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◇少年の恋が実る夏の日に、リアンの花びらが舞い踊る(中)

◇◇◇    それから――三年後、後を追うように、今度は東の魔王の伴侶も亡くなった。  齢四十六歳、民衆には寿命ということで伝わっているそうだが、聞き及んだところによれば自ら命を絶ったという。  魔王の伴侶であり、人間の先王でもあった彼の葬儀は、東国の魔族領と人間の領土の境で執り行われた。  カインからの紙飛行機には城を出てからも何かと親交があった彼の訃報(ふほう)に心を痛め、民衆に混じって葬儀にも参列したと綴られている。彼にしては珍しくその時の動揺が長く書き込まれている。  それもあり、喪に服したカインから一時的に紙飛行機が届かなくなった。  見上げれば青空を飛んでいた白い手紙が途絶えた城内は、以前にも増して静まり返り、誰もがカインを気にかける日々。  ……だが、半年もすると、またカインの手紙は城の誰かに届く。  そして今も(みな)、空を飛ぶ紙飛行機を見るたび、今日は誰宛なのかと胸を弾ませるのだ。 「あ、またあの紙飛行機」 「本当だ」  新人の使用人達が空を見上げて言った。 「あれって、カインって人間からの手紙なんでしょう」 「私、読んだことあるわ」 「え、うそ~!」 「この間、たまたまね。その場にいたのよ」 「なんて書いてあったの?」 「それが……葡萄の茶葉が入ってた!」 「葡萄の?」 「そう、受け取った先輩は紅茶が好きらしくて――」  五年もすれば、新しい使用人も増え、顔ぶれも入れ替わる。それでもカインの紙飛行機は城で働く者たちの風物詩となっていた。  回廊を歩いて庭の前を通りかかると、妙に庭に人が集まり騒がしい。  何をしているのかと、抱えていた洗濯物籠を脇に寄せた時だ。 「カインに彼女が出来ただって!?」  いつも斧で薪を割っている男の使用人が、大きな声で叫ぶ。  思わず走って、集まった人混みを掻き分け、紙飛行機を受け取った庭師に詰め寄った。 「それって本当!?」  庭師は驚いた顔で、けれどすぐに紙を見せてくれる。  そこには確かに―― 「本当だ……」  声を上げたのは彼女ではなく別の誰かだった。 「ええ、うそ~」と誰かが落胆した声を上げて花壇の縁に座り込む。  それに流されるように他の者達も椅子に座ったり、しゃがみ込んだり、頭をかいたりと一様に肩を落とした。 「残念だわぁ私カインのこと応援してたのに」 「あと五年だろう? てっきりカインは魔王さま一筋だと思ってたんだがなぁ」 「やっぱり人間に十年は長いんじゃないか?」  彼女は庭師から手紙を受け取ると、その文字を食い入るように読んだ。 〝俺さ、実は彼女が出来たんだ。たまたま彼女が変な奴に絡まれてるところを助けたのが切っ掛けなんだけど、とっても良い子だよ。爺さんにも紹介したいな〟 「でも、なんで爺さんなんだ? 俺たちじゃなくて」 「そりゃアンタは口が軽いからよ」 「はぁ!? 俺のどこが軽いって」 「手紙を覗き込んだのはアンタでしょう。そんで大きい声でわざわざ人を呼んだのもアンタよ」 「だ、だってよ。カインに恋人が……!」 「そおらみなさい」  ピシャッと言われて返す言葉もない男性に、周りも苦笑する。 「でもまぁ、気持ちは分かるぜ。俺だってそうしたかもな」 「私も」 「……まぁ何はともあれ、逆に良かったんじゃない?」  彼女は思わず「え?」と言葉が漏れる。   「だってさ、やっぱり人間同士の方が収まりがいいでしょ」 「まぁ確かに、寿命も気にならないし?」 「そうそう」 「歳の差も?」 「そうそう」 「人間の領土にいれば邪気の心配もないしな」 「そういうこと! 応援しましょうよ!」  女性はそう言うと「さぁ散った散った~!」と片手を振って集まった者達を仕事へ戻す。  けれど彼女だけはまだ、その手紙を見つめていた。 (カイン、どうして――) 「それにしても、こっちから手紙を出せないってなんだか癪よね~」  一人が彼女の肩に腕を回して手紙を取り上げる。 「ちょ、ちょっと」 「確かにそうよね。私もカインと話がしたいわ」 「紅茶のお礼もしたいし」 「それなら俺は栞だな」 「ワシはまだ元気だとカインに伝えたいねぇ」  全員と目が合った。