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第1話 押しかけ同居の条件!?

ㅤ行く宛てがなくなった日の夜、オレが最後に思い浮かべた顔は、世界一感じの悪いアルファだった。 ㅤピンポーン。 「はい、戸松です」 「泊めて〜♡」 「無理」 ㅤブツッ。 「え、即答?」 ㅤオレは懲りずにもう一回、インターホンを押した。 「帰れよ。つか、なんで来たの?」 ㅤ舌打ちの次に聞こえた不機嫌な低音ボイスに、オレはモニターに顔を寄せる。 「だってここお前ん家だろ。帰るとこないんだもん。お願い、優しくして♡」 ㅤくらえ、必殺上目遣い。けれど、また切れた。 「あっ」 ㅤ三回目のピンポン。だけど、今度は出なかった。 「ひど!」 ㅤオレは地団駄を踏んでから、玄関の前にしゃがみこむ。 「ま、いっか」  だって、もうここしかない。 ㅤキャリーケースを開けて、もそもそと服を重ねて着る。 「ふぁっくしょん!ㅤ……あー、さむ」 ㅤちらちらとドアを見ながら、手を擦り合わせる。吐く息は白い。その時、エレベーターから降りてきた住人がマンションの内廊下を通りかかる。オレは「どうも〜」と笑って、隣の部屋に入っていく住人を見送る。隣人の顔はずっと引き攣っていた。 ㅤ――どれくらい経っただろうか。 ㅤ壁に寄りかかってうとうとしていると、ドアが開く音がした。 「お前、まだいたの?」 ㅤはっと目を開けると、冬馬がドアの隙間から覗いていた。短い黒髪、険しい眉、への字の口、オレを睨むダークブラウンの目。……うわ、顔がいい。 ㅤオレは立ち上がって、冬馬に迫る。 ㅤこれって、もしかして。 「泊めてくれるの?」 ㅤつい声が弾む。けれど、返ってきたのは冬馬の冷たい目線だった。めっちゃ機嫌悪そう。 「頭おかしいのか、お前」 ㅤその言葉に、オレは思わずあはは、と笑った。でもやっぱり、冬馬の目は相変わらず冷やかだった。 「帰れ」 「無理!」 「なんでだよ」 ㅤ冬馬はため息をつく。 「いいのー?ㅤ俺がここで朝凍死してても?」 「知らん」 「え、見殺し?」 ㅤ冬馬はオレをギロリと睨む。ドアが閉まりかけたのを見て、オレは慌ててドアにしがみついた。 「ちょ、待ってよ、責任ってあるだろ〜?」 ㅤ冬馬がびくりと肩を揺らす。そして目を逸らされる。しばらく間を開けて、やがて冬馬は言った。 「それなら取っただろ。お前、渡した慰謝料どうした」 「もう全部使った!」 「はぁ!?」 ㅤ冬馬が声を大きくする。オレは思わずびくっとした。あれこれ、もしかして言わない方が良かった? 「なにに使ったんだよ」 「え、生活費とか色々」 「ほんとに馬鹿なんじゃないの、お前……」 ㅤ冬馬は痛む頭を抑えるようにして目を閉じる。まつ毛長いな、と思って見蕩れていると、冬馬はやれやれと顔を上げる。 「……十分だけだぞ」 「やったー! トーマ優しい〜大好き〜!」 「うるさ……。お前、ほっといたら近所に余計な噂バラまきそうだろ。だからだ」 「またまたぁ。オレのことが心配なんでしょ?」 「違う。俺の評判の話だ。……っておい! 勝手に入るな!」 ㅤキャリーケースを引きずって、ズカズカと家に上がる。廊下がある。 「うわ、なにこれめっちゃ広ーい!」 「普通だろ」 ㅤキャリーケースをその辺に置いて部屋を見回していると、冬馬が後ろに来てそう言う。 「でもなんか生活感なさすぎ」 「人のウチ来て真っ先に言うのが文句かよ」 ㅤ振り返ると、冬馬はまたため息をついた。見ると、冬馬はキャリーケースの足をウェットティッシュで拭いている。その様子を見ながら、オレは早速冬馬の部屋をうろうろと探索し始めた。 「……つーか、なんで俺の家、知ってんの?」 ㅤ冬馬は自分で言ったあとで、深刻そうな顔で止まった。