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No.4「守紋様の副作用」

ゼフが描いた守紋様が力を発揮して、亡霊の騎士団長ラユは、僕の左腕にも右腕にも触ることができない。 ただその効果は、僕が思っていたのと少し違った。 ラユに触られる量が減るわけではないのだ。 指、手のひら、二の腕、肩などを触っていた時間が、顔、首、足、胸、腹などに費やされるようになっただけ。 むしろ、より触られたくない箇所をゾッとするほど冷たい指で長い時間撫でられ続け、辟易としてしまう。 それでも、眠れない夜が永遠に続くのではないかと苦しんでいた頃とは、気の持ちようが大きく違った。 ゼフに、蔦の紋様を身体全体へ描いてもらえさえすれば、この状況から脱せられるのだから。 あともう少しの辛抱だ。 ラユは身体を弄りながら、毎夜、僕に言葉を投げかけてくる。 「城主、私と契りを交わしましょう。そしたら全ての亡霊から、私が貴方をお守りいたします」 そして何も返事をしない僕へ、懇願した。 「どうか「はい」と仰ってください、城主」 何度もそう繰り返す。 けれど今朝は、少し違った。 夜明けの鐘が鳴る少し前、彼は心底心配しているかのような口調で、初めて違う言葉を発したのだ。 「契りを交わせば、私は力を取り戻すことができる。城主を敵国から、お守りできるのです」 (敵国?ラユは何から守ってくれようとしているのだろう?もしかして、百年前の大戦での仲間や宿敵が、亡霊となって今も闘い続けていると思っているのだろうか……。世の中はすっかり平和になったのに。だとしたら、時が止まっている彼が少し可哀想に思えてくる) — 朝食のあと、薔薇の見えるバルコニーで、本を開く。 この古城の書斎に置かれていた、随分と昔に書かれた歴史本だ。 僕は騎士団長・ラユのことをもっと知りたかった。 百年前の大戦で、この古城の守りは破られ、敵軍が城内に押し寄せてきたらしい。 そして、城主を守ろうとして、宿敵の剣でラユは命を落とす。 「その場に立ち尽くし絶命した」と本には記されていた。 昨晩もベッドに現れたラユの記憶は、その日で止まっているのだろう。 そう思うと彼の纏う金属が錆びたような匂いは、血の匂いなのではと思えてくる。 (「もう一度闘いたい、力を得て再び城主を守りたい」と強く願って、僕の身体を触ってくるのかもしれない……) 亡霊は人間に触ることで、何か力を得ているのだろうか? だとしたら、色々説明がつく。 王都の城にいた頃も、僕を触ってくる亡霊が現れたし、三ヶ月前は姿の見えなかったラユも、毎夜現れた結果、半透明まで見えるようになった。 では、もしももしも僕がラユに抱かれたら、彼は人間に戻れる……なんてことがあり得たりするのだろうか? 本を読み進めれば、意外なことが書かれていた。 騎士団長が剣で死したあと、騎士団の仲間たちは涙を流しながら一丸となって城主を守り抜いた。 僕と同じ年頃の城主は命を落とすことなく、終戦を迎えている。 今、僕の目の前に広がっている薔薇園も、当時の城主が騎士団長を弔って咲かせたのが始まりだったという。 この場所で、ラユは命を落としたということか。 もしかするとラユと城主は、互いに惹かれ合っていたのかもしれない……。 「ナリ、こんなところにいたのか」 ゼフが僕を見つけ声を掛けてくれた。 「俺、ちょっとここで休んでいい?マチがさ、若い労働力はありがたいとか言って、すぐに俺に仕事を与えるんだよ。ここで「ナリ王子のお話し相手中」ってことにして」 僕はうれしくて本を閉じる。 そして、ゼフと並んでゆっくりと薔薇園を眺めた。 — 穏やかな一日が終わり太陽が沈めば、古城の中にいる人間は、僕とゼフだけになる。 彼は今夜も大広間の机の上に、この国のものではない道具を並べていく。 鳥籠に入った蝙蝠のホムも、大人しく僕らの様子を見守っていた。 「今日は左脚に描くよ」 ゼフは僕に下衣を脱ぐように言い、「長椅子に寝そべって」と指示を出す。 そのような姿に羞恥を覚えたけれど、これは施術なのだと自分に言い聞かせ、僕は白い肌をさらけ出した。 ただ、昨晩のように甘い声を溢すわけにはいかないと、僕は気を逸らすためゼフに話しかける。 「ゼフ、いくつか質問をしてもいい?」 「あぁ、構わない」 真剣な顔をして筆を持つゼフは、集中力を保ちつつ僕に返事を寄越す。 「じゃ、一つ目。ゼフはこの古城に来る前、どこにいたの?」 「東の方の国で、守紋様のマスターから教えを受けていた」 「遠い国なの?」 「二ヶ月かかった」 「え?」 「まず、王都で呪師をしている俺の父が、ナリが亡霊が跋扈する古城の城主代理になったと、文をしたためてくれた。その文を伝書鳥が俺の元に届けてくれるのに一ヶ月を要した。それを読み、馬に乗ってすぐに旅立ったが、辿り着くのに二ヶ月もかかってしまった。遅くなって、悪かった」 (僕がこの古城へ来て三ヶ月。ゼフは僕の動向を気にし続け、そんな遠いところから駆けつけてくれたんだ……) 胸の中に素直な喜びが広がっていく。 だから思い切って質問を重ねる。 「あ、あのさ、もう怒ってないの?」 「なにを?」 ゼフは僕の左脚を持ち上げた。 そして、膝の裏へも蔦の紋様を描き込んでいく。 その筆が肌を滑る感触に、どうしたって僕の心臓は高鳴っていった。 いくら会話をして気を逸らそうとしても、快楽の芽が生まれそうになってしまう。 「よ、四年前。ゼフが守紋様を描き始めて一年くらい経った頃。僕が、僕が、紋様を描かれることを、拒んだから。それで怒って、城から出ていっちゃったんだよね?」 「ふふふ」っとゼフは笑い、「そんなわけないだろ?」と筆を持つ手を止めた。 そして僕の目を見ながら彼は告げる。 「ちゃんと説明しなかった俺も悪い。でも、十六歳のナリに上手く説明できなかったんだ」 彼はまた筆を使い始める。 硯に揺蕩うトロリとした液体を、筆にたっぷりとつけて、まるで僕の肌を愛撫するように蔦の紋様を描き上げていく。 「守紋様は、筆使いが達者な者が描くと、とても効き目がある。実際、騎士団長の亡霊は紋様がある部位を触れないだろ?」 大切な話をしてくれていることは十分に伝わっていて、コクリと頷く。 そうしながらも僕の身体は熱を帯び、呼吸が荒くなってしまう。 「だけどな、副作用があるんだ」 「副作用?」 「端的に言えば、守紋様を描かれる側が、性的な興奮を覚えてしまう」 「え?」 「十六歳のナリは、書物で学んだだけだった俺の守紋様で性に目覚めた。ナリはそれを恥、俺を拒絶した。だけど俺は違った。副作用が生じたということは、俺の守紋様にも見込みがあると思えたんだ。これなら本格的に学べば、技術として身に着けられる可能性が高いって」 僕は何の返事もできない。 だって、十六歳のとき抱いた感情も、今このときに感じている気持ちも、副作用だったと知ってしまったのだから。 胸の内では密かに「恋」や「愛」なのではないかと思っていたものが、一瞬にして打ち砕かれる。 そこからゼフはより集中力を高め、黙々と蔦の紋様を描き進めた。

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