ニヤリと口角を上げて。 「シュケル様に頼んだら魔力でなんとかしてくれないかしら?」  一人が妙案とばかりに言ったが、後ろに立っていたシュケル直属の部下がダメだダメだと首を振る。 「シュケル様に頼んだところで〝一人の頼みを引き受けるとその他大勢の願いも叶えることになります。きりがありませんよ〟と言われて終わりだ」 「じゃあカボチャ様は?」  すると今度はカボチャの直属の部下が首を振る。 「カボチャ様は最終的には叶えてくださるかもしれないが、あれもこれもとお願いするうちに最後はキレ散らかすのが目に見える。あと最近は妙に静かでちょっと近寄りがたいからやめた方がいい」 「じゃあどうするのよ」 「もう正攻法で郵便に出すとか」 「人間の領土まで届けてくれるかしら?」 「伝書鳩」 「それも同じでしょ」 「えーと……」  打つ手がない。  全員「うーん」と唸ると黙り込んでしまった。  彼女は勇気を出して控えめに手を上げる。 「……あの、私」  全員の視線が彼女に集まった。    ◇◇◇  ――晴天の下、ガタゴトと荷馬車が街道を走る。  その荷台に彼女は乗っていた。  街中からだんだんと離れて農村地帯に入ったところで荷馬車が止まる。 「悪いがここからは歩いて行ってくれ、この先は轍があって車輪がはまっちまうんだ」  彼女は頷くと、荷台から降り大きな荷物を地面へと下ろす。  ふわりと風が足元から吹き上げた。飛びそうになった麦わらの帽子を片手で押さえる。バレッタで纏めた赤い髪が風にたなびく。 「しっかし、見ない顔だが女性一人でこんな辺鄙な所に何の用だい?」 「知り合いに会いに来たんです」 「そうかい、まぁあの丘を越えた向こうだ。あともう少しだから頑張りな」 「はい、ありがとうございました」 「はいよ~」  茶髪に藍色の瞳、人間の御者はそう言って行ってしまった。  彼女は白い柵がずっと続く、緑豊かな丘を見上げると「よし」と気合いを入れて大きな荷物を背中に担ぎ、黙々と坂道を登る。  背中の大きな旅人用の毛布には、城の皆からカインへの土産と、自分の荷物がまとめて包まれている。 (カイン、本当にいるかしら)  ようやく丘の上に着き、木の下に荷物を置いて一息つく。  目の前の白い柵の向こうにはどこまでも続く高原と遠くに見える白いヤギの群れ。  のほほんとした光景と裏腹に道の先はまだまだ長そうだった。  水筒を取り出し水を一杯飲むと、気を取り直して荷物を抱えて農道を歩く。  カインからの直近の紙飛行機には、今は昔住んでいた孤児院で、手伝いをしながら働いてるというものだった。  片田舎の孤児院で、わざわざどこにあるのかも書いてあった。そして良かったら遊びに来てよとも。  その時は皆で行けるわけがないと笑ったものだが…… 『……あの、私』   あの日、全員の視線が集まった。 『カインに会いに行ってみようと思う』  そう宣言してここまで来た。 『行くってどうやって?』 『万一あちらの領土に入れたとして、邪気はどうするのよ。目に見えないけど私達の体からは人間には有害な邪気が出てるのよ』 『それは……実は私、自分で少し押さえることが出来て』  使用人仲間の女性が目を見開く。 『結界が使えるってこと?』 『えっと、その、そう! 露店で買った魔晶石のお守りを持ってて、条件付きなら、なんとか……』 『へぇ~』  その場の面々が感心したように頷く。  庭師のお爺さんだけが不思議そうにこちらを見ていた。 『そうと決まったらさっそく準備だ。行く手段がまったくないってことはないはずさ』 『だな。俺は知り合いに荷運びを生業にしてるやつがいるから聞いてみるよ』 『それじゃあ私は城に来る業者に聞いてみようかね。この国は人間と魔族の折り合いも悪くないし、商人なら何か行き方を知っているかもしれないよ』  トントン拍子で話が進む、だが 『行きはいいとして帰りはどうする?』  すると、たまたま通りかかり成り行きを見守っていたカボチャの側近が声をかけて来た。   『それなら心配いらないさ――』 ◇◇◇    ――ふと気付くと、道の先に孤児院らしき建物が見えた。  カインの手紙に書かれていた通りの少し草臥れたクリーム色の壁、色褪せた三角屋根のてっぺんには錆びた鉄の十字架。    