オレは首を傾げる。 「えー?ㅤ駅で待ち伏せしてあとつけてきただけだよ〜。ほら事故ったとこ見張ってたらまた通るかと思って!」 「……きも」 ㅤ冬馬はウヘェと顔を顰めた。 「なーこれ、トーマのベッド?」 ㅤ寝室を見つけたオレは扉を開け、遠慮なく入る。ふかふかしたベッドが目に入るなり、オレは駆け寄ってぼふ、と冬馬のベッドに身を投げ出していた。……冬馬の匂いがする。すごく、いい匂い。 ㅤたまらず枕に顔を埋めて、すう、と息を吸う。なんだか落ち着く。そうやって何度か繰り返していると、ガチャ、とドアが開いた。振り向くと冬馬がいた。視線が合う。 「おい、やめろって!ㅤ勝手に寝んな!」 ㅤ慌てた様子でずんずんと近付いてきた冬馬は、オレをベッドから引きずり下ろそうとする。強引に腕を引っ張る冬馬に抵抗しながら、オレは言う。 「なんでぇ?ㅤオレ、トーマの番だろ?」  番、と口にした瞬間、抵抗も虚しく、オレは床に尻もちをつく。いてぇ。 「俺は選んでない。あれはただの事故だ」  冬馬の声は低かった。 「……つーか、お前のせいで、こっちは色々めちゃくちゃなんだよ」 「え?」 「彼女にも説明して、結局フられて——」  そこまで言って、冬馬は舌打ちした。冬馬の息が荒い。彼女、という言葉にオレは目をぱちぱちさせる。たしかに冬馬って彼女いそう。顔いいしな。でもなんでフられたの? ……あ、オレのせいか。  でも、別によくない? 「いいじゃん、せっかくオレがいるんだし? オレがトーマの新しい恋人ってことで――」 「うるさい! ……俺は、お前なんか望んでない!」  その言葉に、びくり、と指が震えた。顔を上げようとして、うまくできない。 ㅤ前に、同じことを誰かに言われたことがある。だれだっけ。ああ、そうだ。  一瞬だけ、記憶の端に、自分と同じチョーカーを付けた首筋が見えた。甘ったるい香水の匂い。タバコの煙。女の人みたいに綺麗なのに、その手はしっかり男で。  ――母ちゃん。  喉がきゅっと締まるような感覚がして、息がしづらくなる。でも、オレは、ふ、と笑っていた。 「えー、ひど!」  そう言いながら、オレは腕を広げて冬馬に抱きつこうとする。 「そんなこと言うなって〜。この機会に親睦を深めよ♡」 「やめろ!」  冬馬に手首を掴まれて、そのまま止められる。オレは笑ったまま、軽く肩を竦めた。 「あは、マジで怒ってんじゃん。こわーい」  一歩下がって、誤魔化すみたいに前髪をかき上げる。冬馬は相変わらず、オレを厳しい目で睨んでいた。 「……あ、もう十分だ。お客さーん、延長どうします〜?♡」  冬馬は顔を顰めた。 「なんだよそのノリ……。言っとくけど俺はお前をここに置いておくつもりはない」 「え〜」 「……はぁ、こんなことならさっさと番解除してればよかった」 「えっ」  オレはその言葉で一気に心臓が冷えた。笑顔が引き攣る。やばい、地雷踏んだかも。  ここを追い出されたら、もう行くところがない。 「やっぱり今夜にでも番を解じ――」 「待って待って! わかった、じゃあトーマに次の相手が見つかるまで保留にして? オレ、それまでの繋ぎってことで♡ それまでここに置いてよ〜! なっいいだろ〜?」 「はぁ?」  その思いつきに、我ながら天才だと思った。 「だって退屈じゃーん。な、オメガって便利なんだよ? ほら、色々と♡」 「はぁ」 「オレ得意だよ? ぴちぴちだし♡」 ㅤ冬馬は何度目かのため息を吐く。 「ぴちぴちって、親父かよ……。そういうのはしない」 ㅤちく、と胸に小さな痛みが走る。でも、オレの頭はすぐに別のことを考える。 ㅤそれもそうか、とか、まあでもいいか、とか。そう心の中で呟く。そのうちオレのこと好きにさせて、追い出せなくしてやろ。  