一切触れなかったのだ。 つまり、この守紋様を身体全体に描いてもらったら、もうラユに触られることなく安眠できる。 今日にでも、もっともっと広範囲にこの紋様を描いてもらわなくては。 そう思いながら左腕を持ち上げ、美しく絡みつくように描かれた蔦の紋様を、うっとりと眺めた。 窓の外には太陽が昇り始め、部屋に朝日が注ぎ込む。 僕は守紋様を細部まで見たく、左腕を光にかざす。 すると黒い墨で描かれた蔦は、透明になるかのようにキラキラと輝きながら、消滅してしまった。 (えっ。せっかく、綺麗に描いてもらったのに……) どうして消えたのか、理屈はさっぱり分からない。 しかし今はそれを考えるよりも、ラユに睡眠を邪魔されて夜を過ごしたせいで眠気が勝った。 使用人頭のマチが城に出勤してきて朝食の支度をしてくれるまでは、まだ時間がある。 目が覚めたら、ゼフに「どうして?」と聞いてみよう。 そう思い、僕は左腕を抱きしめながら、眠りについた。 — 今朝も、黒い布を掛けたホムの鳥籠を持って、大広間へと向かう。 ゼフに会えるかと思うと足取りも軽い。 「おはようございます、ナリ王子。あら、いつもより顔色がいいですね。やはり、夜警がいるだけで安心感が違いますか?だとしたら、ゼフにいてもらった意味がありますわ」 マチは、テーブルの上に摘んできたばかりの黄色い薔薇を生けていた。 僕はキョロキョロと大広間を見渡すけれど、彼の姿はない。 「ゼフは?」 「あぁ、今ちょっと出ています。もうすぐ戻りますよ。さぁ、朝食を召し上がってくださいな」 食事が終わっても、ゼフの姿は見えないままだった。 僕はわざわざマチに言づける。 「ゼフが戻ったら「バルコニーの石のベンチにいるから来て」って伝えて」 「えぇ、承知しました。他の使用人とも話したのですが、私たちではナリ王子のお話相手になれませんが、年の近いゼフならば、そういった役割も果たせるのではないかと気が付きました」 「うん。彼とは色んな話をしてみたい。だから、お願いね。もし僕が眠ってしまっていたら、起こすように言ってね」 それでもゼフはなかなか現れず、結局僕は薔薇園を眺めながら、ウトウトと居眠りしてしまった。 — 「……ナリ、起きてナリ」 やさしく肩を揺すられ、僕はゆっくりと目を覚ます。 一瞬、目の前に立っている人物が誰なのか分からない。 「え?」 「あの使用人頭、庶民の家にいる「お母さん」みたいな人だな。俺が修行に行っていた東の土地にも、マチみたいな人はいて、世話を焼いてくれたよ」 「……」 「黙ってないで、何か言ってよ、ナリ。マチが丘の下の村で、まだ眠っていた床屋のじいさんを叩き起こして、俺の髪と髭を切らせたんだ。湯も使わせてくれて、着替えまで用意されてた。ナリ王子に相応しい姿になりなさいって」 昨日再会したときには、伸びた髪と髭が印象的だった。 日焼けした肌には、その野性的な姿もよく似合っていたけれど、身綺麗になった今のゼフは格好いいの一言に尽きる。 最後に会った四年前よりも、ぐっと知的な雰囲気を纏った大人になり、男の色気を放っていた。 「ゼ、ゼフ。昨晩はちゃんと言えなかったけど、また会えて、凄くうれしいよ……。昨日も格好良かったけど、今はもっとずっと格好良くて、びっくりしちゃった」 ゼフは僕の言葉に、照れたように笑う。 笑うと目が細くなるのは、幼い頃から少しも変わっておらず、僕を安心させてくれた。 「で、どうだった?守紋様の効果は?」 「うん!完璧だった。蔦の紋様がある場所には、ラユは触れることができないみたい」 「ラユ?」 「あぁ、この城に出る亡霊の親玉みたいな存在」 「百年前の大戦で死んだ騎士団長の名か」 「知ってるの?」 「この城へ辿りつくまでの道中、方々で聞いて回った。騎士団長は、忠誠心の厚い男だったと語り継がれている。しかし今となっては、古城は亡霊の多さで有名のようだ」 (ゼフが僕のために下調べをしてくれていたなんて、うれしい。やはり彼は僕を亡霊から守るために、わざわざ古城へ来てくれたのだ。四年前のことは水に流してくれたのだろうか?それとも、誰かの命令を受けてやってきたのだろうか?) 「でもね、消えちゃったんだ。左腕の蔦の紋様。どうして?」 「亡霊から身体を守るための守紋様は、日の光があるときには見えないんだ。大丈夫、夜になればまた現れる」 「あぁ、よかった。じゃ、今日は別の場所に描いてもらえると思っていいのかな?」 「一度に全身を描くのは、ナリの身体に負担が掛かりすぎるんだ。七日間に分けて描いていく予定だから、そのつもりでいてほしい」 七日間……。 つまり、描き上げるまでは、一緒にいられるということだ。 その後のことは、正直分からない。 でも、今の僕には十分な幸せだった。 — ゼフの身なりが良くなり育ちの良さが見て取れると、マチの信用度はグンと増したようだ。 以前、王都の城に仕えていたことも、信じてくれたのだろう。 「本当は、日が沈む頃には城を出たいんじゃないですか?夕食も済みましたし、あとは俺が残りますから、皆さんは帰ってもいいですよ」 そんなゼフの言葉に、使用人たちは揃ってホッとした顔をする。 やはり、亡霊がうろつく夜の古城が常々恐ろしかったのだろう。 「では、そうさせてもらおうかしら。ゼフ。夜警として、ナリ王子のことを頼みますよ。ただし、昨日と同じく書斎や寝室には足を踏み入れないように。そこは使用人として弁えること。いいですね」 そしてホムへの言葉掛けも忘れない。 「ホム、万が一、ゼフがしっかり働かなかったら、炎を吐いて懲らしめてちょうだいね」 彼女たちが城を出たあと、すぐに日が沈みきる。 すると僕の左腕には、昨日描いてもらった蔦の紋様が浮かび上がってきた。 燭台の灯りにかざし、いつまでも眺めていたくなる美しさだ。 「今夜は右腕を出して、ナリ」 ゼフは巾着袋から、硯と墨と筆とキラキラした粉が入った瓶を取り出し、大広間の机へ並べる。 そして、綺麗な所作で墨をすり、トロリとした黒い液体を作り出して、僕の右腕に筆を走らせた。 筆が肌の上を滑っていくにつれ、僕はどうしてか呼吸が荒くなっていった。 胸が高鳴り、身体の芯が熱くなっていく。 (だ、だめ。これじゃ、四年前と同じことになっちゃう……) 僕は必死に平常心を装い、この昂ぶりがゼフにバレないよう努める。 「んっ」 それでも終盤、二の腕を筆が撫でたとき、小さな甘い声を零してしまう。 真剣な表情で筆先を見つめていたゼフが、手を止め僕の顔を見たから、視線が合致した。 ゼフはその目を反らしてはくれず、じっと見つめてくる。 僕は慌てて白々しい咳ばらいをし、「なんでもない」とだけ口にして視線を外した。 自分の顔が赤くなっている自覚はあったが、なんとか誤魔化しきれたと思いたい。

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