思わず足の運びが軽くなった。    近付く程その建物は鮮明になる。庭に佇む一本の大きな木、シスターが趣味で育てている花と野いちご。   (庭を囲むように広がる木の柵の出入口にカインお手製の風見鶏――!)  気付くと走っていた。  丘からの下り坂を躓きそうになりながら、なりふり構わず走る。  近付くたび大きくなる、庭に出ている子供たちの笑い声、そしてその中心で笑っている真っ青な髪の―― 「カイン!」  空よりも濃い真っ青な瞳が彼女を捉えた。  キィと鳴る風見鶏の前を走り抜けて彼女は両手を伸ばす。 「えぇ!? ――――!?」  カインが驚いて彼女の名を叫ぶ、そして駆け出すと彼女を抱き止めた。 「え、なんで、どうしてここにいんの!?」 「会いに来たのよ。お土産を持って!」  背中に担いだ荷物を彼女はパンパンと叩いて見せる。 「えぇ~……て、これ、おっも」  言葉にならないといった様子でカインは彼女から荷物を受け取ると、とりあえずこっちと案内する。 「カインこの人だれ?」 「知り合い?」  子供たちがキャッキャッと笑う。 「そう、俺の友達、てか親戚みたいな? 仲良くしてくれよ」  子供たちにそう言って、荷物を担いで歩くカインの後ろ姿は、すっかり男性らしくなっていた。  腕を捲ったクリーム色のシャツがよく似合う。   (そうか、もう二十一歳か……)    五年前までは同じくらいだった身長も、すっかり彼女の背を越してしまっている。  けれど変わらずカインの背中で揺れる、長く伸びた襟足を結んだローテールの髪が可愛らしい。  建物の中に入ると年嵩のシスターと若いシスターが、子供たちと一緒に部屋の掃除をしているところだった。カインは廊下から二人へ声をかける。 「シスター、隣の部屋借りていい?」 「いいけど、どうしたの?」  カインはニッと笑う。   「俺にお客さん。〝魔族〟の」  二人は「え」と、驚いた顔をした。   ◇◇◇ 「――ごめん。水しかないけど」  隣の部屋に案内されて、ようやく椅子に腰をおろした。  カインも水の入ったコップを置くと、向かいの椅子に座る。 「でも良かった。俺、普段は下の街にいるからさ、酒屋の二階に住み込みで働いてんだ」 「そうなの?」 「うん、たまにこっち来て子供の相手したり、庭手伝ったり、壊れた物修理したりとかそんな感じ」 「そうだったの。私、運が良かったのね」 「お互いにな」  カインはにこっと笑う。子供っぽい無邪気な、五年前にもよく見た笑みで。 「大変だったろう、来るの。どうやって来たんだ?」 「それを言ったらカインの方が……そうだお土産」  するとシスターが顔を出し「遠路はるばるよく来たわね」と笑顔で香ばしい薫りのクッキーを持って来てくれた。  そのクッキーはカインが城にいた頃よく作ってくれたお菓子に、味も香りもよく似ている。今では城での三時のおやつの定番だ。 「良かった。魔族なんて知られたらどうなるかとヒヤヒヤしてたんだけど」 「シスター達は大丈夫だよ。俺が魔族にお世話になってんのは昔から知ってんだ」 「そうなの?」 「うん、て言っても魔王以外と会うのは初めてだったかも」 「え、むしろ魔王さまには会ったことあるの!?」 「うん、そうみたい。あ、でも俺たち以外には人間の振りしといた方がいいぞ」 「それはもちろん」 「ところでこの本よく持って来たな」  辞典のように分厚い本は、栞を貰った魔族からカインへのお土産だ。 「正直ほとんどそれのせいで重かったわ〝栞を貰ったからにはお勧めの本をあげるのがセオリーだろ〟とか言っちゃってさ」 「ハハ、確かに粋かも」 「こっちは厨房から、カインに負けないお菓子のレシピを作ったそうよ」 「え、マジか! 嬉しいな~。代用出来る材料ないか探して作ってみるよ」 「他にも~」  新しく入った使用人のことや昔話、お土産のことで話に花を咲かせていると 「――は、今日どこに泊まるの?」 「実はまだ、決めてなくて……」 「だと思った。泊まっていきなよ。俺もそのつもりだったし、床で雑魚寝になるけど」 「ありがとう。助かるわ」 「よし、じゃあシスターに話つけてくる……って、うわあ!」  カインが扉を手前に引くと、子供たちがなだれるように倒れて来た。 「いてで」「いった~!」