けれど、冬馬はまた何度目かのため息をついて言った。 「……俺に、次の恋人が見つかるまでだ。それ以上は期待するな」 「えっ」  オレはつい冬馬を二度見した。自分でもダメ元だったから、驚いた。やった、泊まっていいってことじゃん。これで、外の寒さとか虫なんかとはおさらばだ! しかも相手は顔がよくて、エリートで金もあるアルファだ。うんうん、やっぱこれは勝ち確なのでは? 「ありがとう! えっちしたくなったらいつでも言ってね〜」 ㅤへへっと笑って、オレはそう言う。けれど、返ってきたのは舌打ちだった。 「な〜トーマ〜、オレも風呂に入りたーい。いい?」 ㅤ風呂上がりのトーマにそう話しかける。 「話しかけんな」  返ってきたのは、それだけだった。  冬馬はオレの横を通り過ぎて、そのまま自分の部屋へ入っていく。ガチャリ、と中から鍵を閉める音がして、オレは思わず口を尖らせた。 「えぇ〜……」  でも、少し考えてからふと気が付く。 「あ」  オレは手をぽんと打った。 「話しかけんなってだけで、風呂入るなとは言われてないもんね〜」 ㅤやっぱオレって天才かも。 ㅤそれからいそいそと風呂場に向かう。風呂場に入って、オレは思わず目を丸くした。 「……あれ」  バスタブの栓が、抜かれてない。お湯も、まだちゃんとあったかい。  ……普通、ひとりで入ったら抜かない?  オレはしばらくそれを見て、それからふっと笑った。 「なにそれ。やっぱ優しーじゃん」  ふと棚を見る。シャンプーひとつまで高そうで笑った。 「……すげ。これ、めっちゃサラサラになりそう」  泡立ちのいい匂いに包まれながら、オレはいつもより丁寧に髪を洗った。 ㅤ髪をそこそこ乾かして、リビングに戻る。冬馬の部屋を見ると、まだ鍵がかかっている。お忍びでベッドに潜り込むのは無理そうだ。ちぇ、サービスしてやろうと思ったのに。そう思いながら、オレはトントンとドアをノックする。 「トーマ。冬馬〜」 「話しかけんなって言っただろ」 ㅤぴしゃりと言われる。そんな怒んなくてもいいじゃん、と思ったけれど、別に言いたいことは大したことじゃない。 「おやすみ〜」 ㅤそれだけを、開かないドアの向こうの冬馬に言ってやる。数秒待つけど、返事はなかった。まあいいか。どうせ無視されるだろうと思ってたし、言いたかっただけだし。 ㅤそう思って、オレは冬馬の寝室から離れて距離を取る。さて、寝る準備でもするか。 ㅤそんな時だった。 「……おやすみ」 ㅤつい、冬馬の部屋へと振り返った。気のせいかと思うぐらい、小さい声だった。 「……っ」 ㅤでも、たしかに聞こえた。 ㅤ寝る時になって、オレは部屋の中で布団になりそうなものがないか探した。でもなかった。ソファで寝ようとしたけど、なんか違う気がした。冬馬は……もちろん、ベッドに入れてくれる気配はない。 ㅤ鍵のかかった部屋を見ながら、リビングの隅っこ、フローリングの上に体を横たえる。そしてキャリーケースを広げ、持ってきた服で体を覆い隠すように自分の上に乗せた。これで多少はあったかくなる。 「あっそうだ、馬、馬……」 ㅤ大事なものを忘れてた。キャリーケースから最後に馬のぬいぐるみを取り出す。黒いタテガミの、茶色い馬。前の店に置いてあって、でも誰のでもなかった。オレが持ってきたけど、いいよな。ずっとこうしてたし。  オレは馬のぬいぐるみを胸に抱き寄せた。床は冷たいし、服を何枚か被ってもやっぱり寒い。  でも、さっきドアの向こうから聞こえた小さな声を思い出す。 『……おやすみ』 「……へへ」  悪くないかも。  そう思いながら、オレは目を閉じた。

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