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第2話 ピンク色のシャツ
次の日。物音がして、オレはフローリングから体を起こした。朝になっていることに気付いて、それから冬馬が起きていることにも気付く。冬馬は一瞬オレを見てびくっと警戒した。ソファに座ってコーヒーを飲んでいる冬馬にささっと近付き、オレはその隣にぴったり座る。すぐに、半人分の距離を空けられた。
「なー朝ごはんなに?」
「……食うの?」
「昨日なんも食べてなかったし」
冬馬は少しだけ鬱陶しそうな目でオレを見る。その時、ちょうど腹の虫がぐうぅ〜っと鳴る。
「あ。……へへ」
笑っていると、冬馬はため息を一つついて立ち上がった。かと思うと、ご飯を茶碗によそった。そして冷蔵庫から卵と醤油を出して、オレの前に無言で置く。
「えっ……いいの!? やばトーマ大好き」
「今日だけだ。次からは自分で用意しろ」
いただきまーす! と言って、卵かけご飯を作る。割る時に殻がちょっと入った。……美味い。沁みる。うーん、こういうのでいいんだよ、こういうので。
そうやって卵かけご飯を堪能していると、コーヒーを飲み終えた冬馬が口を開く。
「……そういえば、お前名前なんだっけ」
「え?」
ㅤあれ?ㅤと思った。番の名前、もう忘れたんだろうか。
「……慰謝料、払う時にオレの名前……」
ㅤ声が震える。けれど冬馬は首を振った。
「知らない。……代理人が払ったから」
ㅤそれを聞いて、なぜかほっとした。
ㅤそっか。忘れたんじゃなかったのか。
「オレ、赤名リコ。リコって呼んで!」
ほっとして緩んだ顔のまま、にっと笑う。冬馬はオレをじっと睨む。けれどなにかに気付いて、冬馬はふと口を開いた。
「つーかお前、なんで俺の名前知ってんの?」
「えーだって病院で名前呼ばれてたじゃん」
病院で何回も呼ばれてたから覚えてる。戸松冬馬。顔がいい男の名前って、なんか忘れない。冬馬はまたドン引きした顔でオレのこと見てる。
やがて、冬馬はやれやれとため息をついた。
「とりあえず俺は仕事だから。勝手なことすんなよ」
「うん! お仕事がんばってね〜!」
結局なにも言わないまま、冬馬は仕事に向かった。
……やっぱ嫌われてんのかな、オレ。そう思ったけど、気を取り直したオレは古いスマホを開いた。
お仕事探そうっと。さすがに、居候させてもらう身としてなにもしないわけにも行かない。でも、店には戻れないしウリももうできない。せめて前の店で仕事斡旋してもらえばよかったな、と考えたけど、たぶんろくでもないだろうなと考えてやめた。
ㅤ冬馬の家のWi-Fiを勝手に繋ぐ。怒られるかなと一瞬考えたけどたぶんバレないだろう。そしてこの辺で働けるところを探す。
ㅤ外で働くのは、初めてだった。
「オレ、ちゃんとやれっかな」
ㅤ考えてても仕方がない。とりあえず片っ端から応募して、オレは返事があるまで待つことにした。
それから、オレは冬馬の家を見渡した。
……生活感、ねぇな。
昨日も思ったけど、改めて見てもそう思う。広いし、綺麗だし、なんかホテルみたい。ちゃんとしてるっていうか、ちゃんとしすぎてるっていうか。
「これ、一人で住んでんのすげぇな……」
ぽつりと呟く。
でも、見てるだけってのも落ち着かない。オレは腕を組んで、うーんと唸った。
「……そうだ」
やることがないなら、やればいい。
オレは洗面所に向かうと、洗濯機の中を覗き込んだ。空っぽ。じゃあ、と昨日脱いだ自分の服を突っ込む。ついでに、冬馬が昨日脱いだシャツを見つける。オレはそれを手に取る。
「……ん」
そのまま、匂いをかいだ。冬馬の匂いがして、ちょっと、いやかなり落ち着く。
「なんかこれ、安心するな」
下手したらずっとそんなことをしそうだった。はっ、いけない。仕事しないと。……洗剤どこだっけ、と棚を開けて、それっぽい液体を適当に入れてみる。たぶん合ってる。知らんけど。
「えーっと……スタート……これか?」
ぽち。
ごおん、と洗濯機が動き出す。
「おー! すげぇ!」
なんか、楽しい。
そのまま調子に乗って、掃除機も見つけた。コンセント差して、スイッチを入れてみる。あれ、でもそんなに音がしない。不思議に思ったオレは吸い込み口に顔を近付ける。直後、ぶおおぉ、と音がして髪の毛とおでこを吸い込まれそうになった。
「うおっ、びっくりした……」
でもまあ、せっかくだし。
リビングを掃除して、廊下を掃除して、トイレもなんとなく拭いてみる。綺麗になってるのかよくわかんないけど、やらないよりはマシだろ。
そんなことをしてるうちに、ちょっと疲れてきた。
「……ふー」
オレはなんとなく、冬馬の寝室の前で立ち止まる。