「ちょっと、どいてよ」と騒ぐ子供たちを、カインは「なにしてんだよ。お前ら」と抱き上げて立ち上がらせる。  すると起き上がった一人が言った。   「カインの彼女か?」 「バッカ、彼女は、アビーだろ!」 「じゃあ浮気じゃん」 「え、でも振られたんじゃなかった?」 (――え?) 「わ~もう、余計なこと言わなくていいから、さっさと行け、そろそろ夕食の準備だろ」  子供たちは「カインが怒った~!」と走って逃げて行く。 「ぜんぜん怒ってないだろう。たく……」 「カイン……振られたって」  バツが悪そうな顔でカインは彼女を振り返る。 「うん、そうなんだよ。しかも昨日……さて、シスターのとこ行ってくるか」  カインもそのまま出て行った。  ◇◇◇  お泊まりはあっさり快諾され、彼女もカインと一緒に夕食作りを手伝うことにした。  火を点け、食材を刻み、鶏肉を煮込み、スープを作り、サラダを器に盛り付ける。 「二、三年前かな……ほら、ロワが……元東の魔王の伴侶が亡くなっただろ。あの時、俺すごい落ち込んでて、悲しくて仕方なかったんだよ。当たり前だけどリーベもすっかり落ち込んでて……城にいた頃からあの人たちには仲良くして貰ってて、こっち来てからも結構遊びに行ったり、来てくれたりしてたんだ」  その間、カインは事の成り行きを彼女に話してくれた。 「そんな時、仕事の帰りにたまたま変な男に絡まれてる人がいてさ、俺、助けたんだよ。それがアビーだった」  なんでもないことのように食事の片手間に語られる。  まだ自分では上手く食べられない小さな子に食べさせながら。 「いいって言ったんだけど、お礼だって言ってパンを焼いて持って来てくれた。そこから交流が始まって、落ち込んでいた俺を慰めてくれたんだ。とってもいい子だよ。前向きで活発で、ワンピースがよく似合う。笑顔が素敵な……付き合ったのは半年くらいだけど」  子供たちと同じ部屋の一室、両側の壁にある二段ベッドは子供たちがそれぞれに使用して、カインと彼女は床に布袋に藁をつめたマットレスや毛布を敷いて雑魚寝する。  窓から射し込む月明かりが夜の帳の中を明るく照らした。 「アビーのことは好きだったよ。本当に、可愛いと思ったし、幸せにしたいと思ったし、ずっと一緒にいたいとも思った……けど、踏ん切りがつかなくて、何かがずっと足りないような」  彼女は静かに話に耳を傾けながらカインに問うた。 「……一週間前、紙飛行機くれたよね」  子供たちの寝息が静かな夜の闇に落ちていく。 「うん……やっと、決心がついたんだ……それがあの紙飛行機、俺の決意表明みたいなつもりだった。けど……振られちゃった」  カインの自嘲気味の声が彼女の耳にしっかりと届いた。  暗闇の中で見えないが、きっと今、カインは悲しい顔をすまいとして不器用な笑みを浮かべているのだろう。 「他に好きな人がいるでしょうって、言われてさ」  その言葉を聞いてどきりとする。 「なんか、やっぱ、俺の気持ちの微妙なとこ、伝わっちゃってたみたい……バカだよな。紙飛行機だって、決意表明なら魔王に直接送れば良かったんだ。俺はもうこっちで生きるよって、心から大切にしたい好きな人が出来たからもう大丈夫って、ちゃんと魔王が望んだような大人になってるから、心配しないでって……出来なかったのは、結局、気持ちなんか固まってなかったんだ」  カインの話を聞いて彼女の心はきゅっと締め付けられるようだった。  泣いているように思えたカインの声は、実際は静かに、けれど不思議と穏やかだ。 「……ねぇ、魔王はどうしてる?」 「……」 「いくら飛ばしても返ってこなくてさ」  彼女は心の中で強く「ごめん」と呟いていた。魔王が返事を出していないことは彼女もよく知っている。 「……なんでなんだろう。しつこくて、嫌われたのかな」 「っ……」 「でも……俺、足りないんだよ。俺に足りなかったのは……セオドアなんだよ」 「……ごめん。ごめんね」  カインはくすっと笑うと「なんで謝るの?」と言って、彼女の毛布をかけ直した。 「俺こそごめん。こんな話に付き合わせて……もう寝よっか」  そのまま、二人は眠りについた。  

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