昨日も入ったけど、やっぱりなんか落ち着く。そっとドアを開けて、オレは中に入った。すぐに、ふかふかのベッドが目に入る。
オレは吸い寄せられるみたいに近付いて、そのままぽふ、と倒れ込んだ。
「……ん」
いい匂い。
枕をぎゅっと抱き締めて、すう、と息を吸う。冬馬のシャツと同じ匂いがする。洗剤の匂いと、ちょっとコーヒーみたいな匂いと、それから……なんか、冬馬の匂い。
「……落ち着く」
なんでだろ。
オレは何回か深呼吸して、そのまま目を閉じた。
少しだけ、と思っていたのに。
――はっ。
「やば」
目が覚めると、窓の外が少しだけオレンジっぽくなっていた。慌ててスマホを見る。
「うわっ、寝てた!」
飛び起きる。
……でも、その時ふと思った。
「……そうだ」
冬馬、もうすぐ帰ってくるかも。
オレはにやっと笑った。
「ご飯、作ってやろ」
冷蔵庫を開ける。卵、野菜、肉、なんか色々ある。金持ちの家ってすげぇ。
「なに作ろうかな〜……卵焼きとか? いや、肉も焼くか?」
とりあえずフライパンを出して、油を入れて、肉を乗せる。じゅうう、と音がして、ちょっとテンション上がる。
「おっ、なんかそれっぽい!」
そのまま、オレはサラダでも作ろうと夢中で野菜を切る。その時だった。
じゅうううう……じゅわぁぁ……。
「あれ?」
なんか音が変だ。振り返った瞬間、思わず息を吸った。
「うわっ、やばっ!」
フライパンから、めちゃくちゃな量の煙が上がっていた。オレは慌てて火を止める。でも、フライパンの中はもう真っ黒だった。
「え、うそ……」
フライパンに乗った、かつて肉だったやつを菜箸でつつく。もう既にかちかちだった。
「……これ、肉っていうか炭じゃね?」
やばい。冬馬が帰ってくる前に、なんとかしないと。
ㅤけれど悪いタイミングというのは重なるもので。
ㅤ気がつけば、リビングの入口には冬馬が立っていた。
「あっ」
驚いたオレは、思わず手を滑らせてしまう。床に落ちた皿は案の定、ガシャーンと音を立てて粉々になった。
「あ、あはは。……おかえり」
皿だったものから目を逸らして、笑うしかなかった。冬馬はそのまま中に入ってくると、怖い顔のままで部屋のあちこちを見渡す。そしてなにも言わないまま、テーブルに指を滑らせた。それから、指先をちらっと見る。
ㅤ……え、なに。汚れてた? 拭き方ミスった?
冬馬は一瞬だけ眉をひそめた。怒ってるのかと思ったけど、さっきからずっと怒ってるし、よくわからない。
オレはそのあいだに、とにかく皿の破片をかき集める。
「テーブルだけは綺麗だな。……で?ㅤ他になにした」
「えっと、掃除機――」
「……そうか」
「――と、洗濯。あっ、待ってまだ干してねぇや」
皿を集めながら、オレはそう答える。冬馬は無言でオレを見たあと、そのまま洗面所に向かった。嫌な予感がした。
「……赤名」
冬馬に呼ばれて、ドキリとする。
「これ、なに」
「……あ」
ㅤ脱衣所から出てきた冬馬の手には、オレが匂いを嗅いだシャツが握られていた。なぜかピンク色になっている。……もしかして、色移りしたのか。
「あー……なんだろな……?」
ㅤオレは首を傾げてみたが、冬馬には通用しなかった。
「あっでもほら、いいじゃんピンク、かわいいし! オレ、ピンク好きだよ!」
「……余計なことすんなよ、マジで」
ㅤ冬馬の返事はつれなかった。
「ごめんごめん。……あのさ、ご飯作った! 一緒に食べ――」
「いらない」
冬馬はカップ麺にお湯を注ぎ、一人で食べ始めた。それを見ながら、オレは焦げた自分の料理に手をつける。苦いけど、まあ、食べられないほどじゃない。……オリジナルで作ったから?ㅤ今度、レシピを調べてから作るか。
「なー、トーマの好きな料理ってなに?」
「あ?ㅤ……寿司」
ㅤトーマはカップ麺をすすりながら、オレを見ないまま答える。オレは言葉に詰まる。寿司はさすがに家で作るのは難しくないか。
「他になんかないの?」
「なんでそんなこと聞くの」
「えーだって、好きな人のことなら知っときたいじゃん? オレたち番だし?」
「……ロールキャベツ」
なんだそれ。食べたことねぇ。
「ロールキャベツかぁ。それってどんな味?」
「……知らねぇのかよ。そんなマイナーな料理でもねぇだろ」
冬馬はため息をつく。
「あっ!ㅤオレはねぇ、ハンバーグが好き!ㅤあとカレーとか、唐揚げとか!」
「聞いてねぇよ。つかガキかよ」
「へへ」
ㅤだけど、これで冬馬の好きなものが聞けた。明日からそれを作れば、これでトーマもオレのご飯なしじゃ生きられなくなるはず……!
ㅤがんばるぞ、とオレは心の中でハチマキをぎゅっと巻いた。
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